先日、ロイス・ホルツマンの『遊ぶヴィゴツキー:生成の心理学へ』 (Vigotsky at Work and Play)を読... 先日、ロイス・ホルツマンの『遊ぶヴィゴツキー:生成の心理学へ』 (Vigotsky at Work and Play)を読んだ。異色のヴィゴツキー研究者でありアクティビストである著者が、通常着目されるのとは異なる仕方でヴィゴツキーに着目し、ソーシャルセラピーや即興的なパフォーマンスと絡めて論じている本である。 この本のスタンスというか方向性に、僕はかなり共鳴する。そして、そこで取り上げられるヴィゴツキーの引用やその解釈にしびれた。 例えば、本書で何度も取り上げられるヴィゴツキーの次の言葉。 探求の方法は、人間独自の心理活動の形態を研究するという企図にとって、最大限に重要な問題となる。この場合、方法論は、前提であると同時に産出物でもある。つまり研究の、道具であると同時に結果そのものなのだ(Vygotsky, 1978, p.65) これを受けてホルツマンは、「私たちはヴィゴツキーの道具と結果
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