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新内閣発足
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松沢裕作『歴史学はこう考える』(ちくま新書、2024年9月刊)が、新書大賞2025第3位に選ばれました。なんと執筆段階では「コードネーム奇書」と呼ばれていたという本書。これまでの歴史学入門書とどこが違うのか、なぜ書かれることになったのか……。去る2024年10月17日、紀伊國屋書店新宿本店3階アカデミック・ラウンジで、『歴史学はこう考える』の刊行を記念したトークイベントが行われました。登壇者は本書の著者・松沢裕作さんと吉川浩満さんです。お二人が『歴史学はこう考える』の奇書たるゆえんを語り尽くした、その一部始終を特別公開します。 こんな本は読んだことがない 吉川 松沢裕作さんの最新刊『歴史学はこう考える』の刊行記念トークイベントにお越しくださりありがとうございます。今日は、この本の中にはあまり書かれていないことを中心として、買おうかどうか迷っている方にはこの場で買って帰っていただけるように、
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の2つの切り口から迫る徹底評論! web連載版の最終シリーズ〈詳解『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』最終回。 本連載の倍近くの未公開原稿を加えた書籍版は近日刊行予定。ご期待ください!(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) ラストシーンを読む2つのポイント アムロとシャアの政治的姿勢と心のうちに秘めた屈託。その上で、映画は映画としてラストシーンを描かなくてはならない。『逆襲のシャア』では、どういうラストシーンが用意されたのか。 アクシズは、地球へと落下を始めている。ロンド・ベル隊の奮戦で、アクシズを2つに割って落下を避けようとする作戦は成功したかに見えたが、アクシズの後ろ半分は破壊の衝撃で速度が落ちてしまい、地球への落下コースに乗ってしまう。 サザビーとの戦闘に勝利したアムロは、シャアの乗ったサザビーのコ
BNPパリバ証券チーフエコノミスト河野龍太郎氏、渾身の書き下ろし! なぜ実質賃金は上がらないのか、なぜ停滞が続き収奪的なのか……経済構造に関わるあらゆる謎が氷解する『日本経済の死角:収奪的システムを解き明かす』が、ちくま新書より2025年2月7日に発売になります。「はじめに」を先行公開します。 2024年9月27日の自民党総裁選でも、同年10月27日の衆議院議員総選挙でも論点だったのは、低迷する実質賃金の引き上げでした。日本の経済エリートは、生産性を上げなければ、実質賃金を上げることはできないと論じます。しかし、本書が明らかにする通り、日本の場合、実質賃金が上がらないのは、生産性の問題ではありません。 1998年〜2023年までの四半世紀で、日本の時間当たり生産性は3割上昇しましたが、時間当たり実質賃金はこの間、なんと、横ばいです。正確には、近年の円安インフレで3%程度下落しました。 その
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の2つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 連載版の最終シリーズ〈詳解『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』〉第3回。代表作たるゆえんを解き明かす全4回。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) アニメ業界の風刺? ここまでは富野が自らの演出術をいかに駆使して『逆襲のシャア』を語ってきたかを見てきた。では、戯作者・富野は『逆襲のシャア』でなにを描こうとしたのか。 『逆襲のシャア』ではマクロの状況(政治的状況)とミクロの心情(シャアの内面)が複雑に絡み合って描かれている。この絡み具合が、本作を類例のない作品としていることは間違いない。 まずマクロの状況を改めて確認しよう。『逆襲のシャア』は、ネオ・ジオン総帥となったシャアが、地球に小惑星アクシズを落とす作戦を実行する、という展開
