アジア進出の足がかりとしてフィリピンを植民地化していたアメリカと、南方の資源を確保するための重要... アジア進出の足がかりとしてフィリピンを植民地化していたアメリカと、南方の資源を確保するための重要な拠点と考えていた日本が、太平洋戦争で激しく衝突した。日本は現地でマカピリと呼ばれるフィリピン人部隊を組織、アメリカも抗日ゲリラとしてフィリピン人を組織する。双方の対立は、同じ村人どおしが互いに殺し合うまでに激化する。 今も癒えることのない傷が残る、フィリピン民衆の悲劇。その独立への道筋を見つめる。 フィリピンにアメリカが進出してきたのは、1898年のことである。10年近い戦いの末、アメリカはフィリピンを植民地にする。アメリカにとってフィリピンは、本土からハワイを経由してアジアへと進出する、戦略上の重要拠点だった。アメリカは、フィリピンに軍事基地を建設する。 アメリカは、地主などの有力者と協力してフィリピン統治を進めた。まず、土地の所有権を役所に登録するよう義務付ける。しかし、法律は民衆には十分
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