LGBT
えるじーびーてぃー
LGBTは、「男性と女性のどちらかに明確にアイデンティティを持ち(シスジェンダー)」なおかつ「異性(のみ)に性的に惹かれる」、「性的多数派」とされる人以外の性的少数派(セクシャルマイノリティ)を指す言葉としてしばしば用いられるが、
L=「レズビアン(女性に惹かれる女性)」
G=「ゲイ(男性に惹かれる男性)」
のLGBに
を加えた頭文字であり、具体的な4項目を列挙しているため、包括的な表現である「セクシャルマイノリティ」とは厳密には同一ではないと言える。 これにI=「インターセックス(性分化疾患、半陰陽、インターセクシャル、DSD、IS)」を加えてLGBTIとすることもしばしばある。
一方、性的指向であるLGBと性自認の問題であるTを一緒に扱うことへの違和感や、同性愛と性別違和が混同されることへの危惧から、両者を分離しようとする「Drop the T」運動、これに反対し性的少数者の運動の中で連帯を求める「Keep the T」も起きている。
また、LGBTIに関しても「インターセックスは肉体的なもので、LGBTは精神的なものなので、一緒にすべきではない」という主張もある。例えばあるインターセックスの当事者は「LGBTと混同されやすく、必要な対応を受けづらい」と主張しており、LGBTと同類扱いされることを忌避している。
セクシャルマイノリティとされる人は同性愛やトランスジェンダーのみならず、他にも様々にあり得る。アセクシャル(無性愛者)やパンセクシャル(全性愛者)、ノンバイナリーなどである。パンセクシャル(全性愛者)やユニセックスなどを含めたあらゆるセクシャルマイノリティを列挙しようとした場合「LGBTQQIAAPPO2S...」といった具合に無限に長くなっていくことになる。このような「セクシャルマイノリティを総称する単語」としてLGBTs(LGBTの複数形)という表記がなされることもあるが、使用は少ない。LGBTQはより包括的なニュアンスを持つ「クィア」、又は「クエスチョニング(決めかねている)」を加えたもので海外での使用例は多い。
「セクシャルマイノリティ」を身近に感じることは少ないだろうが、年齢や国籍問わず、人口の約5%の割合で存在するとされる。日本の人口が約1億2760万人(2012年度)となっており、約600万人が「セクシャルマイノリティ」であるということになる。
ただしセクシャルマイノリティの範囲は明確ではないため、この数字は調査や定義により大きく変動する。異性愛を自認している人が同性に興味を持つことは珍しいことではないし、トランスジェンダーではなくても社会の中での性のあり方(性自認や性表現)に揺らぎや違和感を持つ人も少なからずいる。多数派、少数派を包括する全ての人の「性的指向と性自認」を表すSOGI(Sexual Orientation & Gender Identity)という概念もある。
アメリカ合衆国では、LGBTQが世間に知られる切っ掛けとなった米ニューヨークの事件現場を国定史跡の解説に対してLGBTQの部分を「LGB」に変更する大統領命令が出されている。これに対して「トランスジェンダー、クエスチョニングの存在を削除しようとしている」とする抗議デモが起きている。
性的少数者の象徴として、「虹色(レインボーカラー)」が用いられることが多い。
これは、ミュージカル『オズの魔法使い』で主役のドロシーを演じたジュディ・ガーランドが両性愛者であり、ゲイに理解を示していたため、彼女が唄う主題歌『Over the Rainbow(虹のかなたに)』がゲイの愛唱歌として親しまれたことに由来する。
もともとはゲイ界隈で用いられていたシンボルだが、現在は「虹色=多様なセクシャリティを表す色」であるとしてLGBT全体のシンボルカラーとして扱われている。
近年ではここにトランスジェンダーを象徴する旗の色(水色、ピンク、白のストライプ)と人種的マイノリティを表す茶色と黒などを加えた『プログレスプライドフラッグ(Progressive Pride Flag)』があり、より包括的な多様性の象徴として用いられることがある。