2024年12月9日に、打越正行さんが亡くなられました。沖縄でいっしょに調査をし、親交の深い上間陽子さんに、追悼文を寄せていただきました。 追悼文を書かないといけないのですが、打越くんのバカ話ばかり思い出して笑ってしまいます。笑っていると、あれ、そもそも私は何を書こうと思っているんだっけと追悼文のことを思い出して、ああ、もうここにはいないんだと確認しています。 1か月近く、こんなかんじで打越くんの不在を何度も確認してくたびれてしまいました。しょうがないので、打越くんのバカ話を書こうと思います。 初めて打越くんの名前を聞いたのは、私が東京で大学院生をしていたころです。琉球大学の教育学部の数学科の学科室に打越正行というひとが住んでいて、そのひとは誰にも求められていないのに、ひとりで社会学の卒論を書いているとのことでした。 噂のひとである打越くんに初めて会ったのは、沖縄に帰省していた夏、打越くん
ヨルダン川西岸地区で園児たちの乗ったバスが燃えた。アーベドは息子を探して奔走する――。2024年ピューリッツァー賞を受賞したノンフィクション『アーベド・サラーマの人生のある一日 パレスチナの物語』(ネイサン・スロール著、宇丹貴代実訳)が1月10日より発売予定です。中東研究がご専門の高橋和夫氏に、本書の評とイスラエル・パレスチナの歴史についてご寄稿いただきました。刊行に先駆けて公開します。 2冊の本 本書には、実は2冊の本が隠されている。1冊目は、主人公のアーベド・サラーマが幼稚園に通う息子を失う悲劇の物語である。幼稚園の遠足のバスが事故にあい多くの子どもが死傷した。その中の1人がアーベドの子どもだった。そのアーベドの人生のドラマが語られる。 その主人公は、イスラエル占領下のヨルダン川西岸のパレスチナ人だ。必然的に占領という圧倒的な事実の陰で生きている。その個人史はパレスチナの現代史と重なり
突然の病により、2024年12月に惜しまれながらこの世を去った書評家の永田希さん。筑摩書房では『再読だけが創造的な読書術である』を刊行させていただいたのみならず、さまざまな場所で小社刊行書をご紹介いただきました。本記事では、文筆家の木澤佐登志さんによる追悼文をお届けします。 永田さんと直接的な面識があったわけではない。私と永田さんの関係、それはあえて言うならば「同期」とでも呼びうる関係だった。いま「あえて」と言ったのは、デビュー時期に一年以上の開きがあるからだ。私が『ダークウェブ・アンダーグラウンド』で単著デビューしたのは二〇一九年の一月。一方で永田さんが『積読こそが完全な読書術である』で単著デビューしたのは二〇二〇年の四月(ちょうど新型コロナウイルスが世界で猛威をふるい始め、日本でも最初の緊急事態宣言が発令されたタイミングだったことを覚えている)。それでも「あえて」同期と言いたくなるのは
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の2つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回からは連載版の最終シリーズ〈詳解『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』〉。代表作たるゆえんを解き明かす全4回。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 富野由悠季の代表作 映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』は、1988年3月12日に公開された。『機動戦士Zガンダム』(1985)、『機動戦士ガンダムZZ』(1986)に続く映画という位置づけで、富野にとっては初めての、総集編ではない自身の脚本による映画となる。 富野は企画の立ち上がりについて後年、次のように回想している。 疲れた上で一息ついてみた時に「『ZZ』までやってくれたけど、映画版という形だったらどう?」という話があって、「なんで映画版なの?」と言ったら「シャアとアムロの
李 琴峰『言霊の幸う国で』刊行記念対談として、シンガーソングライター・役者として活躍する中村 中さんとの対談を一挙掲載します。文学と音楽、フィールドこそ異なれど、表現者として生きること、自分の望むあり方を目指す覚悟が静かに熱く伝わってきます。ご覧下さい。 中村 新刊の『言霊の幸う国で』を拝読させていただきました。琴峰さんの覚悟を感じるので簡単に感想は言えないのですが、私がまず感じたのは、主人公であるLが栄光を手にしたはずなのにむしろ孤独になってることです。自分の住んでいた国や自分に与えられてしまった性別といった自分が望まないものから逃れて、望む自分になるために行動しているのに、栄光を手にしたことによって、逃れてきた過去がすべて戻ってきてしまう構造の無情さでした。 にもかかわらず、Lが自分は小説を書くことでそういうものに折り合いを付けてきた、いままでもそうだったし、これからも小説を書いて乗り
