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石破茂 (いしばしげる)とは【ピクシブ百科事典】
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概要

石破茂とは、衆議院議員(自民党所属)。防衛庁長官防衛大臣農林水産大臣、第102・103代内閣総理大臣を歴任。自民党内では第52代 自民党党政務調査会長、第50代自民党幹事長、第28代自民党総裁を歴任。愛称は「ゲル」。

政治家としてのスタートは自民党であったが、改革の会自由改革連合新進党と転属を繰り返し、また自民党に復帰したという経歴を持つ。

プロテスタントの教会で洗礼を受けたキリスト教徒でもある。

経歴

石破二朗の長男として、昭和32年(1957年2月4日東京都で生まれた。育ちは鳥取県

鳥取県知事も務めた父の二朗は田中角栄の盟友であり、「田中のためなら死んでもいい」と語っていたほど。二朗の死去の際には田中が葬儀委員長を務めた。

兄弟姉妹には姉が二人。末っ子長男である。

二朗は息子に金太郎(フルネーム:石破金太郎)と名付けようとしていたが、妻(茂の母親)の石破和子の猛反対でやめにし、吉田茂にあやかって命名した。

1986年に国政入り。当時29歳で初当選し、自民党はもとより全衆議院議員での最年少であった。石破の選挙の出馬には角栄からの説得もあったという。

小選挙区制導入以降は、鳥取市を中心とした鳥取1区選出。同区で議席を守り続け対立候補に比例復活さえ許さない強固な地盤を築いている。なお、同区はもっとも有権者数の少ない選挙区でもある。

2010年代は安倍晋三への叛意を隠さず、安倍政権の政策への批判を公言。自民党では慣例的に「出戻り」の総裁就任を許しておらず、このままでは首相就任の目がないため、反安倍勢力を糾合することで首相の座を狙っていたと見られる。

安倍が健在だった頃の党内及び支持者間では「味方を後ろから撃つような行為」として快く思わない者も多かった。しかし自民党の歴史からすると党内対立は珍しいことではない。党内対立が珍しいと思われた背景には、派閥政治で公然と党内闘争を展開していたかつての自民党と、総裁とその側近らによる"統制"、"上意下達"色が濃くなっていた郵政選挙後の自民党とのイメージの違いがあると考えられる。

自民党の総裁選には2008年、2012年、2018年、2020年と過去4度に渡り出馬したが、いずれも落選。2021年の総裁選には出馬せず、河野太郎陣営についたが河野も岸田文雄に破れ派閥ともども冷遇された。

2024年の総裁選では、今回がラストチャンスと宣言して出馬を表明。運命の9月27日の投開票では他8人の候補者との激戦の末、1位の高市早苗候補との決選投票となった。結果、石破が215票、高市が194票を得た事から、同日付で念願の自民党総裁に就任した。

総理職

総裁となった翌10月1日に臨時国会で指名をうけ、第102代内閣総理大臣に就任。鳥取県出身者としては初の内閣総理大臣となった。内閣の顔ぶれは総裁選で首相を支えた推薦人や、石破に近い「国防族」議員が並んだ。

就任から8日後の10月9日。臨時閣議において衆議院の解散を閣議決定し、同日に衆議院を解散した。就任から解散総選挙に踏み切るまでの期間は、戦後の首相で最短である。

しかし、前任の岸田政権から続く裏金問題による自民党への不信や物価高への対応などが影響し、第一党は維持したが連立与党の公明党とあわせても議席は過半数には届かず、大物議員の落選が相次ぎ少数与党に転落。立憲民主党国民民主党など野党勢力の躍進を許す結果となった。

自身の進退については国政を停滞させるわけにはいかないとして辞任を否定、続投の意向を示したが厳しい政権運営を強いられることになった。

その後11月11日の臨時国会の首班指名選挙で与党の議席減により1回目の投票で過半数に届かなかったため、決選投票にて野田佳彦を破り、第103代内閣総理大臣に選出されるが、総理再選後も経済や外交で迷走が続き、リーダーシップに疑問符がついてしまい、支持率は低迷が続いた。

2025年7月に行われた参議院選挙でも与党の過半数割れが確実となり、国民民主党や参政党など野党が躍進。衆参両院で少数与党になったが、これは自民党の歴史でも石破政権が初めてのことである。

選挙後に続投を表明したが、党内では責任を問う声が多く麻生派を中心に石破おろしを画策するも石破に近い議員や旧岸田派等は石破続投を支持し中堅若手議員も『そんな事をやっている場合じゃない』と反石破派に辟易する、国民からは冷やかな目で見る者もいれば、『敗北の原因は石破首相では無い』、『辞めれば次はもっとひどい政権になる』と今後の日本の政治並びに自民党を憂いて石破おろしをさせまいと(野党支持者を含めて)彼を激励し3週連続で『石破辞めるな』デモが開催される、更に野党からも社民党のラサール石井が『石破総理が辞めれば極右政権になる』と危惧するなど各方面で彼の続投を望む声が上がっており賛否両論。また参院選後の石破政権が災害対策を迅速に執る、国際協力を強化するため外交を次々と行う、広島と長崎での平和式典での挨拶ではほぼ同じ文面には一切せずに歌を引用してそれぞれの式典で全く違うメッセージを伝える、終戦記念日の式辞では『反省』の文言を復活させるといった点を評価された事もあり、報道各社でも自民党の支持率は低下する一方で日に日に石破政権の支持率は上昇しており、混迷の一途を辿っている。

