彫像の経年変化と物語――執金剛神像の場合 神や仏の存在というのは、どうにもあいまいである。だからそれ... 彫像の経年変化と物語――執金剛神像の場合 神や仏の存在というのは、どうにもあいまいである。だからそれを説明し、確かなものとするためにさまざまな物語が作られ、語られてきた。嵐や雷を神のさとしと考えたりするのも物語の力である。物語によって、そこに神の存在を想像し、理解していたのである。仏像や神像がいくら造られても、それが何を意味しているかを教える物語がなければ信仰には結びつかない。 であるから、極端なことをいえば宗教には物語さえあればよいのであって、仏像などの形あるものは必須のものではない。それでも日本の神仏への信仰では、彫像をつくって、それをまつり、祈りを捧げるということを積極的にしてきた。その上、像そのものに霊験が宿っていると考えてきたわけである。第六回でみたように、清凉寺の釈迦如来像が生きている釈迦なのだといわれれば、それを見に行きたいし、拝みたい。そんなふうにしてマテリアルとしての仏像
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