第40回太宰治賞受賞作にして第46回野間文芸新人賞候補作、注目の新人作家・市街地ギャオのデビュー作『メメントラブドール』を一部特別公開! 衝撃のラッシュをいますぐ受け止めてください。 「♡」 「マッチありがとうございます!」「プロフ見てよければ返信ください♡」 Tinder には菅田将暉と山﨑賢人がいっぱいいる。で、そういうのはだいたいヤれる。いまマッチしたのは通算三人目の山﨑賢人だった。 私は男としかマッチングしない設定にしているからファクトチェックできないけど、橋本環奈と広瀬すずも一定数生息しているらしい。でもそういうアカウントの裏にいるのはだいたい愉快犯の寂しい男か迷惑系YouTuber にインスパイアされたキッズで、マッチしたところで文脈も知性もセンスもないおちょくりメッセージしか来なかった、というようなことを二人目の菅田将暉が言っていた。そんなの考えなくてもわかるだろうに、実際に
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の2つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 富野監督作に通底するテーマとはなにかを探るシリーズ第2回。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 力を手にした傲慢 では‟イデ”の本題へと踏み込む物語の終盤はどのように構想されていたか。 企画書改訂稿のストーリー要約は「人類は‟イデ”の力によって、全宇宙の支配者になろうかと自負した瞬間、物語は‟イデ”の恐るべき力を見るのだった」と締めくくられている。(※1) その後に掲載されたもう少し詳しいストーリー紹介では、終盤、バッフ・クランの先発隊がついに地球へと迫ってくる展開が書かれている。 「全てを壊滅しない限り、バッフ・クランは地球の存在を、母星に知らせる。叩くしかない」 その意志の統一がバッフ・クランを壊滅する。あたかも、‟イデ
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の2つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回からはシリーズ「『イデオン』で獲得したテーマ」。その後の作品にも通底するものはなにか。全3回です。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 『ガンダム』との違い 『伝説巨神イデオン』は『ガンダム』放送終了直後の、1980年5月から放送が始まった。富野はこの『イデオン』で『ガンダム』以上に作劇に踏み込んでいく。また現時点から振り返ると、富野は『イデオン』を通じて、戯作者として追いかけていく‟テーマ”とでもいうべきものを掘り当てたと考えられる。 まず富野が、『イデオン』の物語をどのように構築したかを確認しよう。 『イデオン』のメインスポンサーはトミー(現・タカラトミー)。「戦車」「タンクローリー」「幼稚園バス」が変形合体して巨大
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回はシリーズ「戯作としての『機動戦士ガンダム』」の第2回。なぜニュータイプにこだわったのか。「戯作」とはどういうことかを解き明かします。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 前回「「ニュータイプ」が産んだ2つの顔」はこちら 「ニュータイプ」をゴールとして組み立てる ここで一度、初期設定書の段階から、ニュータイプの発明に至る足取りを確認してみよう。 初期企画案には、ニュータイプという具体的な言葉は書かれていない。しかし設定などを固めている1978年11月3日付のメモに「ラスト・メッセージに至るドラマとしてエスパーの導入あり得る」と記されてもいる。7ブロックに分かれたストーリーメモを見ても、敵役としてアステロイド・ララという1
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の2つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回からはシリーズ「戯作としての『機動戦士ガンダム』」。『ガンダム』という作品にとって、ニュータイプとはなんだったのかを考える全3回です。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 「とんでもない展開」が触発する 第7回で触れた通り、富野は第6話の後、第7話から第21話までは、ストーリー案を書いていない。 第7話から第21話は、地上へ降りたホワイトベースが北米から太平洋を越え、ユーラシア大陸を横断していく過程を描いた内容だ。第7話から第15話までは、敵の司令官ガルマ・ザビとの戦いから始まり次なる敵となるランバ・ラルの登場を描くが、各話完結のエピソードも多く含まれる。第16話から第21話までは、ランバ・ラル隊との死闘とそれが、アムロ
