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●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。
●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。
●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。
●敬称略。
●おしゃべりがどうしても治りません。
●リンクは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。
●ここに書かれていることや文章の形式などはごっそりパクっても構いません。
●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。危険です。
●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。
●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。
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一つの実験として、一週間日記を書くのを我慢してみる。カネゴンの場合、日記を書くだけなら延々といくらでも書けてしまうのだけど、このままでは日記を書く以外に何もできないカネゴンになってしまいそうなので【末期の近いおれカネゴン】。Bloglinesに登録したエントリも涙を呑んで処分し、ネットと適度に距離を置かなければ。
恥ずかしいのをこらえて、力石徹がボイラー室に籠もったときのような悲壮感というかヒロイックな気持ちを自分の中であえてかき立てることにする【試合もないのにおれカネゴン】。
だからというわけではないけど、インターネットは面白すぎてはいけないのだとこっそり思う。
書店でMonaOSの本を見かけたときにふと思ったのだけど、このOSの(他のOSでもいいのだけど)のシェルのベースをいっそ最初からMacromedia Flashプレイヤーにして、Flash職人なら誰でもカスタマイズはおろか一からシェルを作れるようにしてしまったらどうだろう【日記止まらぬおれカネゴン】。
多少拡張は必要かもしれないし、セキュリティだけは事前にきっちり考えておく必要もありそう。かつ機能をモジュール化してexe並に自由に導入/削除できるようにし、モジュールの数がものすごく増えたときにモジュール同士の依存関係が後でもつれたりしないように、自然と行儀よく拡張できるようにするための仕組みも事前に用意する必要もありそう。よくはわからないけど、この辺はオブジェクト指向云々とは全然違う次元の話のような気がする。
きっと世界のどこかで同じようなことを考えている人は既にいると思うのだけど、今やカネゴンたちが目にする灰色のデスクトップ画面もエクスプローラもGUI開発画面も、飽き飽きするぐらい型にはまってしまっているのだから、ここらでこういうことをしてみたら、世界中のFlash職人が思い思いのマイシェルを作り出して熱帯雨林並に多様性がもりもり増大するだろうか。CPUパワーも持て余し気味の今日この頃、Flashさえ動けばTcl/TkやJVMなど目じゃないぐらいにあらゆるOS/携帯電話の壁を乗り越えて動作するようになるだろうし。それともそういうことをすると、プログラマーの大半がFlash職人に置き換わって給与が下がったりしてしまうから言ってはいけなかったのだろうか【貴様が先におれカネゴン】。
それでは、しばし【未練止まらぬおれカネゴン】。
日記を我慢【三日続けばおれカネゴン】。
タイトル代わりに時間を入れてみようかと思ったけど止める。
カネゴンも同じ曲で同じことを言われたことがあります【暗さに酔ってたおれカネゴン】。「まるで『死んで初めて自由になれる』みたいな暗さだよ、この曲」とも。カネゴンは人に教えてもらわないとまったく気付かないタイプなので、Joy Divisionが暗い(または怖い)のはわかるのだけど、実のところこの曲のどの辺が暗いのかがよくわからなかった【もしや今でもおれカネゴン】。
紋切り型の大好きなカネゴンだけど、誰かの日記で「官能小説は紋切り型の最たるもの」みたいな記述を見かけてぽんと膝を打つ。本物の文章名人なら、紋切り型だけを縦横無尽に駆使して官能小説を書き、しかも本来の意図を満たしながら読者を死ぬほど笑わせるという離れ業が可能なのではないかと夢想する【日記が減らぬがおれカネゴン】。
カネゴンが初めて読んだ官能小説は野坂昭如のそれだったのだけど、後に「火垂るの墓」を読んでこの人は分裂症か二重人格ではないかしらと思ったりしたことがあった。後に、官能小説家は官能小説しか書かないわけではないらしいと知り、不明を恥じる【他を恥じよとおれカネゴン】。
クラフトワークの「Computer Love(Komputerliebe)」という曲に、一箇所だけどう考えても入力ミスとしか思えない部分があるのだけど、その後のどのライブでもその通りに演奏(または再生)されているところから考えて、それで合っているらしい。
自分に負けた。
日記を減らしてみます。
↑スペルミスを修正(bunzoさんありがとうございました)。
いろいろあって、近所でやっていたマリンバコンサートを見る。マリンバとシロフォンの違いをこの年になって初めて知った。
マリンバは持続音が出ないので、奏者はトリルで持続音を擬似的に表現していることに気付き、そのことが面白くなる。トリルの音量とトリルの速度をそれぞれ変化させるだけで、一種バイオリンにも似たニュアンスまで表現していた。本来パルスなのでバイオリンとは似ても似つかないはずなのだけど、耳か脳のどちらかが勝手に音を積分しているせいで、エンベロープにローパスフィルタをかけたような滑らかなニュアンスが生まれる。これはパルスだという認識とこれは積分されたものだという認識が頭の中で衝突するのが楽しかった【曲はお留守のおれカネゴン】。
こういう「認識二重写しごっこ」または「認識ずらしごっこ」は何物にも代え難い快感だったりする。ただしあまたのドラッグと同じく、慣れによって効きが悪くなるので、その味を求めて次から次に新たな認識転覆の対象を求めてしまったりもすることのないよう注意【安いジャンキーおれカネゴン】。
King Crimson和訳集は解説が豊富。以前この日記に書いたプログレッシブロックを日本語で歌う会にも参加しているらしい。
「プロジェクトに名前を付けるのはバンド名を考えるのに似ている」というのは本当にそのとおりだと思う。名前のよしあしがプロジェクトの内容と同じくらいにプロジェクトの行く末を左右するとカネゴン信じている。MJQにModern Jazz QuartetとManhattan Jazz Quintetの2とおりがあって混乱するように、頭文字を並べたプロジェクト名は検索性が落ちることが多いような気がする。CSVとCVSはカテゴリすら違っているにもかかわらず、視覚的に非常に紛らわしい。FireFoxが当たったのは名前のおかげも大きいとカネゴン根拠もなく考えている。名前空間に詰まったら劇団のネーミングを参考にするという手も。ネーミングを支援するWebアプリケーションのようなものがあってもいいかと思ったけど、結局Google様にお伺いをたてるのが一番かもしれない。
こういう考え方はもしかすると呪術的なのかもしれないけど、呪術のエッセンスが言葉であり、人間が言葉一つでいとも簡単に動いてしまう以上、この呪術は有効だと思う【髪振り乱すおれカネゴン】。
たぶんとっくに誰かが研究しているだろうし応用もされているだろうと思うのだけど、プログラミング言語によって視覚的または美的な認識のしやすさがいろいろと異なっていることを痛感する。プロはどんなものであっても慣れなければいけないので最終的には関係ないのだろうけど、初心者や素人にとってこの違いはかなり大きいと思う【あんよは上手のおれカネゴン】。もちろん読みやすさに影響する要素は他にもあるけれど、カネゴンはそこまで言及する資格がないので。
たとえば、$や#、&という記号は、ソースにごくわずかにしか登場しない場合には視覚上のアクセントとして効果的だけど、素人目には頻繁に使用されるとかなり汚らしく見えてしまう。ピリオド(.)やかっこ、|などは比較的汚染度は低いような気はするけど、それも程度による。もっと一般化すると、ソースで記号が頻繁に使用されればされるほど読みやすさは落ちるような気がする。コンパイラやインタプリタを作る立場からすれば記号の方がユニークになりやすいので都合がいいのはわかるのだけど。
困ってしまうのは、言語を設計するプロは既にそうしたものに慣れてしまっているために、慣れていない人の立場に戻って考えることがたいていの場合非常に困難なこと。いしいひさいちの漫画にあった、王監督が「どうしてあんな球が打てないんだ!」とつぶやくシーンをカネゴンつい連想してしまう。その中でpythonやruby、HyperTalkみたいな比較的新しい言語はその辺りを多少配慮してくれているような気がする。pythonのインデントを使うやり方は視覚上とても見やすい。
それ以外に、あんまり簡単そうに見えてしまうとお金になりにくいと思われることも原因だったりしたらどうしよう。生物の進化でも同じようなことが起きているのだけど、複雑なシステムを「がんばって洗練させて簡素なものに落とし込む」のと「複雑なままさらに複雑な方向へ突っ走る」のとでは、たいていの場合後者に進むことになる。複雑なまま突っ走ることで、それについていけない人をふるい落とす役目も果たしているのだろうし【早々落馬のおれカネゴン】。
それと、洗練された簡素なシステムは周りの環境についてかなりの部分を慎重に決め打ちしておかねばならず、設計の段階で手間がかかる上に、将来の思わぬ環境の変化に意外に弱いかもしれない。場当たりの拡張を繰り返した複雑なシステムには結節点が多数あるため、何かことが起こったときにいじる余地がたくさんある。しかも複雑なシステムの方はそれまでがたぴしながら動いていた実績があるため、簡素なシステムの方がいいとわかっていても乗り換えには至らないのだと思う【話の逸れたおれカネゴン】。それにたぶん、洗練された簡素なシステムに乗り換える方がはるかに多くの犠牲を伴う。
というわけで、未来になればなるほど事態は複雑になるしかなくなる。「○○人が悪い」とか「○○主義ひとすじ」みたいに一刀両断して済ませられるすっきりとわかりやすい未来はありえないということに【駄法螺止まらぬおれカネゴン】。うう。
