大正10年(1921)11月、平民宰相の名で親しまれた、時の内閣総理大臣原敬が、東京駅構内で暴漢によっ... 大正10年(1921)11月、平民宰相の名で親しまれた、時の内閣総理大臣原敬が、東京駅構内で暴漢によって暗殺された。デモクラシーの言葉が新鮮な響きをもって聞かれた大正時代、原は、日本を平和的な産業国家とするべく、さまざまな改革に着手する。方針に従わない官僚、軍縮に反対する軍部、そして党内に起こる汚職とスキャンダル。原は、何とかして政治への信頼を取り戻したいと、直接国民に話しかけるため遊説に出発する。そんな原に、暗殺者の影が忍び寄っていた。危険を承知で原が訴えようとしたものは何か。日本の改革のために奔走し、志半ばで非業の死を遂げた、平民宰相原敬の生涯と、暗殺の瞬間に秘められたドラマを描く。 江戸時代の終わり、時代が明治へと移り変わる時、薩摩、長州の政府軍と戦って破れた東北地方の諸藩は、朝廷に弓を引いたものとして、賊軍の烙印を押されてしまう。岩手県盛岡市、戦いに敗れ賊軍となった南部藩の治めた土
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