また、一時はアメリカのトランプ政権との関税交渉の行末を見極めたうえで8月末までに辞任すると報道されたが、石破本人は報道を否定している。

9月7日に総理総裁の辞意固め、記者会見を開いた。

米国関税交渉などの区切りがついたため、後任に道を譲る考えだと表明した。

記者会見の中では、党内基盤が脆弱だった事に加えて、少数与党であった事からも党内外との調整に追われてしまい、結果的に「石破らしさ」が失われた事で自身への期待を裏切ってしまったのではないかと述べている。

退陣表明後も自民党、公明党、立憲民主党の三党間で「給付付き税額控除」に関する協議体を設置する方針で合意するなど、退陣後の政権運営を見据えた動きを見せている。

10月10日には戦後80年にあたり総理大臣として所感を発表し、その中では日本が戦争へと突き進んでいった歴史への検証が主に述べられた。具体的には、戦前における文民統制の欠如や議会の機能不全に関して1940年に斎藤隆夫議員が政府と軍部による戦争政策を批判した「反軍演説」に触れながら説明し、無責任なポピュリズムへの批判と共に「本来のリベラリズム」と「健全で強靭な民主主義」の大切さを訴えた。

10月21日に石破内閣が総辞職し、後任の第104代内閣総理大臣には高市早苗氏が就任した。

人物

  • 強面に似合わず、ネバネバした声と話し方が特徴で、慶應義塾大学在学中に全日本学生法律討論会で優勝した経歴もある論客である。話し方こそ穏やかだが、理詰めで相手の反論を封じていくため、論争相手としてはある意味一番えげつないとも言える。
  • 一部での愛称は「ゲル(ゲル長官)」。これは防衛庁長官時代、「いしばしげるちょうかん」を変換すると「石橋ゲル長官」と誤変換しがちだった事が由来。仮面ライダーのゾル大佐と語感が似ている上、顔がややコワモテの部類に入る事もあいまって2ちゃんねるの政治スレなどではこの渾名が微妙に定着していたりする。
  • 丸顔で頬と鼻にテカリがあることから「人相の悪い/腐ったアンパンマン」とも呼ばれる。目つきの鋭さからチベスナとも。2013年の参議院選挙では幹事長として選挙を仕切り、猛暑の中を全国応援に回ったため日焼けで真っ黒になり、ネット上では「焦げたアンパンマン」などと言われ話題になった。
    • 時折眼鏡をかけているが、これは人相の悪さを軽減するための伊達眼鏡である。
  • 石破が所属していた平成研究会宏池会とともに旧自由党の流れをくむ"保守本流"と言われ、安倍が所属していた清和政策研究会などの属する日本民主党の流れ"保守傍流"に対し優位に立っていた時期が長かったのだが、保守本流は加藤の乱が不発に終わって以降すっかり弱体化してしまい、宏池会出身の岸田文雄が総裁に就任するまで長らく清和会一強が続いていた(途中内閣総理大臣を歴任した麻生太郎は元々岸田と同じ宏池会出身ではあるが、安倍とは盟友でもあり、第1次安倍内閣の際には外相・第2次では副総理と財務相を担当している)が、その岸田も安倍とは当選同期であったことから友人関係でもあり、外相を務めた。このことからも、安倍との意見の対立などもあった石破はそういった点で清和会色が一切ない"保守本流"の政権ということになる。
  • 上記の通り、特に心血を注いできたのは農政なのだが、農林水産問題を語ってもメディアが報じてくれないという。一方で、防衛問題に造詣が深いことはよく知られており、「軍事オタク」や「防衛オタク」と揶揄されることもある。議員会館にある部屋には軍事関連書籍が並んでおり、ミニ軍事図書館と称されたこともある。
  • 戦車軍艦軍用機プラモデル製作が趣味である。防衛庁長官時代にロシアのセルゲイ・イワノフ国防大臣が来日した際、「大臣在任中はプラモデルを作らない」という自戒を破り、2日徹夜してロシア海軍の空母「アドミラル・クズネツォフ」のプラモデルを作り、大臣にプレゼントした。
  • 防衛大臣在任中、UFO襲来時の対応について「UFOやそれを操る生命体が存在しないと断定しうる根拠はない」個人的な意見を記者会見で述べたことがある。なお、日本政府の公式見解としてUFOの存在意義は「『地球外から飛来してきたと思われる未確認飛行物体』の存在を確認したことはない」とされており、ほぼ石破が発言したことと同様のことが政府の公式見解となっている。
  • 2008年2月に起きた護衛艦あたご漁船衝突事故の際の防衛大臣である。そのためか、毎年お盆の時期に遺族を訪ねるという。