大衆文学の快感の一つに、義理と人情が複雑怪奇にしがらみまくってどうにもならなくなったところに、主人公が(苦し紛れに)刀一つで周りを全部なぎ倒してすっきりするというのがある【知らずに書くとはおれカネゴン】。お話ならそこで終わるのだけど、現実には続きがある。誰もが一刻も早くすっきりしたくて仕方がないと思っているにもかかわらず、誰もそれを手に入れられないことを痛感。
一人で家を片付けてすっきりする【晴れ晴れするとはおれカネゴン】。
かなり昔にあった「バグニュース」という雑誌(その前身の「遊撃手」という雑誌は読んだことなし)に載っていた精神科医のインタビューに、一つ興味深いことが書いてあった。結構有名な話だと思う。
それによると、妄想は常に最新のテクノロジの流行に敏感であり、しかもテクノロジを最初に予言することがしばしばあるという。明治時代に松沢病院?の患者さんが、早くもテレビのようなものを妄想で考案していたのだそうだ。まず患者さんが妄想し、それを作家が小説にし、それからエンジニアが実装するという順序があるとのこと。最近は妄想した本人がいきなり実装するということもあるかもしれないけど。
NHKスペシャル「明治」を半分ほど見る。明治初頭の建白書募集は、誰が応募してもよかったというのを初めて知る。この企画を今実施したら物凄く盛り上がることは間違いないような気がする【おぬしは没のおれカネゴン】。今やるとしたら、ずっとその制度があるのではありがたみがないので、10年に一度(できれば50年に一度)ぐらいにし、その年は10年の垢を落とすためのお祭り騒ぎの年とすることにしたら、いつまでも若くつやつやとしていられるだろうか。後、建白書にはメリットとともに必ずデメリットも書いてもらうようにすること。こういうことをするためのRSSかと思ってました。
教育TVでゾウリムシの接合の映像が流れていた。映像の完成度が非常に高く、不覚にもうっとりするほどエロいものを感じてしまう【辺りを見回すおれカネゴン】。
ゾウリムシの性の研究のパイオニアも発見。
ゾウリムシは接合後、約50回細胞分裂しないと次の接合ができない。また接合させないでおくと、六百数十回ほどの分裂で、老化して死んでしまう。このことから「ゾウリムシは接合によって若返る」と言えそうだが、じつは「接合しないと年をとって死ぬ」が正しい。年をとってからだと、若返るどころか接合することで死んでしまうからだ。
ゾウリムシの腹上死。
(中略)しかしここで、もう一つの性の意味を考えてみたい。
ゾウリムシに見られるような、形質や遺伝子の相性とは別に接合の相手を制限する能力が、どういう意味を持つのか。そうした性的隔離がなかったら、異なる環境に適応して生物の多様性が現れても、それは可逆的であって、原則的にはいつでも元にもどれる。したがって、性的隔離がないと、同じ場所に多種多様な生物が共存し、生態系をなすこともなかったはずである。
つまり性には「後戻りしない」進化の戻り防止弁としての役割があるということらしい。生命について調べるとよくお目にかかる「非対称性」がここにも。
今朝のNHKに映っていた宇崎竜童と阿木耀子が二人ともまったく老けていなかったことに驚く。
本多勝一の例の本で、文章における形式上の「紋切り型」を執拗に責めたてていたのが気になる。たった今も使ってしまったぐらいカネゴンは紋切り型の表現が大好きで、隙あらば使ってみたくて仕方がないほどだったりするのだけど、なぜそんなに紋切り型がいけないのかが逆にわからなくなってきた。新聞記事で変に独創性を発揮しなくても、競馬新聞や株式新聞みたいに事実とデータだけ掲載していれば、紋切り型どころかどんな余分な文学的表現も入る余地はないと思うのだけど、そういうことを言ってはいけなかったのだろうか【砲撃目標おれカネゴン】。
「日本語は世界で最も美しい」「いやそういう考え方は間違っている」というやりとりはサインカーブ並に周期性をもって勃発するけど、単に日本には日本語にうるさい人が多いというだけだったりしたらどうしよう。もしかするとヨーロッパみたいにいろんな言語が入り混じっているところでは、滑らかな翻訳とかそういうものをはなから諦めていて、そんなものよりテレパシーの方が欲しくて仕方なかったりして。
文書化された世界最古のプログラムは何だろう。プログラムを「段取り」と考えれば、古代における祭祀の次第だったりするのだろうか。世界初の条件分岐は「凶と出た場合は乙女をいけにえにする」だったらどうしよう【それが趣味とはおれカネゴン】。
カネゴン実は風忍の漫画を笑いながら読んだことが一度もない(小池一夫ならあります)。今でも激しく真剣に面白いと密かに思っていて、風忍がひどく真面目な性格であることにも共感を覚えるのだけど、検索するとほどんどのサイトでネタ以上の扱いを受けていないのが心苦しい。もしかするとカネゴンが間違っていたのでしょうか【皆はとっくにおれカネゴン】。
山形さんが復活させたThe Skeptic's Dictionary 日本語版。
ドラえもんデータベース。このサイトでは他にもデータベース化が進行中。
町山さんの電波喫茶思い出話。この日記でも以前引用させてもらったことがありました。電波系という言葉を使ったのは根本敬が先か渡辺和博が先かという議論があったけど、渡辺和博が使った言葉は「毒電波」だったはず(本人の考案かどうかは不明)。そのタイトルで1980年に漫画を描いていたので。根本敬のデビューは1981年。
岡崎京子による引用・言及事例集。実は岡崎京子は読んだことがなかったりする。
MASTERキートン絶版の理由。アクセスが集中しているせいか重いです。
日本を次のように4つか5つに分け、成人したらどこに属するかを自分で決められるとする。ただし後からは所属を変えられないとする(自由に変えられるようにしてもいいけど)。
そして100年ほど経過したらどこが栄え、どこが衰えるのか、ちょっと知りたい。
ちょっとくたくた。
あそびをせんとやさんの格子を斜めにたどる話。格子を見るたびにこれに近い強迫観念を感じていたことに気付く。
みなさんは、中学校のときにスクラップブックに何を集めてましたか。
昔の常識。
カネゴンは幸いにも体罰教師に巡り合ったことはなかったのだけど、中学校でもらったバレンタインのチョコレートを放送室でこっそり食べていたら突然防音扉を開ける音がしてカネゴン慌ててチョコを隠したにもかかわらず、カネゴンの口の端っこにチョコがしっかり付着していたのを入ってきた先輩に見咎められて顧問の先生に密告され、たっぷり一時間油を絞られたことはあった【悪は栄えぬおれカネゴン】。
id:nucさんから集合論の回答をいただく。ううありがとうございます。苦し紛れに指名してしまってすみません。集合論のスコープがわからなかったもので。
ついでにメモ(文の組み立てがおかしいけど今直す気力がないので)。たとえば「すべての日本文の集合」と「すべての英文の集合」を仮に考えたら、どう考えても一対一対応ではなく一対多対応になってしまうので、せっかく有限なのに集合っぽくなくなってしまうのではないかと昨日思った。「すべて」とあるからにはどんな文章もそこに同時にあるということだと思う。時間の凍った静的な世界というか。ところでそのことを横に置いておくとすると、翻訳が行われるより前の時点では一方に対応する他方はそれまで存在しなかったことになるので、数学において考えたくもない時間の前後関係を考えなければいけなくなり、ますます集合っぽくなくなってしまうような気がする【支離が滅裂おれカネゴン】。
「今後製作されるものも含めたすべてのホラー映画の集合」という言い方は許されるのだろうか【しつこいだけとはおれカネゴン】。無限集合ではないとぴしゃりと言われそうではあるのだけど、もしかしてそうでなく、未来永劫13日の金曜日の続編が製作され続けることがあるとしたらどうしよう。なぜか無限の話に時間が登場しないのだけど、そういう不埒なことを考えたら逆さハンダ付けの刑なのだろうか【刑だ罰だとおれカネゴン】。
考えてみたら、ユークリッドの昔の静的な世界に限らず、数学は時間を扱ったことはなかったのかもしれない。数学で行われたのは、時間じゃないパラメータと同じように時間を抽象化して扱うということで、時間そのものについては何ら関知していないのかも。いやその無理に関知しなくてもいいです【マッチとポンプのおれカネゴン】。
本多勝一「日本語の作文技術」(asin:4022608080)を途中まで読む。少なくとも努めて実用的に書こうとしている。参考になったこと:
以前から、どういうタイミングで「ニッポン」と書くのか今ひとつわからなかったのだけど、それをはっきり書いてあるのを見たのは初めて。動植物の名前が片仮名なのとは違うということで。
途中から、いかにもレフトウィングな感じの勇ましげな例文が大量に使用されていて、暗示に弱いカネゴンは自分にその口調が移らないよう必死で耐える。この本も、今や間尺に合わない応報を受けているのだとしたらどうしよう。
たまに何かのはずみで、何十年も前の雑誌の読者欄を読んだりすると、その内容が今ではありえないほどに素朴で驚かされることがある。今の雑誌の読者欄も、十数年後に見たらやっぱりそう見えるのだろうか。
坂本龍一が「昔のぼくは、ものすごく高度に構築された音楽が偉いと思っていたけど、最近は聴いてて面白いことが大事だと思えるようになった。面白いってのは、毒があるってことなんだけど」とインタビューで語っていたことがあった。
それも今や昔の話で、毒があっても面白いとは限らない、つまり「毒がある⊃面白い」という包含関係があることがだんだんはっきりしてしまっていたりして。誰でも手軽に毒を放出できてしまう今は、毒があるというだけでは何のありがたみもない段階に到達してしまったのかも。人類もいつの間にか進歩していたというかカネゴンが取り残されているというか。うう何を言ってるんだろう【忘れて眠れおれカネゴン】。
とは言うものの、毒は毒なので、やはり摂り過ぎたら毒になる【変な文とはおれカネゴン】。
はてなに引っ越してから、以前のようにGoogle検索結果から迷い込んでくる人が激減していることに気付く。これはたぶん、以前の日記はひと月という長い単位で、しかも何一つ一貫性のないはちゃめちゃなことばかり書いていたせいで、いろいろと意図しない検索結果を引き起こしていたのではないかと【Google汚すおれカネゴン】。一方はてなの場合基本が1日単位なので、検索対象が狭まって結果がそれだけぶれにくくなったのだろうと推測している。
ということは、以前の日記はMetaタグによるジャンプのために残してあるのだけど、そのままでは社会迷惑甚だしいので少なくとも本文は一日も早く削除する必要があったのかも【配慮至らぬおれカネゴン】。存在自体が迷惑だったとは。うう。