近年ではこれに更にインターセックスを象徴する「黄色に紫の円マーク」が追加されたものが用いられることも多い。
様々なLGBTフラッグ
レインボーフラッグ、プログレスプライドフラッグのほか、それぞれの性的少数者の属性をあらわす旗が存在する(LGBTQの旗、いくつ知ってる?レインボーフラッグの種類とその意味)。
クィア・フラッグ、プライド・フラッグともいう。
国旗の意匠と組み合わせたフラッグも存在する(プライド・フラッグ)。宗教的シンボルと組み合わせられることがあり、強烈な反発を受ける事例もある。
「ヤスナ・グラの聖母」と呼ばれるポーランドを代表する聖母子像(聖母マリアと幼子イエスを描いた宗教画)の後光を6色のストライプから成る虹色としたもの。「レインボー・マドンナ(Rainbow Madonna)」と呼ばれている。
首都イスタンブールのホアズィチ大学で行われた学生集会で、イスラム教最高の聖地メッカとレインボーフラッグ、レズビアン・フラッグ、トランスジェンダー・フラッグ、アセクシャル・フラッグが描かれたポスター(画像つき記事)が掲示され、トルコ大統領エルドアンも反応した。
性的少数派についてきちんと科学的に研究されはじめたのは近年になってからであり(性科学などが社会的にはゲテモノとして扱われてきた側面もある)、かつては精神異常だとか動物に同性愛はいないといったような誤解が多く広められていた(実際には動物にも同性愛行為は自然に存在している)。
近代の社会は性的多数派(シスジェンダー、異性愛)であることを大前提として、基本的にあらゆる面で性的少数派の存在を考慮せずに構築されてきた。例えば「異性同士の一夫一婦」のみを認める婚姻制度や、女子トイレ・男子トイレ、男湯・女湯といった性別専用の施設、などである。
- 近年は各国でLGBTやSOGIへの配慮を謳う「オールジェンダートイレ」などの施設が登場しつつあるものの、女性たちの不快感や治安不安の原因となっている(多目的トイレの混雑を解消できる等の一般人へのメリットもあるのだが。)
かつてLGBT活動家が目指していた者は「LGBTの基本的人権の確保」であるのに対し、2020年代時点では「LGBTとしての権利と性的志向の多様化」を目指している傾向にある。
アメリカ合衆国では、連邦最高裁判所の判決で同性婚禁止が違憲とされゲイカップルが関わる代理出産が認められるなどLGBTに寛容な法制度が施行されている一方、フロリダ州では学校でのLGBTへの言及を禁じる「Don't Say Gay(ゲイと言ってはいけない)」法が可決されるなど、宗教保守派の勢力が根強い南部を中心にバックラッシュの動きも強い。 LGBTの存在が可視化されたことによる混乱や軋轢も先鋭化しており、ゲイに寛容なニューヨーク市やカリフォルニア州の各都市では半裸やドラァグクイーン、BDSMといったゲイ文化を強調したプライドパレードが行われ、保守派からは顰蹙を買っている。また、結局のところアメリカ社会はどこまで行っても富と名声が全ての実力主義(言葉を選ばずに言えば拝金主義)なので、文化人や実業家として成功したLGBTはもてはやされても、大した才能もなく富裕層でもない有象無象のLGBTは差別の対象として見られる傾向にある。逆に言えば途上国と比べると、LGBTの壁を乗り越えられるほどの富と名声を得られるスターが誕生しやすい土壌があるのだが。
アメリカのLGBTに対する根強い批判の論法として「LGBTのカップルの間の子供が白い目で見られる」というものがある。これは、LGBTのカップルも自衛のためにある程度意識しなければならない現実的な意見である。
日本社会では元々宗教的な同性愛や異性装への忌避感が薄い上、「男は男らしく」というマッチョ文化もあまりない、上記の性別専用の施設についてもトイレ限定、しかも元の理由が障害者用とはいえ性別を問わずに利用できる多目的トイレが全国に普及している等、元々LGBTQが受け入れられやすい下地が存在するとされ、LGBTをめぐる社会の分断は米国社会ほど顕在化してはいない。一方、日本会議や神社本庁など宗教保守派により海外(アメリカ合衆国や韓国)の「反LGBT」言説も輸入されている(後述)。
