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大納言旅人の嫡男。母は不詳(一説に多治比氏)。弟には夭折した書持、妹には留女女郎と呼ばれた女性がい... 大納言旅人の嫡男。母は不詳(一説に多治比氏)。弟には夭折した書持、妹には留女女郎と呼ばれた女性がいる。坂上郎女は叔母。子には永主がいる。 神亀四年(727)冬頃、大宰帥に任ぜられた父に随い、筑紫に下向する。当時大宰府には山上憶良・沙弥満誓ら文人が集い、筑紫歌壇を形成した。天平二年(730)末、父の大納言任命に伴い帰京したが、旅人は翌年七月死去した。 少年期から坂上郎女をはじめ多くの女性と歌を贈答した。天平十一年には「悲傷亡妾歌」を詠み、これ以前に側妻を失ったらしい。まもなく、坂上郎女の娘大嬢を正妻とした。 天平十二年(740)以前に内舎人(うちどねり)に任ぜられ、同年十月末、藤原広嗣の乱を発端とした聖武天皇の関東行幸に従駕。同年末の恭仁京遷都に伴い、単身新京に移住した。この頃聖武天皇の唯一の皇子であった安積親王に臣従したが、親王は天平十六年(744)閏一月に急死、家持は挽歌を作ってその死を
2014/06/05 リンク