消しました。
# hyuki 『「集合論の対象にできない事象の集合」』
# うりかねぐん 『一本取られました! 自分の尻尾はウマイ。』
# no-name 『恥ずかしながら真剣にお尋ねします.集合論にとって「集合論の対象にできない事象の集合」って,結局存在しうるの?存在し得ないの?
まるで,整数論におけるゲーデル数ではないですか?!』
# aochi 『「厳密に位置が(x,y,z)で運動量がqである電子の集合」というのはどうでしょう。と、いきなりお邪魔しました。』
# うりかねぐん 『わからなくて聞いてみたので、私にも回答がありません(泣)。ふと思ったですが、どんな種類の集合論なのかを書かなかったので、それを書かないと意味がない質問だったのかも。恥ずかしや。』
# うりかねぐん 『nucさん (http://d.hatena.ne.jp/nuc/) なら何か知ってそう。』
# no-name 『>> うりかねぐん さま
ああ,お分かりではないですか,残念.リンク先のご紹介,ありがとうございます.だけど,いきなり質問しに行くのはちょっと気が引けます.とりあえず,hyuki さまの再臨を願うことにします.
>>aochi さま
それは単なる空集合ではないかと.』
# Summerteeth 『>>整数論におけるゲーデル数
これは「ラッセルのパラドックス」のことではないでしょうか。一般向けの公理的集合論の本では、竹内外史の「集合とは何か」(ブルーバックス)がとてもよいのでお勧めします。公理的集合論ではどんな集合でも扱いますが、集合に含めると矛盾がでてくるようなものを含めた集まりを「クラス」と呼んでいます。これ以上はあよくわかっていないので、あとは各自学習。』
# no-name 『
すみません,大変混乱したコメントを書いてしまいました.確かにあれはゲーデルではなく,ラッセルのパラドクスでした.少し長くなりますが,私の疑問をまとめさせていただきます.どなたか Yes / No でお答えいただければ幸いです.
1.以下の理解は正しいでしょうか?
「素朴集合論は,ラッセルのパラドクスなどのために,不可避的に内部に矛盾を含む.そのために集合論で取り扱う対象を厳密化,限定することで,無矛盾である公理的集合論が生み出された」
2.ラッセルのクラス理論は,果たして現代でも通用する理論なのでしょうか?
ゲーデルの不完全性定理は「ラッセルの言うようなクラス分けは原理的に不可能である.なぜなら,厳密に定義された公理系の内部にも,自己言及を行ってしまうような命題が存在しうるからだ」というものだと理解しているのですが.
3.以下の理解は正しいでしょうか?
「ゲーデルの不完全性定理によって,十分に強力な公理系は無矛盾性を証明できないことが示された.よって,公理的集合論の無矛盾性も証明できない」
4.以下の理解は正しいでしょうか?
「集合論はこのようにごたごたしているので,少なくとも集合論で扱えない(扱うと矛盾が生じる)事象が存在することは間違いない.うりかねぐん さまの推測は正しい」
本当に長くなってごめんなさい.この機会にどうしても知りたくなってしまいまして.』
# うりかねぐん 『この日記の内容からは想像もつかない展開に(笑)。おろおろしてます。Wikipediaの「公理的集合論」のあたりにそれっぽいことが書いてました。
自分としては、ねずみの婿にふさわしいのはどんな理論なのか知りたかっただけなのですが(http://www.aozora.gr.jp/cards/000329/files/18335_11944.html)。』
これまたsvnseeds氏に貸してもらった大著「ヤクザが消滅しない理由。」(asin:4900138762)をやっと読み終わる。日本での出版を片っ端から断られ、英国でも日本の右翼の工作によって一度廃刊になったらしい。
時は流れ。
創刊当時のアスキー(70年代)に、自分が所有するAppleIIはゲームにしか使われていないのに知人のAppleIIは常に稼動していてうらやましいという文章があった。知人というのは研究者らしく、ミニコンにかけるデータを前処理したり論文を書いたりと休む暇もなく動いていたとあった。もちろん当時はネットどころかパソコン通信もなく、メモリも4kが標準の頃。モデムが数十万円もし、音響カプラでピアツーピアがやっとの頃。
カネゴンが繭(大学)の頃、いろいろあってアパートの電気を止められたことがあり【ガスも止まったおれカネゴン】、実家に救援を求めるためにその状態で電話をかけなければならなくなったことがあった。当然ながら電気と電話は電源が別供給なので電話線自体は生きていたのだけど、持っていた留守番電話に電力がこないので、ボタンを押しても発信されない。ただし受話器を上げるとトーンは聞こえる。
内心焦ったカネゴンは、大昔に読んだ図鑑と電電公社のパンフに書いてあったステップバイステップ式電話交換機の原理とアナログ電話機の原理を必死で思い出し、もしかするとこの状態でも電話がかけられるのではないかと思いつく【部屋は真っ暗おれカネゴン】。
アナログの黒電話は、フックを上げると回線がつながってトーンが聞こえ、ダイヤルを回してから戻るときにそのトーンをパルスで区切る。パルスはダイヤルの数に応じて発信される(「0」はパルスが10回)。パルスを1つ送る、つまりダイヤル「1」を回すということは、フックを1回指で押してすぐ離し、回線を一瞬だけ切断することと同じはず。つまり、番号に合わせて素早くフックを押し、番号と番号の間に適切な待ち時間を置けば、原理的には電話をかけられるはず。
闇の中、カネゴンは番号に合わせて必死でフックをクカカカと押しては1秒待ち、クカカカクカカと押しては1秒待つことを繰り返す。遠距離電話なのでゼロが多いのが恨めしい。真夏の夜で汗が止まらない。何度か試行錯誤の末、見事に電話が通じる。この喜びを誰かと分かち合いたいばかりに電話の向こうにいる親にそのことを話した直後雷を落とされた【わしらの代わりにおれカネゴン】。
当然ながらISDNなどのデジタル回線ではもうこの手は使えないのだけど、以前何かで、プッシュホンのトーンを歌で再現して電話をかける双子の女の子というのが米国にいるという三文記事を読んだことがあった。音程の悪いカネゴンにはできない技。
プッシュホンのトーンは、楽器のエフェクターとして有名なリングモジュレータで生成する。ボタンの縦軸と横軸に、それぞれ異なる周波数のサイン波が割り当てられていて、ボタンを押すと、2種類のサイン波をリングモジュレータで変調した音(2つの音の和と差の合成)が生成される。プッシュホンにはリングモジュレータ専用の小さなICが搭載されていて、型番を思い出せないけどTiのLC777とかそんな感じだったと思う(調べたらLM565だった)。
このICを使って楽器用のリングモジュレータを冗談で製作する記事がロッキンfに掲載されたことがあり、カネゴンも高校生の頃に一度作ってみたことがあった。本来のリングモジュレータは、4つのダイオードを文字通り輪になるように接続するというものなのだけど、ノイズを打ち消すための調整が非常に面倒くさいらしいので、ICの方が楽だとのこと。
30分ほどで完成し、駆け落ちした知人に1万円で売りつけられたギターを接続。原音と完全にかけ離れた音になるのがかなり面白かったけど、音程はめちゃくちゃになるので曲を演奏するのは無理とわかる。ハーモニクスを弾くと鐘の音みたいになったりした。製作費は500円ぐらい。
後にキングクリムゾンの名作海賊版「アースバウンド」(asin:B00006JJDF)の復刻版を聴いたとき、最後の曲「グルーン」は曲全体をVCS3というシンセサイザーに通したと解説に書いてあったのだけど、聴いてみたらもろにリングモジュレータによる変調だった。
昨晩svnseeds氏に聴かせてもらったアート・テイタムのCD(asin:B00006F2WX)を貸してもらう。今までは出所の怪しい1000円CDを1枚持っていただけ【それで書くのがおれカネゴン】。
今改めて聴き直しても、もう超絶技巧だか何だかよくわからないぐらいのはじけっぷりに感動を通り越して恐怖すら感じてしまう。多少ピアノをかじったカネゴンにも、正直どんな細かいことをしているのかまったく見当がつかない。しかも、ピアノソロのはずなのに、鐘の音とかベースの音としか思えない音色が出し抜けに飛び出す程のコントロールっぷり。何より、この超高速のテンポでストライド奏法をやろうとしたら、慣性に逆らって左手を左右に動かすだけで大仕事。彼の巨体で手の慣性を押さえつけないと身体が手と逆に振られてしまいそう。
何で読んだのか忘れたけど、あのオスカー・ピーターソンもピアノが上達し始めた頃、増長せぬようにと父親がアート・テイタムのレコードを聴かせ、あまりのショックに三日間ぐらい飯が食えなくなったみたいなことがあったとか。何にしろ、こういうのを聴くとゴルゴ13みたいな人物がいても不思議ではないと思える。
それでいて、天才的な人に皆が期待するような痛々しさや悲壮感がまったくなく、誰でも気楽に聞き流せるところがうれしい。「皆さんどうかおひねりをよろしくお願いしますよ」という自分がおまんまを食うための正常なサービス精神を感じてしまう。
たとえ嵐が吹こうとも
たとえ大波荒れるとも
飛び立とう闘いの海へ
飛び込もう闘いの渦へ
見つめ合う瞳と瞳
ぬくもりを信じあう
5人の仲間
ボルテスVにすべてを賭けて
やるぞ 力の尽きるまで
地球の(地球の)夜明けは(夜明けは)
もう近い
色川武大が「怪しい来客簿」の「たすけておくれ」の冒頭で紹介していた、強烈な印象の話。例によって記憶から丸引用【二重引用おれカネゴン】。今回はあんまり自分の考えではなかったりする。
