ドイツが「イスラエル無条件支持」の姿勢から脱皮し始めた。メルツ首相が初めてイスラエルへの軍事支援に制限を加えたことは、同国の中東政策に現実性を与え、他のEU(欧州連合)加盟国との足並みを揃えるための第一歩だ。
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フリードリヒ・メルツ首相(キリスト教民主同盟・CDU)は8月8日、「イスラエル軍がガザ地区で使用する可能性がある軍事物資の供与を停止する」と発表した。これはイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が、ガザ地区での軍事行動をさらに拡大し、ガザ市全体を制圧する方針を明らかにしたことに対する抗議だ。ドイツ政府がイスラエルに対して、部分的とはいえ制裁措置を発動したのは、初めてだ。その意味でこの決定は、ドイツとイスラエルの関係史の大きな分岐点と言える。
友好関係には限界がある
メルツ氏はイスラエルへの軍事物資の供与を部分的に停止する理由について、「イスラエルには自衛の権利がある。同国は、ハマスが監禁している20人の人質を救出するための努力をする権利がある。しかしこの時点でガザ地区での軍事行動をさらに拡大し、ガザ市全体を占領しようとすることの目的や意味が、我々には理解できない」と説明した。
彼は「ガザ地区でさらに犠牲者の数が増えることにつながる戦闘のために、ドイツは武器を送ることはできない。ガザ地区での軍事行動の拡大について、我々の意見はイスラエル政府と異なる」と指摘。さらに「我々のイスラエルへの友好的な態度に変わりはない。しかしイスラエルとの連帯とは、同国政府が行う全ての決定を受け入れるということを意味しない。いわんや、軍事物資の供与を通じて、イスラエル政府の新しい方針を支援することはできない」と述べ、ドイツのイスラエルとの友好関係には、限界があるという姿勢をはっきりと打ち出した。
ドイツ政府はイスラエルに戦車や大砲は供与しておらず、兵器の交換部品や砲弾、銃弾などに留めている。2023年には3億ユーロ(510億円・1ユーロ=170円換算)相当の軍事物資を供与した。2024年の供与額は約1億6000万ユーロ(272億円)だった。ガザ攻撃に直接使われないと思われる防空システム向け機材、潜水艦やその部品などは、引き続き供与される。
「ドイツの国是」路線からの転換?
メルツ氏の今回の決定は、2023年10月7日のハマスによる大規模テロ事件以来、ドイツ政府がとってきた姿勢を大きく塗り替えた。前のオラフ・ショルツ政権は、ガザ地区でのイスラエル軍の空爆で多数の死傷者が出ても、「イスラエルには自衛する権利がある。ただしイスラエルは、人権に関する国際法を守り、民間人の犠牲者を最小限にする努力を行わなくてはならない」と繰り返すばかりで、ネタニヤフ政権を批判することはなかった。
ドイツ政府のイスラエル寄りの姿勢には、イスラム教国だけではなく、スペインやアイルランドなど、他のEU加盟国からも批判が出ていた。これに対しメルツ氏は過去の政権とは一線を画し、「友好国であっても悪いことは悪いと言う」方向に大きく舵を切った。筆者はドイツからイスラエルを11回訪れ、両国の関係について本や記事を書いてきたが、今回のメルツ氏の決定はドイツ・イスラエル関係の転換点になり得ると感じる。
2008年3月18日に当時のアンゲラ・メルケル首相がイスラエル議会(クネセト)で行った演説で、「ナチスによるユダヤ人虐殺に対する反省に基づき、イスラエルの安全を守ることは、ドイツの国是(Staatsräson)の一部だ」として以来、この言葉は両国関係を貫く基本的原則となった。ドイツはイスラエルを批判する国際決議などには加わらず、イスラエル側に立つことを基本として来た。「ドイツの国是」という言葉はショルツ前首相が継承しただけではなく、今年メルツ政権が発表したCDU・CSU(キリスト教社会同盟)と社会民主党(SPD)の連立協定書にも用いられている。
だがメルツ首相の歯に衣を着せない態度は、常にポーカーフェイスで滅多に本音を見せないショルツ前首相とは大きく違った。メルツ氏は5月26日にも、イスラエルを批判した。ガザ攻撃による死者数が5万人を超えていた他、イスラエル軍が食料などを輸送するトラックのガザ地区への乗り入れを制限していることから、飢餓に苦しむ住民が増えていたからだ。メルツ氏は、「ガザの状況は、受け入れがたい。私は、イスラエル軍のガザ攻撃が、人質救出という目標に貢献するのかどうか理解できない」と強い不快感を表明した。これは2023年10月7日の事件以来、ドイツの首相が公にした、初めてのイスラエル批判だった。
SPDは首相にイスラエル批判を要求
メルツ氏は、連立政権のパートナーSPDの主張にも配慮したものと思われる。7月21日に英国、フランス、カナダ、日本など20カ国を超える国々がイスラエルに対し「ガザ攻撃の即時停止」を要求する声明を公表した時、ドイツは参加しなかった。メルツ首相がイスラエルに配慮してこの声明に距離を取ったことについては、SPDから批判の声が上がった。
