春休みの子供たちが、朝から浮足立っている。 いよいよ刻限が近づくとテレビの前に2人揃って正座して、... 春休みの子供たちが、朝から浮足立っている。 いよいよ刻限が近づくとテレビの前に2人揃って正座して、「まだ官房長官こないの?」「もうそろそろのはずなんだけどなぁ」とヤキモキしている。いざ新元号の発表となると、「令和だって。なんかしっくりこないね」「でも、書きやすい漢字でよかったね」とウキウキしながら感想を語り出した。 こういうとき、素直に楽しめるのは子供の特権だろう。作為的でアーティフィシャルな演出にまみれたものであっても、子供は「歴史的瞬間」を素直に喜ぶ。そういうものの裏に潜む、人為や意図やメッセージを考えられるようになることを「世知辛い」といい、世知辛さを知った者を大人と呼ぶのだ。 「お前ら、こんなことで喜んでちゃいけないよ」と言いたくなるのは世知辛さを通り越して、物を考え物を書く人間の職業病。子供が喜ぶ姿を微笑ましく見守るのが親の責務というものだ。行きすぎがあればそのとき、指摘すればい
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