能「善知鳥(うとう)」はこんな話:
ある所に暮らしていた猟師は、家業に励むことこそ大事と教えられ、来る日も来る日も鳥を撃って暮らす。しかし猟師は、死んだ後に殺生の罰として地獄に落ち、鳥が流す血の涙に溺れて苦しみぬく。亡霊となった猟師は旅の僧に助けを求める。殺生がいかんというのならなぜ自分はそれを知らされずに育ってしまったのか。家業に励んだことがなぜいけなかったのか。「助けて賜べや御僧、助けて賜べや御僧」(坊様、助けてください、助けてください)と猟師の亡霊が泣き叫んだところで、ふっと話が終わる。
ハリウッドで映画化されることはまずないだろうけど、カネゴンはこの話を思い出すたびに胸が締め付けられそうになってしまう。正しいと信じてきたことにただひたすら邁進し、露ほども疑いを抱かなかったにもかかわらず、こんな理不尽な報いを受けるということは実際にはいくらでもありうることで、それというのも、この世は人間の都合だけでできているわけではないからかもしれない。それはわかっていても、そのことはやっぱりカネゴンの気持ちを重くする【軽々暗示におれカネゴン】。
およそこの世にいるどんな人であっても、何か一つや二つぐらいは無条件に信じている前提を自分の信念の底に置いているはずで、まずひっくり返されることのない基本的な物理法則をその前提に据えているような奇特な変人は別として、人間が設定した条件という移ろいやすいものをその信念の底に無条件に据えていた場合、この猟師と同じ理不尽さを何度でも味わう可能性が常にある。たとえば、勉強に励むことこそ大事、とか。これと同じ必死の叫び声を心の中で密かに上げている人は、日本だけでどのぐらいいるのだろう【よくて一億おれカネゴン】。
教えてほしい。どうして自分の国が褒められると自分が褒められたような気がし、どうして自分の国がけなされると自分がけなされたような気がしてしまうのだろう。集合論で説明するのは何だかおかしいような気がする【見当あたらぬおれカネゴン】。
ノミ行為の検挙数が激減しているのは、ネットや携帯で馬券が買えるようになったからかもしれない。
# monikura 『その歌、わたしも今日1日歌ってました!
びっくり。』
# うりかねぐん 『予想外の精神同期ですね。』
# 蓮風 『「善知鳥」の話、ぐつと來ました。
まあ、そのような不條理さ、パラドキシカルなことを心の中で思つてたりするからですが。
ま、ひとが生きるとは多かれ少なかれそんなもんなんでしょうなあ。』
# yabu 『いつも楽しみに読ませていただいてまっす。
囚人vs.看守の実験は、1975年のスタンフォード大ジンバルドーの実験ですね。最近だと、斎藤 環『「負けた」教の信者たち』でも紹介されています(pp.160-161)。』
# hyuki 『そういえば、映画化されていましたね。http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD33571/』
# keke2003 『 はじめまして。
こちらでbloglinesの魅力に惹かれ、導入してみましたが、肝心のこちらのサイトが拾えません。はてなの他のサイトもいくつか登録していますが、それらは正常に拾えています。何か特別な設定や呪文があるのでしょうか?お分かりになるようでしたらご教授いただけるとありがたいです。』
# うりかねぐん 『keke2003さん:
わたしのところでは自分のページを登録できました。何がおかしいのでしょう...個別のページではなく http://d.hatena.ne.jp/hachi/ を登録しないといけないとか。』
# うりかねぐん 『yabuさんhyukiさん、情報ありがとうございました。
この実験を思い出すたびに、戦慄と同時に、人間の正体って人間の中にないんだなあという気がしてしまいます。』
# no-name 『この実験,私も確かにどこかで読んだと思ったのですが,よく考えたらカネゴン先生の過去日記でした.仕事の現実逃避の一環として,探してみました.
http://d.hatena.ne.jp/hachi/20001118#p7
ここの「こわい実験」というニュースです.リンクは切れているので,Web Archive を貼っておきます.
人はなぜ悪魔になるのか――「人間動物園」が示唆するもの
http://web.archive.org/web/20010420161658/http://journal.msn.co.jp/worldreport.asp?id=001117ns_zoo&vf;=1』
# うりかねぐん 『やっぱり自分で書いて忘れてたんですね。もうしょっちゅうです。』
# keke2003 『>わたしのところでは自分のページを登録できました
ご確認ありがとうございます。しかしながら当方ではやはりうまくいきません。
登録はできるのですが、スクリプトエラーでトピックが表示されない状態です。気になるのは登録するとタイトルが”あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にぼbr> あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記
”という風に化ける?ところです。IEの設定でしょうかしら?。』
# うりかねぐん 『IE の設定かと思いましたが、この日記だけだめということは、日記のタイトルが長すぎるせいかもしれないですね。根拠はないですが、特定の2バイト文字が原因とか?』』
# あらきけいすけ 『(こちらでは)はじめまして。遅ればせながら、はてなへの引越し完了おめでとうございます。
ここ読んでるみなさんの頭〈声〉がどんなものか訊いてみたいですね。(リンクいただいた後で大山のぶ代にちゃれんじしてみました。カンパリみたいなクセの強いお酒をそれと知らずに口に含んだときのような気分になれました。)』
# うりかねぐん 『あらきさん、ありがとうございます。いつも日記など楽しく拝見しています。
メールを読むときでも、つい相手の声色と口調を頭に思い浮かべてしいまいますが、それと同じなのかもしれないですね。』
# keke2003 『bloglinesで表示されない問題はこちらで明らかになりました。
http://sonic64.hp.infoseek.co.jp/2005-05-13.html#2005-05-13-1
(オレンジニュースさん経由)
理由がわかって胸のつかえがとれました。』
# うりかねぐん 『「長いタイトル」うんぬんはあてずっぽだったのですが、本当にそうだったんですね。ご迷惑おかけしました。
私自身は、Bloglines の項目を今後思いっきり絞り込もうと思ってます。』
# ごまたん 『だれの説かんなこと重要でないとおもうので省きますが人間の精神(生きとし生けるもの全て)は実は無意識の奥底ではまるでネットワークのように繋がっており、個人の精神の上部に地域の精神、地域の精神の上にその県の精神、県の精神の上にその国の精神とピラミッド構造になっているとかいないとか。
それで国が褒められるとそれに属している者は自分が褒められているような気になるのでは?とかなりオカルトチックヽ(´ー`)ノ』
# ごまたん 『アイヒマン実験・・・。
結局人間って与えられた役割を演じるだけの生体機械。って結果をだしたくなるよな実験とその結果ですな。
だからこそいい暗示を、いい役割を与えたい、与えられたい、自分自身に与えてみたい。』
Bloglinesの登録を半分以下に減らそうと思う。以前のアンテナの内容をほぼそのまま持ち込んだところ、以前はいい加減に上の方から5つ6つ拾い読みしていたに過ぎなかった各サイトの更新分が、Bloglinesでは怒涛のように押し寄せてくるようになって、情報が耳からはみ出しそうになったため【滅私飽食おれカネゴン】。
昨晩寝付けなくて、何とかして眠気を誘おうともがいた末、以前何の気なしに買った、仏陀が直接語ったことを文字にした本 (asin:4003330218)を少し読み返すと、当初は普通のことを普通に書いてあるようにしか思えなかったにもかかわらず、突如「第22章 学問」の内容がカネゴンに不意打ちを食らわせる。大変に耳が痛いというか、数千年の時を越えてこっぴどく叱られたような心持ち【わしらも畏れるおれカネゴン】。原典も完全な状態でないのか、行が重複していたり、小さな矛盾はあったりするけど、それは旧約聖書も同じなので。
翻訳を行った中村元氏の、原典をきっちり現代日本語に仕上げるという気の遠くなるような作業に改めて恐れをなしてしまう【読むのは半端なおれカネゴン】。本人はどんな宗派にも属していなかったとのこと。日本の場合たぶん中国の影響でお経が長らく漢文のままだったので、訳のわからないお題目としてしか響かないのが普通なのだろうけど、東南アジアの大半(と英語圏も)では随分前からこういう経典は日常語として普及定着していると後書きに書いてあった。本人はおそらく探究心の赴くままにこうした作業に熱中するという一番幸せな人生を歩めたんだろうと思う。
それにしても、禁欲を強いるというイメージが未だに強い仏陀が、(巧妙に隠してはあるものの)実はナンシー関にひけをとらないほど頓知の利いた教えを残していたとは夢にも思わず。想像するしかないけど、原文はとてもリズミックなのだろうとも思わせる。もしこれを谷川俊太郎または桑田佳祐クラスの詩人が全面的に書き直したら恐るべきパワーを発揮するかもしれないと夢想してから墜落睡眠【真っ逆様におれカネゴン】。
