1940年9月、日本は、ヒトラー率いるナチスドイツ、ムッソリーニ率いるイタリヤと、日独伊三国同盟を結んだ... 1940年9月、日本は、ヒトラー率いるナチスドイツ、ムッソリーニ率いるイタリヤと、日独伊三国同盟を結んだ。これは、事実上アメリカを仮想敵国とみなす条項を含むものだった。当時の松岡洋右外相は,三国同盟にソビエトを参加させ、四国の協力関係をつくろうとしていた。何故、不可能と思える壮大な同盟構想を抱いたのか。そして、何故アメリカに対し、力で対抗しようとしたのか。日独伊三国同盟に秘められた松岡の思い、日本の運命を変えた太平洋戦争までの経緯を描く。 1880年、松岡洋右は、山口県の廻船問屋に生まれた。11歳のとき、家は倒産。、このとき松岡は、アメリカに渡って、働きながら勉強する決心をする。 1893年の春、13歳の松岡は、アメリカ西海岸に到着。ここで待っていたのは、最初の寄宿先で、いきなり薪割りを命じられるという体験だった。この家では、松岡は留学生ではなく、使用人の一人としか見ていなかった。皿洗い、
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