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回はシリーズ「到達点としての『機動戦士ガンダム』第1話」最終回。第1話はなぜ視聴者を夢中にさせるのか。その魅力を演出面から読み解きます。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 前回「〈8〉アムロをどう演出したか」はこちら 初期設定のシャア 脚本から絵コンテで大きく変わったポイントはもうひとつある。それは、アムロたちのライバルキャラクターである、ジオン軍の将校・シャアの描写だ。推測するに、おそらくシャアのキャラクター性は、脚本段階ではそこまで明確に決まっていなかったのではないだろうか。 そもそも富野が書いた「ガンボーイ企画メモ」(※1)や「初期設定書」(※2)を見ても、シャアに関する記述は少ない。7ブロックに分けて書かれたスト
李琴峰『言霊の幸う国で』刊行記念イベントとして、7月26日にプライドハウス東京で行われた李琴峰と高井ゆと里の対談を一挙掲載。 李 今回、『言霊の幸う国で』という五〇〇ページ超、原稿用紙一〇〇〇枚近い鈍器本を出しました。これだけ長い本を書いたのも、こういうテイストで書いたのも初めてでしたし、こうして日本のクィア・コミュニティ限定で、この場所でイベントをやるのも初めてです。 高井 こういうイベントをやるのは大抵書店さんだもんね。プライドハウス東京でやると聞いたとき、面白いなと思いました。 李 クィア・コミュニティとのつながりは大事にしたいと思っているんです。 もうこの本を読んだという方も、まだ読んでないという方も、読んでいる途中という方もいらっしゃると思いますが、一言で言うと、めちゃくちゃ重い本です。物理的にも内容的にも(笑)。 ざっと概要を言うと、二〇二一年の七月に芥川賞を受賞した、Lこと柳
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回はシリーズ「到達点としての『機動戦士ガンダム』第1話」の2回目です。第1話はなぜ視聴者を夢中にさせるのか。その魅力を演出面から読み解きます。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 前回「〈7〉観客を引きずり込む冒頭部」はこちら フラウとアムロ1――日常を描く 『ガンダム』第1話に戻ろう。 サイド7に潜入したジオンのモビルスーツ・ザクは、偵察を始める。パイロットの双眼鏡にひとりの少女が、隣家に入っていく様子が捉えられる。少女は、アムロのお隣さんのフラウ・ボゥで、ここから物語の軸は、主人公であるアムロ側へと切り替わる。 アムロの家を舞台にしたフラウ・ボゥとアムロのやりとりは、脚本を書く段階で星山が気を配った部分だ。星山は、スト
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回からはシリーズ「到達点としての『機動戦士ガンダム』第1話」。第1話はなぜ視聴者を夢中にさせるのか。その魅力を演出面から読み解きます。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 到達点であり出発点 富野は、1972年の『海のトリトン』以降の5年の間に徐々にその演出スタイルを固めてきた。そして『無敵超人ザンボット3』(1977)から『無敵鋼人ダイターン3』(1978)を経て『機動戦士ガンダム』(1979)に至る過程で、富野の演出スタイルは確固たるものとなる。『ガンダム』は、演出家としてのその時点での「到達点」と位置づけることができる。 また一方で、富野は『ザンボット3』で初めて原作としてもクレジット(脚本家の鈴木良武と連名)され、
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回はシリーズ「出発点としての『鉄腕アトム』」最終回。初演出作で何を描き、そこにはどんな試行錯誤があったのか。演出家・富野氏の原点を探ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 前回「〈5〉「アニメにもこれだけのものができるんだ」」はこちら 再編集の経験がもたらしたもの もうひとつ『アトム』における富野の仕事として無視できないものがある。それは「再編集エピソードの制作」である。過去のエピソードのラッシュフィルムを編集し、多少の新作を加えたりしながらも、まったく新しいエピソードを作るというアクロバットのような作業のことである。富野はこのやり方で、第120話「タイム・ハンターの巻」、第138話「長い一日の巻」、第163話「別