川内康範と並んで仏教に通じている劇画原作者滝沢解の「女犯坊」という漫画に「貴様らのような禁欲で萎え果てた糞坊主共には一生わからんだろうが、仏は決して去勢された存在にあらず。むしろ仏こそ性欲と精力の最高位なのだ」みたいなセリフがあり、そのことがずっと気になっていたのだけど【しつこい者とはおれカネゴン】、上の本で性欲の滅却がしきりに説かれているのは、性欲を全否定しているのではなく、性欲に限らずそういうものに囚われたままだと本当にしたいことができないままになるからコントロールしなさいということなのだろうかとふと思う。数千年前にはネットもゲームもなかったので、こういうつまづきの元と言えば性欲と博打ぐらいしかなかったのだけど、今ならドラッグやパチスロなどその手の中毒性の高いアイテムには事欠かないので、そこのところを読み替えないといけなかったりして。
仏陀の場合、数学の論文と同じで途中経過がなく結論だけを説いているので、そこにいたるまで強烈な性欲とどうやって格闘したのかはわからずじまい。ケプラーみたいに途中の計算をしくじりも含めて全部残していてくれるとよりいっそう親しみが持てたかもしれない。見ようによっては仕様書とソースが失われたバイナリ状態なのかも。誰かが強力な人間ディスアセンブラとなって結論から途中経過を復元したりしないだろうか。もしかすると仏典が半端でなく多量なのは、当時から人間ディスアセンブラ達が大活躍していたからなのだろうか。
他には、「悪い友達と付き合ってはならない」ということも繰り返し強調されていた。カネゴン自分がその悪い友達だったらどうしよう。
名前は違ったけど、カネゴンが小4のときにこれと非常によく似たアイディアのシステムを「6年の科学」の特集で読んだことがあった。確か新型交通システムとかいう通産省っぽい名前だったと思うけど正確には思い出せない。ポイントは、観覧車のゴンドラを小さくしたような乗り物(2人乗りぐらい)には動力がなく、道がベルトコンベア状になっていて、今で言うとパケットのように乗り物が運搬されるというもの。コンベアで運転されるので原理的に衝突がありえない。地上に作ると既存の交通機関とかちあうので、モノレールのように道の上を走らせるというプランだったらしい。その特集ではルーティングについてはまったく言及していなかったけど、カネゴンも当時、乗り物が分かれ道に来たらどうやって方向を変えるのかとか、前に乗った人が車内を汚しまくっていたらどうするのだろうとか、車内で男子高校生が暴れたらゴンドラがごろりと転がり落ちたりしないだろうかが凄く気になっていた【後だしじゃんけんおれカネゴン】。
御多分にもれず、高橋がなりの人生相談をつい読んでしまう。この人の回答は、いい意味で文芸臭さがまったくなく、橋本治以来型にはまりまくった毒舌型人生相談とはまったく違うものになっているのがいい。それでいて社長臭くもなく、必ず行動につながるように回答している。自分では書かずに秘書が聞き書きしているらしいので、文体などについてはもしかすると秘書の功績なのかもしれないけど。
後二、三回ぐらい覆される予感。先日カネゴン家に遊びにきた元ニュートラルのマスターは、「がんが増えているんじゃなくてみんな異常に長生きするようになっただけだろう。がんの治療法が確立してしまったら、一体何(なに)で死ねと言うんだ」と言っていた。
日曜プログラマー応援サイト「スンマ」。カネゴンの身の丈に合っていそう。
ミュージックコンクレートみたいなものは別にして、トリガーによって非楽器音をインタラクティブに演奏する、世界最初のサンプリングは(メロトロンなのでアナログだけど)ヒカシューの「20世紀の終わりに」だとカネゴン何となく思っていたのだけど、この表ではJamsとSugarhill Gangという知らないラップグループが元祖ということになっている。
第9回手塚治虫文化賞をComics Reporterで先に知る。
遊園地にある迷路みたいな感じで、途中の分かれ道に表示されている設問に応じてひたすら道を進むと、出口に「あなたの適職は○○です」と書いてあるような施設があったら大繁盛するだろうか。もちろん問題と迷路は究極に複雑かつ精密なものにし、しかも増築改築を激しく繰り返すこと。
# hyuki 『頭音にコメント。『ポーラーエクスプレス』ではスタンダードなクリスマスソングが割れたスピーカーの音で出てくるシーンがありました。とても物悲しい。』
# うりかねぐん 『この映画は未見でした。割れたスピーカーと言えば、色川武大のエッセイで、子供の頃学校をさぼって見世物小屋に忍び込んだとき(戦時中)の、今よりも遥かに劣悪なスピーカーから流れる音楽を描写していたことがあり、聞いたこともないのにそのうら寂しい音が聞こえてきたような気がしました。』
# no-name 『適職決定のアルゴリズムについて,考えてみました.
もし本人の利益を最大化させる職業を選ぶなら,ほとんどの人が「バカ社長.仕事は部下に任せてゴルフ三昧」なんて選択になってしまう.どう考えてもこの選択は実現性が低く,万が一実現しても安定的でない.
現実的な解を得るためにはどうしても,全体の利益を最大化させなければならない.そうすると結局,本人の労働力を労働市場に提供して,パレート最適を図るしかない.
すると必然的に,面白くてやりがいのある仕事は,一部の適性のある人々に独占されてしまい,大多数の何の適性も無いわれわれには結局,きつくて誰もがやりたがらない仕事しか回ってこない.例)土方,電脳土方など.
ああ,これでは今と変わらないじゃないか.もっと夢を見たいのに【寝言は寝て言え no-name】』
# うりかねぐん 『うう、代わりに考えていただきありがとうございます。
利益の最大化だけだとうまく回らなさそうなので、「他人の役に立っているという充実感」とか「勝って他人を蹴落とすことの後ろめたさ」とかそういう要素を盛り込むしかないんでしょうかね...』
# ttakahasi 『>ニンゲンモドキ
ニーゲム大土木で検索すると吉とか(笑)』
# うりかねぐん 『パタリロ!』
世界を見る目が変わる50の事実。トリビアとして消費されませんように。
まだ全部読み終わっていないのだけど、今月のAmerican Scientistに、ランバートのW関数について書いてあった【半端な理解でおれカネゴン】。Googleで検索してもあまり出てこない。一応Wolframもリンク。
この関数はみたいな形を取る。W関数のグラフは、指数関数がちょっと変形したような感じなのだけど、この関数のグラフの形はダイオードの特性とすごく似た形になる(W関数の場合マイナスの側は発散しないで-eを下向きの頂点として0に向かう)。本当は複素数で考えないとつまらないらしいのだけどそこらへんはよくわからず。
一見指数関数に毛(W)が生えたようなマイナーな関数なのだけど、これを使用することで従来のさまざまな関数(物理/経済/工学など多方面にわたる)を極めて簡潔に表現できてしまうため、いっそ三角関数と指数関数に続く基本関数に含めてしまおうかという動きがあるとのこと。全国の高校生が一斉にうめき声を上げるかもしれないけど。
関数が簡潔になる例として、... が
と表せたり、Ω定数がW(1)と表せたりする。
一度はてなのTeX機能を使ってみたかったので【猫に小判のおれカネゴン】。
ロケハンに同伴。
映像系に手を出さなかったカネゴンが初めてデジカメを操作する。もらいものなのでマニュアルがない【あっても読まぬおれカネゴン】。普通のマンガン電池を入れるとなぜかプレビューしかできず、カメラモードに切り替えた途端電源が落ち、カネゴン首をひねる。カメラ屋で尋ねると、マンガン電池は内部抵抗や出力などの違いによりデジカメではまったく使えないとのこと。アルカリ電池に変えるととりあえず動いたものの、シャッターを切った途端にデジカメの電源が落ちるトラブルが多発。業を煮やしてオキシライド乾電池に変えると見違えるようにきびきび動作した。
で、電池のいろいろ。
(削除しました)
MS対Googleの戦い、か。読みやすい。
タバコの火を消すためにパチンコ屋に10数年ぶりに入ると、カネゴンがパチンコで正気を失っていた当時と比べて、店内の音楽(恐ろしく速いユーロビート)の音量が、主観的には5倍ぐらい大きく聞こえた。それはもうカネゴンの耳の中にある石が踊りだすかと思うほどに。学生の頃懇意にしていたPA屋さんが、毎年学園祭になるたびに音量が明らかに前年度より大きくなっていたのを思い出した。今から思えばPAスタッフの難聴が着々と進んでいたのだと思う。
中野貴雄監督の文章が読みたくて買ったフィギュア王に載っていた、仮面ライダー響鬼の「音式神」ことディスクアニマルがツボに入ってしまう【他は素通りおれカネゴン】。TVは全然見ていないのだけど。丸い板からさまざまな形に展開するというのがいい。カネゴンはリアルなプラモには心惹かれないのだけど、こういうのに弱い。動物を模したものでなく、もっと抽象的でユニバーサルでわけわからないものだったらさらにいい【下賎な趣味とはおれカネゴン】。
ネットジャンキーまっしぐら確定とはいえ、bloglines.comは確かに便利。RSSかAtomをフィードしてくれていれば、更新された分だけを読める。RSSをフィードしていないページでも、ページ構成が素直であれば、誰かが1470.netやMyRSS.jpなどのRSSゲートウェイに登録してくれていることがあるので、それを勝手に引っ張ってきてくれる。複数のRSSがフィードされているページ(しかもよそのページだったりする)の場合は、選択肢が複数現れるので、そこから正しいRSSを選ぶ必要がある。
