「神山分派」顛末記 大金久展 (注)、これは、早稲田1950年記録の会『史料と証言第4号』(1999年... 「神山分派」顛末記 大金久展 (注)、これは、早稲田1950年記録の会『史料と証言第4号』(1999年)に掲載された文書の全文を転載したものです。50年分裂における主流派と国際派の実態に関して、国際派の一つである神山分派の実態・性格は、かなり重要なテーマであるにもかかわらず、ほとんど知られていません。大金氏は、当時、共産党早稲田細胞にいて、そこでの神山分派の中心でした。国際派といっても、反徳田の5つの分派に分かれており、それらの相互関係は、解明すべき点を多く含んでいます。大金論文は、その貴重な資料になるものです。 これは、HP早稲田1950年記録の会にも載っていますが、私(宮地)のHPに独立させて転載します。この転載にあたっては、大金氏の了解をいただいてあります。 〔目次〕 はじめに 1、入党前後のこと 2、早大社研に入る 3、コミンフォルム批判前後 4、「反レッド・パージ闘争」 あとがき
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