大ヒットゲーム「ぷよぷよ」を生んだ広島の会社 終業後の社内は沸き立っていた。社員たちが深夜になって... 大ヒットゲーム「ぷよぷよ」を生んだ広島の会社 終業後の社内は沸き立っていた。社員たちが深夜になっても帰宅せず、発売間近のゲームソフトに興じている。普段は関心のない女性社員も夢中で指を動かしていた。 1992年12月、広島市のゲーム会社「コンパイル」。初めて見る光景に、社長の仁井谷正充さん(当時42歳)は自信を深めた。「1000年先も楽しめるゲームができた」。それこそが、シリーズ累計で1000万本を売り上げるパズルゲーム「ぷよぷよ」の改良版だった。 落ちてくるスライム「ぷよ」の同じ色を4個つなげて消していく。親しみやすいキャラクターと簡単なルール、消滅が連鎖した時の爽快感は、幅広い世代の心をつかんだ。 会社の売上高は97年3月期、過去最高の約70億円に達する。そのわずか1年後だった。会社は「ぷよ」のようにはじけ、そして消えた。 従業員約50人の地方の会社でもできる 誰もが知るヒット作は、社長
2025/06/21 リンク