とはいうものの、bloglinesを操作していると何だかOutlookの未読メールをチェックしているような気分になる。登録されているどのページもレイアウトが全部同じになるので、各ページごとのレイアウトとともに記憶されている場所感覚が混乱したりもする【いまや中年おれカネゴン】。殊能さんの日記などのようにRSSゲートウェイでも対応できないページがあるので、アンテナも当分必要。人気ページなら1470.netのURLランキングでだいたいわかるので、無理に導入しなくてもこれで足りるという考え方もありそう。URLランキングに載っていることは今後もなるべく書かないようにする予定。
夕食を食べながら、たまたまやっていた「Shall We ダンス?」をちらちら見る。いつの間にかカネゴンは、インチキ臭い役をやらせたら天下一品の竹中直人に釘付けになる。彼の社交ダンスだけ全部ブルース・リーになってしまっていて、極端な演技で画面を一人で引っ掻き回しているのがたまらない。彼の、洗練から遥か遠くに離れた野趣丸出しの運動神経を見ていると、カネゴンにも何だか自信が湧いてくるような気がする【束の間安らぐおれカネゴン】。そう言えば岸田森もどこか運動神経がよじれていて、そこに同じように極端な演技が加わっていた。
考えすぎかもしれないけど【考えすぎとはおれカネゴン】、この二人のよじれた運動神経に、色川武大がゼッペキに対して抱いていた劣等感と同じものをカネゴン勝手に見出してしまう。それがあるからこそ、二人ともそれを覆い隠すかのように極端な演技に走るのではないかと夢想してしまう。ちなみにカネゴンの乏しい経験の中で運動神経が凄いと思った役者さんは、平田昭彦と由利徹と田中邦衛。
結城さんの新作「ミルカさんの隣で」
数年前カネゴンが何かの間違いで発作的に数学の勉強をやり直し始めたときのこと、微分のところで、曲線の接線を定義するのに2点を極限まで接近させるという作業が何だか回り道な感じがして、「いっそ2点をくっつけちゃえばいいのに」という完全に発狂したことを考えてしまっていた。その直後、点が1つしかなかったら接線が定まらないことに気付き、何でみんながあんなに苦労して極限を定義しようとしているのかがその時やっとわかった。「くっついたら負け」だと最初にそう言ってくれればいいのに、なぜかそこのところを誰も説明してくれていなかった【今日も井の中おれカネゴン】。
リバイバル企画「『あけてくれ』を(Googleで)探せ」(前回はこちら)
なるべく前回ともかぶらないものをみつくろう。
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- ... それは前の人がよろしくと言った心が入っている酒だから、今度は私の心を入れる場所をあけてくれという意味なんですね。それが宴席が続いて体調不全だとか、次の会場が待っている場合に、飲まないで酒を捨てたりすると、「あいつはオレの杯を受けん ...
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- ... これは、一般病棟と違い、救命センターが東京都の補助を受けて運営されていることもあって、自治体の言い分としては、皆さんに平等に使ってもらうために、救命措置が終わったらできるだけ次の救急の方にベッドをあけてくれということなのです。 ...
- ... だから、タクシーがホテルに着くと、制服を着たベルボーイが恭しくドア をあけてくれ、荷物を部屋まで運んでくれる。部屋は20畳ほどの大きな部屋で、 上等なベッドが3つ並んでいる。もちろん部屋には国際回線も使える電話がおいてあり、 石鹸、歯 ...
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- ... ヒエログリフを読む人で、現在閉鎖している墓もあけてくれ 丹念に説明をしてくれました。が、それを右から左に日本語にしていた 山崎は、まったくと言っていいほど覚えていません。貴重な機会だったのに。 アマッドさんごめんなさい。 ...
- ... 谷津国務大臣 きのうの要請は、まず、工事の中止をして、それから水門をあけてくれということが一点です。それから、有明海の海を、宝の海と言われている ... その中で、工事を中止してくれ、そして水門をあけてくれというふうな要請がございました。 ...
- ... Layは後にKinnearがいろいろな部署のドアをどんどんあけてくれすべてがうまくいくようにしてくれたと述懐している。彼らが行った軍事支出が米国のさまざまな経済分野に与える影響の調査結果はワシントンでも評判となり、ホワイトハウスの経済 ...
- ... もっと釘あけてくれ〜。 ..........なんだこりゃ はじめてみた 撃ちたくない」 ..........中日の岩瀬みたいな禿に俺の魚群は勝ったぞー! ..........8のシマシマの魚の名前は…「メジナ」だよ!「グレ」とも言う! ..........結構遊べる . ...
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- ... (16)二重唱 恋人よ打ちあけてくれ (メンデルスゾーン)(L,F) (17)二重唱 挨拶 (メンデルスゾーン)(L,F) (18)二重唱 「ルイ・ブラス」の歌(メンデルスゾーン)(L,F) (19)二重唱 夕べの歌ー「三つの民謡」第2曲 ...
- ... そんでもってどこまで行くのか分からん螺旋状ジェットコースターのような展開に酔いしれ、ウェルズとゲーデルのハイブリッドのような世界観にあんぐり口をあけてくれ!ちなみに、私見ではこれもジーリー・シリーズの一冊ではないかと思えるのだけど ...
- ... また、最終打合せの前日、彼が会社で飲み会があり、「いくら起こしても目もあけてくれへんかった。私だけでいいですか?」 と泣きながら1人で来た女性もいます。男性にすれば「仕事が忙しい」「仕事上、大事な付き合いや」ということが、 女性には「 ...
- ... ノーザンテースト肌にミルジョージという、 ダートで一発穴をあけてくれそうな血統がかなり魅力的だ。また、ジェイドロ バリー産駒のワイルドフォンテンも復調してくれば上位が狙える馬だ。 ということで、抽選で何頭残るか分からないが、ひとまず ...
- ... 全部の小中学校をあけてくれというのではなくて、いろんな学校だとかの個別の事情があるでしょうから、その事情の中であけていただければなと思っているのです。例えば利用者のという話もありましたけれども、ちょっと他市の例になってしまうのです ..
- ... 食事とかいく予定だったのにキャンセル。 今日こそは!!!! そんな、こんなで月のものも来た様だし。 壮絶ですな。 流石、中殺界。 早く年あけてくれ〜(´;ェ;`)ウゥ・・・ Post: 2004/12/24 13:39 | コメント(4) ...
- ... 見事にかじられ、穴をあけてくれやがりましたよ。 早く捕まえないと駄目だなあ……。自分の部屋とかに侵入されたら嫌ですしねえ。 とはいえ、寝てるとガサゴソと、不審な音は聞こえてくるわけでして。 いつものことといえば、いつものことなんですけど ...
- ... 体をさすっても目をあけてくれす訳でもなくただ冷たくなった体・・・涙が止まりませんでした・・・・. 話を聞き事実を受け止めその日はおじさんのそばにずっといてあげました!それからお通夜、お葬式も無事におえましたが、家では何か1つ大きな ...
こうやって半端に取り出すと妙に続きが気になってしまう。無闇に怖いものもあるし。この企画はこれでおしまい。
今日はこどもの日【書かずにおられぬおれカネゴン】。
昨日夜、元ニュートラルのマスターが突然カネゴン家に遊びに来る。
昼過ぎにマスター帰る。
リンクはしないけど、帝國電網省というサイトにあった抱腹絶倒の日本史を読んでしまい、歴史のことがどうでもよくなってくる。
ttp://science3.2ch.net/test/read.cgi/rikei/1071291272/ を読んで落ち込む【他人事なのにおれカネゴン】。カネゴンが何かのはずみで院に行っていたりしたらきっとこうなっていた気がする。
なったことがないのでわからないけど、研究職には自営業と同じスキルも必要なのかもしれない。手品をやらなくても魅力のある人でないと手品は光らないみたいに、自営業でもやっていける人でないと研究職はつとまらないとか。
山形さんの新作「石油はなくなりませんってば」。
将来どんな技術革新が現れるのかは具体的に予測できないにもかかわらず、何らかの技術革新は多かれ少なかれありうるということをいつの頃からか前提にせざるを得なくなっていたとは。比喩にも何にもなっていないけど、未来からの新種の借金をこしらえたような気が一瞬した。
関係ないのだけど、カネゴンが卵(幼少時)に読んだ火の鳥 未来編の世界では科学も芸術も進歩がぴたりと止まってしまい、人類が揃って懐古趣味に走っていたのを思い出した。それはそれで20世紀真ん中あたりの陰鬱な気分を反映したものなのだろうけど。どんなに頑張っても新しいものをまったく生み出せない状態というのはいつの日かくるのだろうか。
「進歩することは終わりに近づくことだ」という色川武大の真言をいやでも思い出すのだけど、問題はその終わりがいつになるのかが、技術革新が予想困難なのと同じぐらい予想できないことだったりする(短期的にはともかく)。くっきりと予想できてしまったらできたで、人類が揃ってネタバレを非難するかもしれないけど。
土星で新たに12個の月が発見される。締め切り間際の百科事典の編集者が慌てそう。
スーパーラップ記憶術。ぞおっとするほど安っぽいサンプルの音源はラップというより河内音頭みたい。
# namcat 『兄(生き別れ)です。はてなへの移行おめでとうございます(?)
以前と比べて日記を書きやすくなったのではないでしょうか?