2010年代以降の家庭用ゲームでは、LGBTへの配慮の一環としてかゲーム開始時のキャラメイクの際に男女を選ぶ場面で性別を明言しない場合が多くなっている。
なお、一部の腐女子が自分たちがゲイの理解者だと勘違いし、日本のサブカルチャーにおいてBLが盛んなこと(過去の日本で男色・衆道文化が栄えていたことも一緒に持ち出されることがある)をもって「日本社会は同性愛に寛容」という旨の主張をすることがあるが、根拠としては弱い。BLの読者や書き手の大半は女性であり、BLの描写は現実の男性同性愛とは非常にかけ離れていることが多く、女性目線のホモフォビアを含んでいることも少なくない。
一部のゲイやマスキュリストが主張するように、「BLは女性によるゲイの性的消費」という一面は否定できないのである。
宗教が保守政治家の重要な支持基盤となっている日本や韓国やアメリカ合衆国では、保守派は反LGBTとなりがちであり、LGBTの権利擁護に熱心なのは勢いリベラル・左派のイメージがある。保守政治家と知られる稲田朋美がLGBTへの理解促進のために動いた際には、保守層からかなりの反発があった。だが、宗教保守の影響力が弱い西欧・北欧やドイツなどではそういった意識が薄く、新右翼政党とされるドイツのための選択肢は党首がレズビアンであったり、フランスの国民戦線はゲイの支持者の取り込みに積極的であることが知られる。
宗教とLGBTQ+の権利の衝突というテーマは、イスラム教やキリスト教のようなアブラハム系宗教が関連することが多いと考えられるが、日本においても神道が「反LGBT」言説の発信地の一つとなっている。だが、アブラハム系宗教のように明確な教義に基づいているわけではなく、社会的な偏見や伝統的な価値観が影響を与えているに過ぎない。
『日本書紀』に記された「阿豆那比の罪」は、江戸時代に男性同士の性行為を否定する根拠として解釈されることがあった。しかし、原文においては、神官が二つの神社に仕えた後、同じ墓に葬られると災いが起こったという記述に過ぎない。このため、同性愛を否定する根拠としては薄い。
また、神道側の一部メディアでは、LGBTQ+の権利に関する議論を補強するために、キリスト教の保守的な論客の寄稿を掲載することがある。例えば、神道政治連盟(神社本庁の政治団体)の機関誌『意』No.215(令和3年10月1日発行)では、韓国の保守的なプロテスタント信徒による、性的指向の先天性を否定する内容や、トランスジェンダーに対する教育の否定、さらには「コンバージョン・セラピー」(転向療法)推進の記事が掲載されている。しかし、コンバージョン・セラピーはその有害性が広く認識され、自殺リスクを高めるため、多くの国で違法とされている。
仏教の中でも、同性愛が五戒の不邪淫戒(よこしまな性行為をしない)に抵触するとして否定的な立場をとる僧侶や信徒もいる。学派によっては、「同性愛者と両性具有者は戒律を受けることはできない」という見解もある。しかし、仏教学者の中では「仏教では同性愛は否定されていない」というのが一般的な見解である。近年はLGBTQ+の権利を積極的に擁護する寺院や宗派も増えている。
「LGBT」という整理・体系じたいが、西洋から発信され、そして今のような形になって、せいぜい数十年程度であり、かなり新しい枠組みである。
ゆえに、神道が西洋的LGBT観への見解など元々持っているはずがない、というのが論理的帰結である。神道の関係者がLGBTという概念に不寛容な言説を唱えているとすれば、それは(日本の古い神話を喩え話に使っているとしても)理屈自体は最近になって編み出したこじつけであり、実際には西洋中心主義への反発や、思想の押しつけに対する反論という面が大きい。
