冷泉天皇の第一皇子。母は贈皇后宮藤原懐子(伊尹の息女)。子に清仁親王・昭登親王ほか。 安和二年、二... 冷泉天皇の第一皇子。母は贈皇后宮藤原懐子(伊尹の息女)。子に清仁親王・昭登親王ほか。 安和二年、二歳の時円融天皇の皇太子となる。天元五年(982)、元服。永観二年(984)八月、円融天皇の譲位を受け、同年十月即位。この時十七歳。藤原義懐(よしちか)・同惟茂(これしげ)を側近として積極的な新政策の実現をはかったが、寛和二年(986)六月、退位して花山寺で出家した。『大鏡』によれば、藤原道兼に共に出家しようと誘われ、欺かれての退位であったというが、『栄花物語』は寵愛した弘徽殿女御を失った悲嘆から出家を決意したとする。 出家後は比叡山・熊野・播磨書写山などを遍歴して仏道修行に励み、すぐれた法力を身につけた。正暦四年(993)頃帰京して東院に住む。邸宅には数寄を凝らし、風雅の暮らしを送る一方、悪僧を周囲に侍らせて様々な奇行をなしたという。寛弘五年(1008)二月八日、病により崩御。四十一歳。 和歌
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