手土産にネタをひとつ。
http://www.collegehumor.com/?movie_id=149448
タイトルにもあるとおり、数学ネタっぽいらしいのですが、
これを笑えるほどにヒアリング能力と数学の素養が私にないのが残念です。
(これ、全然数学ねたじゃなかったらどうしよう 笑)』
# うりかねぐん 『どうもお久しぶりです。お兄さんもいつの間にかはてなに移行してたのですね。どうぞよろしく。
わたしもさっぱり聞き取れませんが、「算数チャチャチャ」より随分先に進んでますね。この間どこかで見かけた「スーパーマリオのアカペラ」といい、あっちはボーカリーズが基本文化なんですね。』
# synonymous 『欧州でボーカリーズが占めているニッチは、西洋音楽導入後の日本では外国語歌謡が占めてしまっているのかもしれません。時代を遡って、お経というものも、民衆にとっては何を言っているのか分からないけど、節がなんだか有難げに聞こえるという点で、外国語歌謡に通じるものがあるのかもしれません。』
# うりかねぐん 『ご開帳なんかでピカピカの袈裟を着たお坊さんたちが、蛇腹状のお経をパラパラ、パラパラっとさばいているのをテレビで見て、あれで読んだことになると解説していたのを見て何だかがっくりきたことがあります。読んでないのね...川内康範や滝沢解の方がちゃんと読んでいる。』
家事分担を強制する洗濯機。旦那が長期出張するとたちまち破綻しそう。洗濯機のボタンを押すというただそれだけの作業ですら分担の必要が叫ばれていることを痛感【それもせぬとはおれカネゴン】。
カネゴンは見ないけど、ネット上の喧嘩を何かのはずみで目にするたびに思うのは、両者ともにどういう状態になったら自分が勝利を収めたとみなすのかということ。何となくだけど、何をもって自分の勝利とするかを定義しないまま、勝った後どうするかを考える前に打ち合いを開始しているような感じがしてしまう【巻き添え怖いおれカネゴン】。
昔の戦争なら相手の首を残らず取るというわかりやすくかつあとくされのない終結だったのだけど、昨今は戦争すら勝った後の面倒があまりに大きくて、首を取るかわりに商取引を強要するという一見穏やかな方法に徐々に置き換わりつつあるような気がする。かわぐちかいじの昔のやくざ漫画で「戦争はいかんぞ戦争は!あれは金がかかりすぎるからのう。」という逆説的な平和宣言を見て以来そう思う【漫画に頼るおれカネゴン】。
とするとネット上の喧嘩は、心に残すしこりと疲労感と途方もない時間以外のコストを要求しないので、ほとんど抑止力がないことになる。うう。
カネゴンが繭(大学)の頃、普段は控えめなのに酒が入るとがらりと性格の変わる先輩がいて、何かとトラブルを巻き起こしていた。あるとき路上で一般市民と掴み合いになってそのまま2人とも交番に引っ張られ、数時間後に「いやーお前いい奴だなあ、あっははは」とすっかり打ち解けた2人が肩を組んで出てきたのを見た後輩たちは、交番の外でやきもきした時間を無にされたような気がして訳もなくむかついてしまったとのこと。
この後輩たちの心理は、思ったより普遍性が高いと思う。
この図鑑の表紙を目を凝らして見ると、指導: 相島敏夫という名前が読めた。この人は、カネゴンが幼虫(小学生)の頃に、この種の学習漫画で監修などを務めることが非常に多かった人で、実は科学ジャーナリストの走りだったらしい。
考えてみたら、科学者や科学関係者が法螺を吹いてはいけないという決まりはどこにもないし、むしろ子供向けに極めて巧妙な法螺を吹くことによって、下手に四角四面なニセ科学バッシングを行うよりも科学のプロモーションに貢献するかもしれない。相当の技量を必要とするだろうけど【下手にやられたおれカネゴン】。
教えて欲しい。どうして小さい子供はあんなに乗り物が大好きなのだろう。カネゴンの知る限り、どんな子供でも乗り物を見ると吸い付いて離れないぐらい引き寄せられてしまう。乗り物に麻薬でも入っているのではないかと思わず疑ってしまう。時代と場所を問わずそうなのだろうか。
妖刀村正を手にするとむらむらと人を斬りたくなるということがよくあるけれど、なまじ切れ味のいい知性だけを持ち合わせているとネット上でむらむらと論争をふっかけたくなったりすることがあるだろうか。
カネゴンがうんと小さい頃(卵)に読んだ童話で「木のお皿」というのがあった。どうやらグリム童話だったらしい。最初に読んだときはよく意味がわからなかったのだけど、数年して思い出したときに、短いながらそこに秘められた強烈な毒にやっと気付いて唖然とした。色川武大が「アンクル・トムの小屋」で目覚めた件といい、童話のふりしていても文学は文学であることを痛感。子供に読ませる本は慎重に。
前にも書いたような気がするけど日記を検索しても出てこないのでまた書く。「ダメおやじ」という漫画にあった話。
ダメおやじの息子のタコ坊が、意地の張り合いから学級委員に立候補する。タコ坊はこっそり自分で自分に投票するが、クラスの仲のよい女の子が自分に投票してくれると約束してくれたにもかかわらず、開票したらタコ坊には一票しかはいっていなかった。そのことを知っているのはタコ坊だけ。帰り道にその女の子が「せっかくあたしが投票してあげたのに一票しか入らなかったね」と悪気なく言ってのけ、タコ坊は内心激しく傷つく。
後年、菊池寛の「入れ札」という戯曲がこれと同じ構造であることを知り、作者の古谷三敏の古典に対する教養の深さに改めて驚いた。
これまたダメおやじにあった話。
ダメおやじの一家の帰省が終わりに近づき、仕事があるので先に帰ると称してダメおやじが一足先に家に帰ってのんびりしようとたくらむ。帰り道、ダメおやじが立小便をしていてうっかりお地蔵さんにおしっこをひっかけてしまい、そのまま立ち去ってしまう。
怖いオニババのいない家でダメおやじはすっかりくつろぎ、ビールを飲んでうたたねする。その夢の中でお地蔵さんが現れ、「これ、ダメおやじよ。よくも私に小便をかけたな」と無表情に語りかける。ダメおやじが詫びると「許さない。三日のうちに呪い殺してやる」とダメおやじに石の身体をどさりと乗せる。目が覚めるとテレビが倒れてダメおやじの上に覆いかぶさっていた。突然ダメおやじの具合が悪くなり、吐き気が止まらなくなる。
そこに旅の僧が托鉢に現れ、瀕死のダメおやじはその辺にあるものを適当に食ってくださいと僧に言う。僧はインスタントラーメンを食べながらダメおやじの様子がおかしいことに気付き、顔を覗き込むと「あなたには死相が出ていますぞ」と告げる。「何か心当たりはありませんか」「お地蔵さんにおしっこかけちゃったんです」「何ということを。このままではあなたは三日のうちに死にまずぞ。助かりたかったらこの家の戸を全部閉め、朝までこのお経を唱えなさい。朝になるまで絶対に戸を開けてはなりませんぞ」と言い残し、「恐ろしい、私は退散させてもらいます」と逃げ出す。
暗闇の中で十数時間も必死でお経を読み上げるダメおやじ。やがて外から鳥の声や豆腐屋の呼び声がちらほらと聞こえ、そうこうしているうちに通勤のざわめきや自動車の音が聞こえてくる。ついに朝になったとばかりダメおやじがお経を放り出して雨戸を開けると、辺りは真っ暗闇。
数日後、オニババたちが家に戻ると、別人のように痩せ衰え、蝿のたかったダメおやじが部屋でのたうちまわっていた。
題名は忘れたけれど、これは明らかに落語が元ネタ(落語でない可能性もありとのツッコミいただきました)。つのだじろうの恐怖新聞にもこれと同じ話があったので、当時の漫画家は当たり前のように落語を下敷きにしていたらしいとわかる。
古谷三敏は赤塚不二夫のフジオプロでアシスタント兼ブレーンを務め、赤塚不二夫の漫画でのアイディア出しに多大な貢献をしたとのこと。古谷三敏自身は品の良いネタを好む人だったらしく、赤塚不二夫の漫画の下品なところを余り好いていなかったらしい。
その赤塚不二夫の「おそ松くん」か何かに、O・ヘンリーの傑作短編「よみがえった改心(A Retrieved Reformation)」とそっくり同じ話があったのだけど(「リバイバル・チビ太の金庫破り」というタイトル)、あれも案外古谷三敏の仕業だったのかもしれないと今にして思った【よそ見止まらぬおれカネゴン】。
今引用したアスキーアートの絵物語だけで、カネゴンつい泣きそうになってしまう【わしらもついついおれカネゴン】。いい話は何度コピペと輪廻転生と換骨奪胎を繰り返してもエッセンスは残ることを痛感。
アカペラファミコン。ボーカリーズ詩人ジョン・ヘンドリックス(Jon Hendrix)に頼んだら全曲にもれなく歌詞をつけてくれると思う。
# 山形 『落語、かなあ。なんかもっと古い怪談にそういうネタがあった
ような気がする。』
# うりかねぐん 『どうもこんにちは。
検索しても見つからなかったのですが、落語の種本でこの話を見た覚えはあります。
もともとあった古い怪談が落語でカバーされた可能性も十分ありそう。』
# jouno 『上田秋成では。http://www.zusi.net/meisaku/ugetu/ueda.htm』
# うりかねぐん 『雨月物語!それでした。』
# 蓮風 『きょうの日記は「ぐさぐさぐさじわっ」と言ふ感じでした。
上田秋成といえば春雨物語も面白そうです。田中優子氏の『江戸の想像力』という古い評論で、いくつかのエピソードが紹介されてました。ほんとに世の中にはいろいろな人が居るものだと謂ふ事を寓話として?海悗討?れます。わたしはそのうち氣が向いたら現代語訳でも挑戰してみたいものなんですがね。』