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回はシリーズ「出発点としての『鉄腕アトム』」第2回。初演出作で何を描き、そこにはどんな試行錯誤があったのか。演出家・富野氏の原点を探ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 前回「〈4〉演出・脚本デビュー作で描いたもの」はこちら 原作エピソード「青騎士の巻」 富野によるオリジナル脚本の4作を並べてみると、原作のエピソードをアニメ化した第179話「青騎士の巻 前編」、第180話「青騎士の巻 後編」を富野が手掛けたことが非常に自然な流れとして見えてくる。というのも、オリジナルの4作と「青騎士」は深いところでの共通点が感じられるからだ。富野は「青騎士の巻 前編」で脚本・演出、「青騎士の巻 後編」で演出を担当している(後編の
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回からはシリーズ「出発点としての『鉄腕アトム』」。初演出作で何を描き、そこにはどんな試行錯誤があったのか。演出家としての原点を探る。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 富野由悠季は、どのようにして演出家としてのスタイルを確立したのか。 例えば自伝『だから僕は…』に収録された高校時代の短編小説「猫」や、大学時代に執筆した脚本「小石」を読んでもそこに「富野らしさ」を見つけることは可能だろう。あるいははもっと遡って、中学校時代に描かれた架空のイラストの中に、架空の小田原飛行場を描いた俯瞰図があることを取り上げ、飛行機単体だけでなく運用のための仕組みにまで想像力が及んでいることと、『機動戦士ガンダム』におけるリアルなメカ描写を
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回はシリーズ「富野由悠季概論」の最終回。富野由悠季監督の経歴を時代背景とともに振り返り、アニメーション監督として果たした役割に迫ります。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 「〈2〉「アニメーション監督」の誕生」はこちら 『宇宙戦艦ヤマト』の監督の役割 まずTVシリーズの『宇宙戦艦ヤマト』では、現在行われている「アニメーション監督の職能」を三人が分担して担っていたと考えるとわかりやすい。その三人とは、西﨑義展プロデューサー、監督・設定デザインの松本零士、演出の石黒昇である。 どういう作品を作るべきかというビジョンを持ち、スタッフを先導したのは西﨑だったが、西﨑はアニメーションの映像そのものを直接コントロールしていたわけでは
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回はシリーズ「富野由悠季概論」の第2回。富野由悠季監督の経歴を時代背景とともに振り返り、アニメーション監督として果たした役割に迫ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) アニメーションに「作者」はいるか? 富野がアニメーション監督の認知に大きな役割を果たしたのは、1977年から1984年いっぱいまで続いた「アニメブーム」の時期に当たる。この時期は、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』をきっかけに、それまで子供(小学生)向けと思われていた「テレビまんが」「漫画映画」が内容的にも進化し、ティーンエイジャーの熱狂的な支持を得ていることが広く知られるようになった時期である。先述の富野のキャリアに当てはめると、1977年から1988年にか
機動戦士ガンダム、伝説巨神イデオン、Gのレコンギスタ……。数々の作品を手がけて熱狂的ファンを生み出してやまない富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 1968年生まれ。アニメ評論家。新聞記者、週刊誌編集を経て、2000年よりアニメ関連の原稿を本格的に書き始める。現在は雑誌、パンフレット、WEBなどで執筆を手掛ける。主な著書に『増補改訂版 「アニメ評論家」宣言』『ぼくらがアニメを見る理由』『アニメと戦争』『アニメの輪郭』などがある。
