その水流があまりにも少ないので、1969年の計画当初は利根川の支流「思(おもい)川」に流れ込む「大谷... その水流があまりにも少ないので、1969年の計画当初は利根川の支流「思(おもい)川」に流れ込む「大谷(だいや)川」、「大芦(おおあし)川」、「黒川」を導水路でつないで水を貯めるという大がかりなものだった。 この「思川開発事業」は独立行政法人水資源機構の計画で、2000年に変更されていた。大谷川の取水について、当時の福田昭夫・今市市長(現・衆議院議員)が4年をかけて調査報告書をまとめ、「計画された頃とは時代が変わり、もう大谷川から水を取らなくても下流域の水需要は大丈夫だ」として中止を求め、ダムの総貯水量が半分に縮小されたのだ。 ⇒【画像】はコチラ https://hbol.jp/?attachment_id=93224 さらに、「民主党政権下で2010年に始まったダム検証では、栃木県には水道事業の計画がなかったため、2012年6月で南摩ダム計画は止まっていた」と水源開発問題全国連絡会の嶋津暉
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