(注記: これは、『ディアロゴス』(九州大学哲学倫理学研究会)第2号[1989年4月18日発行]に掲載された... (注記: これは、『ディアロゴス』(九州大学哲学倫理学研究会)第2号[1989年4月18日発行]に掲載されたものです。) はじめに ことばを使うことは私的な営みではなく,共同体的な営みであろう。言語起源論の仮説によって,また,発達心理学の知見によって,人間の言語の発生と人間の社会性の発生が密接不可分に絡み合っていることは,しばしば指摘されるところである。すでに古代ギリシア哲学においても,アリストテレスが「人間はポリス的動物( politikon zohon )である」ということと「人間は言語をもつ( logon echei )動物である」ということの関連に言及するとき1),言語と共同性の相互依存関係は予感されていた筈である。近代哲学に眼を転ずると,同様の言語観はロックにも見られる。なるほど,ウィトゲンシュタインがいわゆる「私的言語批判」を展開するとき念頭にあったのはロックの言語論だった,と
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