以下の文章は、昔(1990年)に雑誌「COMIC BOX」におれが投稿して掲載されたものだ。今となっては恥かしいほどの熱い内容である。しかもかなり長いので何回かに分けて転載する。この頃、手塚治虫作品にとっての一大危機があったのだ。それはすべて、大阪の堺市のある一家が原因であった。もはや忘れている人や知らない人もいると思うので、詳しくは読んでいただきたい。全文をここに載せた後で、多少の解説をしてみたいと考えています。 雑誌に掲載されたときのタイトルは「手塚治虫を絶版にさせるな」というものだった。以下がその本文である。 絵本「ちびくろサンボ」を出していた各出版社が一斉に同書の絶版を決めたのは1988年の暮れのことだ。「黒人差別をなくす会」という団体の抗議活動がその直接のきっかけであった(以下「なくす会」と略す)。ちなみに同会は、他にもカルピスマークなどの黒人キャラクターを次々に使用中止へと追い