富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 今回からはシリーズ「富野由悠季概論」。富野由悠季監督の経歴を時代背景とともに振り返り、アニメーション監督として果たした役割に迫ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 宇宙との出会い 現在、アニメーション監督という存在が広く当たり前の存在として世間に認知されている。しかし、このような認知を得るまでには、それなりの長い時間が必要であった。そしてその中で大きな働きを果たしたひとりが、富野由悠季監督である。 富野の経歴を簡単に振り返ってみよう。 アニメーション監督・富野由悠季は1941年11月5日、三人兄弟の長男として神奈川県小田原市に生まれた。本名は富野喜幸。富野家は代々「喜」の漢字を継いでおり、喜幸の「喜」の字もそこに由
料理人・飲食店プロデューサーの稲田俊輔さんによる「料理人という仕事」。前回、料理人がどう料理を学ぶかの話をしました。それに関連して、このことだけは覚えておいてほしい「手の早さ」について、なぜこれが必要ななのかを考えます。 とある新人料理人の仕事ぶり 私がかつてお世話になった先輩の店の話です。その店は今時珍しく、結構な席数があり、オープンキッチンではオーナーシェフである先輩を含めて3人の料理人がいつも忙しく立ち働いています。ある時その店に久しぶりに食事に行くと、そこにはもう1人、若い料理人がメンバーに加わっていました。ピークタイムは外して行ったので、料理人の皆さんは、仕込みをしながら時折入るオーダーに対応しています。新人の料理人さんは、ニンニクの皮を剥いてそれをスライスする仕事を任されていました。私は自分がオーダーした料理を待つ間、その新人さんの動きが気になって仕方がありませんでした。なぜな
民主主義が機能不全に陥ってしまったとき、私たちはどうすればよいのか。民主主義のみならず、それを抑制・補完する原理としての自由主義、共和主義、社会主義といった重要思想を取り上げ、それぞれの歴史的展開や要点を手際よく紹介した梅澤佑介著『民主主義を疑ってみる――自分で考えるための政治思想講義』。同書より「まえがき」を公開します。 †空前の「民主主義」ブーム? ここ数年、「民主主義」という言葉を冠した本が数多く出版されています。その内容は民主主義を擁護するものから批判するものまでヴァラエティに富んでいます。同じ立場に立つものであっても、切り口やアプローチはさまざまです。しかも著者を見ると、狭義の政治学者だけでなく、いわゆる文化人と呼ばれるような人たちも民主主義について一家言があるようです。出版業界ではいま民主主義がブームになっているように見えます。 また、民主主義ブームは本の世界にとどまりません。
わたしたちが他者といる際に用いる様々な技法。そのすばらしさと苦しみの両面を描く『他者といる技法』(奥村隆著)がちくま学芸文庫として復刊・文庫化されました。言語哲学がご専門の三木那由他さんによる、本書の解説を全文公開いたします。 この社会において、私たちはすでに他者とともにあり、それゆえに他者といるためのさまざまな「技法」を用いて暮らしている。ではその技法とはどういったものなのか? 本書『他者といる技法』は、私たちが他者といるために用いるさまざまな技法を、ひとつの大きな枠組みのもとで体系的に論じている。 本書は全体の導入となる序章に加えて、六つの章から成っている。各章はそれぞれ独立に読むこともできるが、それとともにひとつのアイデアがすべての章を貫いている。それはすなわち「〈承認と葛藤の体系としての社会〉」(54頁)である。この社会観がもっとも詳しく説明されている第一章をもとに、ここで簡単に整
哲学者ロバート・ノージックが人生における多様なテーマを考察した『生のなかの螺旋』(ちくま学芸文庫)が刊行されました。ノージック初の文庫化です。本書の性格と著者の全体像について、法哲学者の吉良貴之氏が解説を書かれています。またとないノージック入門となっておりますので、ぜひお読みください。 本書『生のなかの螺旋―自己と人生のダイアローグ』は、Robert Nozick, The Examined Life: Philosophical Meditations, Simon & Schuster, 1989の全訳である。 著者のロバート・ノージック(1938-2002年)はアメリカの哲学者であり、長らくハーバード大学で教授職を務めた。最も有名な著作は、政治哲学上のリバタリアニズム(自由至上主義)の記念碑的著作とされる『アナーキー・国家・ユートピア』(原著1974年)だろう。ほか、認識論や心の哲学
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