# うりかねぐん 『雨月物語はものすごく怖そうなのでまだ読んでないです...』
# hal_tasaki 『うりかねぐんさん、はじめまして。日記の愛読者の田崎です。ときたま私の書いたものを紹介していただき、恐縮です。
カネゴンさんの日記を読んでいると、誰しもが各々の項目に何らかのツッコミをいれたい気分になるのでは、と思っています。コメント欄がいつまで続くのだろうと、ちょっと心配ではあります。
ところで、妖刀村正の項を読んで、山形さんのことをちらっと思い出していたら、引き寄せられたかのごとく山形さんがコメント欄に登場していたので、笑った。山形さんの場合「切れ味のいい知性だけ」というのとはほど遠いけれど、いずれにせよ、すぐにネットで論争をはじめてしまうのは、知性のあり方とかよりも、その人の性(さが)なんではありますまいか?』
# うりかねぐん 『こんにちは。わたしもコメント欄開設は内心どきどきしてます。もともとツッコミどころ満載なので。
村正のくだりについてですが、考えてもみなかった解釈でどっきりしました。要するにみんな喧嘩しないでということを書きたかったのでした。単にそう書くより、喧嘩するのが馬鹿馬鹿しくなるように書いてみようかと。
論争が巻き起こるのは、おっしゃるとおり当事者の性格によると思います。知性そのものは中立だと考えているので、論争を激化するにしろ沈静するにしろ、あくまで道具なのだろうと思います。』
yomoyomoさんとjounoさんに教えていただいた方法で、コメント機能を使いながら普段はコメントを隠すことができるようになった。ありがとうございます。
カネゴンがはてなに引っ越す前の日記はいまどき手書きだったので、当然それまではRSSフィードを行っておらず、RSSフィードについても何ら自覚的でなかった。今回はてなに引っ越したことで、以前からアクセスログで頻々と見かけていた(がほったらかしていた)BloglinesというRSS読み取りサイトを初めて試し、RSSフィードを行うのと行わないのでは読まれ方が相当違うことに今更気付く。
とりあえず従来のブックマークのうち、RSSフィードを行っているページをBloglinesに移し、行っていないページをはてなアンテナに残すことにする。それにしても、こんなことをしていると自分が何だかネットジャンキーになったような気がしてしまう【おとぼけさんとはおれカネゴン】。特定のサイトの更新をウォッチするというのはカネゴンの本来の目的ではないので、カネゴン自身が今後どのぐらいBloglineを使うかはまだわからない。
なお、Bloglineに追加中、米国のサイトにはAtomが早くも普及していることに気付く(日本もでした)。
アメリカ版エヴァのコンセプトアート。偶像を作るとエホバは例外なく怒るのだけど、イメージを変えられてファンが怒り狂うというというのもそんな感じなのだろうか【大分違うがおれカネゴン】。
今回移行のためのスクリプトをRubyで書いてみて、イテレータというかブロック付きメソッドが面白くなってしまい、ついにwhileを一度も使わなかった。たぶんLambda式まであと一歩なのだと思う【ゆきつもどりつおれカネゴン】。
おそらく熱演が逆に災いしてしまったのだろうけど、少なくともヤマトタケシは本来は自分のことしか考えない典型的な現代っ子として描き出されるはずだったとカネゴン信じている【今日も貴様はおれカネゴン】。作品のそこここにその片鱗が見てとれる。今新たに作るとしたら話し方が直る前の窪塚洋介がヤマトタケシ役にふさわしいのかもしれない。
窪塚のような人物が、ある日突然否応なしに正義の味方とならざるを得なくなり、洒落にならない戦いと現実の政治に巻き込まれたらどのようなことになるか。しかも本当のことを話せば話すほど陰謀論に頭をやられたかわいそうな人のようになってしまうがために、他人に話すことはできない。最近のスパイダーマンのようなのんきな展開になるはずもない。
およそ10年前に、郵政省がタイムサービス試験のためのダイヤルアップ用アクセスポイントを開設し、カネゴンたちが仕事でサーバーの時刻補正のために使用したことがあったけれど、今でもあるだろうか。
カネゴンの周辺だけだったのかもしれないけど、ある楽器をやる人は、人の声または違う楽器のニュアンスを目指すべしというコモンセンスがあった。たとえばピアノは歌に近づける、サックスはバイオリンに近づけるなど。口から遠い楽器ほどニュアンスを制御しにくいので、より口に近い楽器を心に描いたりもした。
ことえりの新機能: Mailにたまったメールから未登録単語を自動解析して登録する。この機能が単体で欲しい。
*Windows XP SP2 以降では、Windowsファイアウォールの設定を変更してポートを開かないと利用できない。
http://wiki.rubyonrails.com/rails/show/HowtoInstallOnWindows
と思ったらテストが通らない。うう。
直後、http://jp.rubyist.net/magazine/?0005-RubyOnRails に記載されているパッチを適用しないとエラーになることが判明。
カネゴンが繭(中学生)のとき、たまたま台所に行くとテーブルの上で真っ黒な猫が魚を咥えていたのを目撃してしまったことがある。猫は上目遣いでこちらを素早く見たと思った途端に素早く窓から逃げ出す。カネゴンは追いかけるより先に、まるで漫画のような光景を実際に自分の目で見たことに感激してしまっていた【バーチャル人生おれカネゴン】。
考えた末、当面タイトルなしで書くことにする。それからコメント欄も場合によっては非表示にするかも。[コメント]をクリックするまでコメントは表示されないように設定可能になるといいのだけど【そして寝て待つおれカネゴン】。
TVに女犯坊みたいなのが映っていたかと思ったら清原だった。
ずっと前のサウンド&レコーディング マガジンで、YMOのレコーディングエンジニアが3人について寸評していた。
当時は「細野晴臣が普通」というのがよくわからなかったのだけど、今になってみると痛いくらいよくわかる。
# yomoyomo 『>[コメント]をクリックするまでコメントは表示されないように設定可能になるといいのだけど
これはCSSで設定可能だと思います。例えばid:gotanda6さんのところがそうだったと思いますが、違ったらすいません。』
# jouno 『ためしてないのですが、これではどうでしょう。
div.commentshort{
display: none;
}
form div.commentshort{
display: block;
}』
# うりかねぐん 『あ、できました!
ありがとうございます。』
# 蓮風 『こんにちは。はじめまして。蓮風と申します。
以前からずつと拜讀させていただいてました。
実は「生き別れの兄弟」ことNM氏の同級生です。
いつもおれカネさんの諧謔センスに心の中で膝を打つ日々なんですが今日はちよつと書き込んでしまいたくなりました。レインボーマンねたについてです。個人的に「どきっ」というか「ぐさっ」というか「おれ判ってもらってる?」っていうか。(苦笑) どうにも詮無いので詳しくは申しませんが、まあ、そのおうに思つた次第です。
とりとめもないのですが、御挨拶代わりに。』
# うりかねぐん 『はじめまして。コメント機能のありがたさを実感してます。
生き別れのお兄さんともご無沙汰してました。よろしくお伝えください。』
家人に誘われてアルモドバル監督のバッド・エデュケーションを見る。もっと陰々滅々とした話かと思ったら意外にストーリーが凝っていた。カネゴンは同性愛の経験はないのだけど、老いも若きも揃ってあんなに気持ちよさそうにしているのを見ると、実際はどんなものなのかちょっと知りたくなってしまう【身の程知らぬおれカネゴン】。神父役のおじさんがどことなく色川武大に似ていた。
# t.ikawa 『RSSリーダで読むと、「タイトル」が全て「■」で、読みにくいです。変えて頂ければ嬉しいです。』
# t.ikawa 『あ、既に書かれていますね。失礼しました。』
# うりかねぐん 『すみませんです。
今のままだとRSSのリストが■だらけでメリット半減ですよね。やっぱりタイトルをつけないといかんかなという気がしてきました。
過去の日記には今更タイトルをつけようもないので、ちょっと思案中です。』
# otsune 『個人的には「最初の長文一行目がタイトル方式」になんか名前をつけようかと思っている「○○メソッド」みたいな感じで。』
# うりかねぐん 『それも考えたのですが、リンクメモなどのように本文がごく短い場合にすわりが悪くて却下しました。本文に「本文なし」と書けばいいのですが。
一番の原因は、見出しを頭音専用フィールドにしてしまった自分なのかもしれない。』
# otsune 『本文が無いときは本文を書かなければいいンです。
タイトルだけあれば十分なンです。』
# うりかねぐん 『王八蛋(ちきしょーッ)どうしてエレクチオンしないンだよッ・・・
はともかく、自分ルールとしておさまりがいいのはタイトルなしの方なんですよね。』
# jouno 『*と**をつかいわけるというのはどうでしょう。』
# うりかねぐん 『それもそうですね。
いずれにしろ統一したいので、過去の分はいったん全部エクスポートしてから処理してまた戻すしかないのかも。どこかで一気にやるかもしれません。』
# ていけい 『http://homepage3.nifty.com/yuki_nanotabi/
「官能小説自動生成ソフト「七度文庫」のホームページ」
「第5回エンターブレインゲームコンテスト 伊集院光特別賞受賞作」』