そもそも、キリスト教の影響が強い西洋圏と、その他の地域では、あたりまえだが歴史が全然違うのである。
たとえば、南アジアでは第三の性別ヒジュラーが紀元前から認知されてきた。世界のジェンダー観というものは地域・民族・宗教によって多様であり、各地域は影響を与え合いながらも、結果としてはそれぞれ独自の道を歩んできたのである。ゆえに「性的少数者は長らく苛烈な迫害を受けてきた」とする歴史観じたい、西洋を中心とする地域にとっては真実かもしれないが、世界全域にとって、必ずしも真実だとは言えない。
世俗化した西洋社会が大いに反省した結果、西洋式LGBT観を世界に向けて啓蒙しようという流れはあるが、これに戸惑っている者も少なくない。LGBTQ+の理念を理解したうえで、不合理な点を指摘する者や、「社会との折り合いをどうやってつけるのか」という課題について、議論を望む者も多いが、ノーディベート戦略であしらわれたり、差別主義者のレッテルを貼られたりしがちである。
ちなみに、かつてキリスト教圏では、転向療法のひとつとして悪魔祓いを行っていたという事実がコンバージョン・セラピーが強く忌避されている理由のひとつなのだが、そんな経緯がない日本では、いまいち意味が伝わっていない。とはいえ、日本の医療関係者にとっても、強い確信を持つ性別不合の患者を説得することは、非常に困難であり、自傷行為や自殺未遂を繰り返す患者にコンバージョン・セラピーを施すことは殆ど不可能であった。日本で悩みを抱えながら暮らしていた性的少数者が、LGBTという概念に救われたケースも少なくない。
自身の状態を説明するのが格段に楽になったり、整理されたロールモデルを手に入れたことで、アイデンティティが安定する者が増えるなど、恩恵は大きかった。かくして、日本の医療従事者や当事者に、LGBTという整理・体系が受け入れられていき、その後一般にも広まっていったというのが、おおよその経緯である。
タイ等の事情
タイでは18種類ものジェンダー分類が提唱されており、「ジェンダー先進国」と言われることがある。
しかし、法律上は性別変更ができない(2025年現在)。
ではタイは"LGBTの理解を拒む、差別主義的な国"なのかといえば、そうともいえない。
タイでは「性別によって生き方を縛られにくい社会なので、性別変更する必要があまりない」と考えられているのである。
逆にタイの18種類のジェンダー分類を西洋に持ち込めば、上手く行くのか?というと、それは定かではない。
このように、世界各地の人々が、住みよい社会を目指し、模索してきた結果、地域ごとの風習や文化が育まれてきたのは当然のことであり、いわばその記録が歴史なのである。
そのため、西洋中心の普遍主義や、一方的な価値観の押しつけに反発が起こるのも、当然といえる。それどころか、西洋的ジェンダー思想の発信地である西洋各国ですら議論は決着しておらず、混乱が収まっていないのが実情である。
LGBTという言葉を手に入れたことによって、救われた当事者も多いが、個々人の本来の個性が軽視され、「LGBTらしく振る舞わないといけない風潮が辛い」という声がすでにあがり始めている。
LGBTそのものがステレオタイプ化してしまい、LGBTというジェンダーバイアスに悩まされる当事者が出現しているのである。
「LGBTよりもSOGIという概念を広めた方がよいのではないか」という意見もある。
SOGIとは、Sexual Orientation & Gender Identity(性的指向と性自認)の略語である。
SOGIE(SOGIに「表現する性」(性表現、振る舞いや見かけの性別のこと)を加えたもの)、や素自(SOGI、SOGIEの概念を漢字で「素自」と表現したもの。)等の派生の言葉も登場している。
LGBTやLGBTQといった言葉は今後廃れていくのか、それとももっと多様性を包括した言葉として変化していくのか、いずれにしても世界各地で、模索が続いていくものと考えられる。
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