  • 世間的なイメージと異なり、軍事オタクや防衛産業界隈での石破の評価は総じて悪い。国産装備品の信頼性やコスパを疑問視し、外国製に置き換えたがる傾向があるからである。また、(首相就任後は主張を封印しているが)「アジア版NATO」などの持論も「非現実的」として異論が目立つ。防衛庁長官時代に「費用対効果が低い」としてF-2を調達中止に追い込んだ張本人である。ドナルド・トランプに対しC-17中古機購入に意欲を示した際は(輸送力に優れるC-17導入は石破のかねてからの持論であった)、「自分の趣味で(自衛隊の頭越しに)輸送機を決めるな」と多くの自衛隊関係者やミリオタらから反発を買った。
  • シン・ゴジラ』を鑑賞した際に「なぜ防衛出動となったのか理解できない。法的には害獣駆除として災害派遣すべき。」と内容にマジレスしたことがある。
  • 読書家として有名で、書斎には丸山眞男集なども並べている。読書時間は早朝や就寝前などで捻出している模様。高校生のころから『正論』や『諸君!』といった保守系雑誌を読んでいたが、防衛庁長官時代から、「反対の論理も知らなければ自分の論理も整わない」という理由で『しんぶん赤旗』や『前衛』といった左派系の出版物も読むようになったという。
  • 本人はブルートレイン属性の鉄道ファンだが、トラック業界の政治団体から献金を受けている。ちなみに鉄道ファンつながりで、日本維新の会の前原誠司(他にも模型製作が趣味、両親が鳥取県出身という共通点がある)とテレビ番組で共演したこともある。
  • アイドル好きでもあり、キャンディーズ藤村美樹(ミキ)のファン。ただし当時コンサートに行っていたわけではなく、1977年6月に行った「朝霧高原バスツアー」で撮影された写真で、田中好子の横にいるのが若き日の石破だとネット上で話題になった時は、自ら否定している。
  • アニメにも造詣が深く、首相公邸引越の際、幽霊について問われ「オバケのQ太郎世代だから怖くない」と答えたほか、「宇宙戦艦ヤマト」の熱烈なファンでもある。2013年には「ガールズ&パンツァー」のイベントにもビデオメッセージを寄せている。
    • 2017年、地元鳥取県の円形劇場くらよしフィギュアミュージアムのオープニングに来賓として出席した際には、事前連絡も無く魔人ブウコスプレをさせられた。
  • 2010年年末放送の「笑ってはいけないスパイ24時」にて初のバラエティ番組に出演。主な内容は軍事評論家に扮するジミー大西との政治対談であるが、当然ジミー本人は政治に関する知識は皆無で、戦艦長門を「朝日新聞号」、当時の内閣総理大臣の菅直人を「カン チョクト」と答え、挙げ句の果てには菅直人の夫婦仲を「仮面夫婦」と答えるなど、常人には理解出来ないジミーワールドに翻弄され、終始頭を悩ませていた。石破本人は事前にスタッフから得ていた情報から無茶苦茶な回答が来ることを予想はしていたが、その予想を超えるジミーのトンチンカンぶりに気後れし、その影響からか年明けの議会でもまともに発言や受け答えが出来ない程までダメージが残ったという。
    • その後、2020年年末放送の「絶対に笑ってはいけない大貧民GoToラスベガス24時!」にてまさかの再登場を果たす。今回はオーディション番組の審査委員長役として登場した。
    • 「笑ってはいけない~」のほかにも「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」にほぼ毎回出演し、太田光と論争を重ねた。
  • 育ちの良さの割に清潔感がない容姿や立ち居振る舞いがしばしば話題になる。フケの溜まった上着を着ている写真や、汚い食べ方をしている写真や映像が度々出回っている。
  • そんな容姿・所作の石破は学生時代モテなかったことが語り草になっているが、妻の佳子(旧姓:中村)は慶應義塾大学の同級生で、学生時代から「美人で人気者」として知られていたという。石破は初対面で一目惚れし、卒業式の後プロポーズしたが当然断られ、卒業後4年も経ってようやく口説き落とした。
  • 好物はカレーライス。幼少期に特別な日の料理だったためで、「人生の喜びのようなもの」と述べるほど。大学4年間は、ほぼカレーだけを食べていたという。自ら調理することもあり、サフランライスにインド産スパイス、ラッキョウをはじめ鳥取県産の食材にインスタントコーヒーや鳥取名産のを隠し味にした「石破カレー」をふるまう。なお石破の選挙区である鳥取市はカレーの消費量が全国一位なので、カレー好きアピールは有権者に親しみを持ってもらう思惑もあるのかもしれない。

縁戚者

父親:石破二朗

母親:石破和子

兄弟姉妹:姉が二人

妻:石破佳子

息女:娘が二人

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