鎌倉大仏と災害都市「鎌倉」 1 鎌倉の代表的景観というものを考えてみる。吾妻鏡を読むと、随所に「大... 鎌倉大仏と災害都市「鎌倉」 1 鎌倉の代表的景観というものを考えてみる。吾妻鏡を読むと、随所に「大地震」、「大風」「洪水」という表記が目に付く。1333年に北条高時が自害して鎌倉幕府が存在した150年の間、さながら鎌倉は災害常襲地帯そのものだ。 三方を山に囲まれている鎌倉という中世都市が、いかに、災害の多い場所だったか分かる。「大地震」や「大風」、「洪水」という記載も目につく。こうした中で、私は当時鎌倉に住んでいた住民が、深沢という都市鎌倉への西の玄関に当たるような地域にあって、地震が起これば、激しく揺すられ、その後に津波がくれば波をかぶる深沢の大仏(鎌倉の大仏)の凛とした姿が、どれほど鎌倉の庶民に勇気を与えたのではないかと想像する。 災害都市鎌倉にあって、この大仏がどんな存在だったか、考えてみたい。 大仏が造られたのは、吾妻鏡の嘉禎4年(1238)3月23日の条に、「深沢里大仏事始」記載
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