寂聴さん97歳のお誕生日を祝う、寂聴さんと筆者=2019年6月、京都・嵯峨野の寂庵にて 死刑囚と共に 瀬戸... 寂聴さん97歳のお誕生日を祝う、寂聴さんと筆者=2019年6月、京都・嵯峨野の寂庵にて 死刑囚と共に 瀬戸内寂聴先生と初めてお会いしたのは、1984年だったか、連合赤軍事件の永田洋子さんの控訴審の情状証人のお願いに寂庵を訪れた時である。 永田洋子さんは1982年に一審東京地裁で死刑判決を下されていた。山岳で12名の同志を死に至らしめたのは「猜疑心、嫉妬心、敵愾心」「女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味」だとして、永田さん個人の、しかも女性特有の資質にあるとして断罪された。これに当時の心ある女性が憤り、女性蔑視判決であると声が上がった。確かにひどい判決である。しかしこれはあの当時の世論を代弁したようなものだった。マスコミもことごとく彼女を責めた。同じく最高責任者であった森恒夫さんは逮捕後年を越えることなく拘置所で自死していた。なぜいつまで生きているのだと言わんばかりに、とにかく評判
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