万葉集巻十七の巻末近く、越中国守家持が「春の出挙(すいこ)に依りて諸郡を巡行するに、当時当所にして... 万葉集巻十七の巻末近く、越中国守家持が「春の出挙(すいこ)に依りて諸郡を巡行するに、当時当所にして属目して作」ったという9首が収められています。国府のある射水郡から礪波(となみ)郡―婦負(ねい)郡―新川郡と東行し、再び射水郡に戻って半島の付け根を横断、羽咋(はくい)郡―能登郡―鳳至(ふげし)郡―珠洲(すす)郡と能登を北上したのち、船で射水郡へ戻るという行程になっています。 これらの連作は排列からすると天平20年(748)春の作になりますが、一度の旅行にしてはルートにやや不自然さがあり(半島をジグザグに何度も横断しています)、また左注に見える「当時当所」(その時その場において)という記述から、幾度かの巡行の折々、その都度作られた歌を、あとで一まとめに編集し直したものであると考えるべきでしょう。 家持はこの9首に、当時越中国に属した8郡すべてを詠み込みました。各郡各所の叙景、また時に応じての感
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