その翌日、連邦議会のSPD議員団のマッティアス・ミアシュ院内総務は、本会議での演説の中で「ガザでは子どもたちが飢えに苦しみ、インフラが破壊され、助けを求めている人たちが攻撃されている。これは、国際法違反だ。国際法が組織的に侵害されている時には、我々は行動しなくてはならない。ガザでの即時停戦を28カ国が要求したことは正しい。ドイツも28カ国が署名した宣言文に加わるべきだ」と訴えた。
ミアシュ氏は、「ドイツはイスラエルの安全に特別な責任を持つ。しかしドイツは同時に、国際法とパレスチナ人の安全についても責任を持っている。イスラエルの安全だけを重視して、国際法とパレスチナ人の安全を軽視することはダブルスタンダード(二重基準)であり、ドイツの国際的な信用性を傷つける」と指摘した。ミアシュ氏は、SPDの中で大きな影響力を持ち、人権保護を重視する左派グループに属している。
欧州ではイスラエルに対する圧力が増す一方だ。7月24日にはフランスのエマニュエル・マクロン大統領がG7(主要7カ国)首脳としては初めて、イスラエルがガザに対する姿勢を大きく変えない限り、今年9月の国連総会でパレスチナ国家を承認する方針を明らかにした。7月29日には英国のキア・スターマー首相も同様の発言を行った。
メルツ首相は、現在のところパレスチナ国家承認には消極的だ。ドイツ政府はフランスや英国同様に、イスラエルとパレスチナが共存する二国家解決を重視しているものの、「パレスチナ国家承認は、二国家解決が実現するプロセスの最後に行われるべきだ」と考えている。パレスチナ国家が誕生するという具体的なスケジュールが立っていない時に、国家の承認だけを行う意味はないというのが、ドイツ政府の考え方だ。実際、英仏などがパレスチナ国家を承認しても、イスラエルのガザ攻撃が弱まったり、市民に食料の配給が増えたりするわけではない。
ただしメルツ首相は、ネタニヤフ首相のガザ地区での軍事行動の拡大に抗議して、軍事物資の供与を部分的に制限することで、「我々もイスラエルのあらゆる行動を容認しているわけではない」という姿勢を、欧州の他の国々に示したのだ。
一方ネタニヤフ首相は、メルツ氏の決定について「ドイツは我々に武器を送って、対テロ戦争を支援する代わりに、イスラエルへの軍事物資を制限することでハマスを利する行為を行っている」と反発した。
一面的だった独メディアの報道
私は2023年10月7日以来のドイツのメディアの論調を見て、2024年末頃までは「イスラエル擁護」のトーンが強いと感じた。イスラエル政府がメディアにガザ地区への立ち入りを禁じたためにドイツの記者たちが現場で取材できなかったせいもあるが、2023年~2024年の報道の中心はイスラエル側であり、攻撃されるパレスチナ側の視点は少なかった。「イスラエルは被害者であり、人質を救出するためにガザ攻撃は止むを得ない」という論調が目立った。イスラエルの空爆が、パレスチナ市民の間に多数の死傷者を出している実態は、『アルジャジーラ』などイスラム教徒が多い国のメディアほど大きく報じられなかった。いわんや、爆弾の炸裂によって激しく損傷した子どもの遺体や、病院のベッドの上で苦痛にさいなまれる負傷者の映像は、ほとんど流れなかった。
通常ドイツの公共放送局は、外国での大地震や水害で多数の犠牲者、被災者が出ると、ニュース番組の中で視聴者から義援金を募る。だがガザ市民のための義援金を募るスポットは、一切見られなかった。「ハマスは司令部などを市街地の中に設置しているので、ハマスを攻撃する際には、民間人の犠牲者が出てもやむを得ない。我々は付随的被害を最小限にするように努めている」とするイスラエル軍に対する批判の声は、報道の前面に押し出されなかった。ドイツのニュース番組の編集責任者が、「イスラエル擁護」というドイツ政府の意向に配慮していることを、強く感じた。
ドイツの公共放送局のニュースでも、ガザの被害者の映像が流れるようになってきたのは、2025年に入ってからである。「ホロコーストに対する反省から、イスラエルの安全を守ることをドイツの国是の一部とする」というスローガンと、6万人を超えるガザでの犠牲者との間の矛盾が覆うべくもなくなってきたからだ。メルツ氏の決断の背景には、こうした世論の変化もある。CDU・CSUの「C」はキリスト教を意味する。キリスト教の信徒としての葛藤もあったのかもしれない。
CDU・CSU内から怒りの声
だがCDU・CSUからは、メルツ氏の態度に強い批判の声が出ている。メルツ首相は党内で根回しを行わずに、この方針転換をほぼ独断で決定し、公表した。姉妹政党CSUのマルクス・ゼーダー党首や、連邦議会のCDU・CSU議員団のイェンツ・シュパーン院内総務とも、事前に相談しなかった。
CSUのある議員は、「イスラエル支持は、CDU・CSUの長年の伝統だった。これほど重要な原則を変える時には、党首は我々に事前に詳しく説明するべきだった。メルツ氏が独断でこの決定を発表したことは、承服しがたい」と強い不満を露わにしている。CSUには、軍事物資の供与の部分的な停止を撤回するべきだという声もある。またCDU・CSUには、「ドイツはロシアの弾道ミサイルの脅威に備えるために、イスラエルの迎撃ミサイル・アロー3を導入しようとしている。メルツ氏の決定が原因となって、イスラエルが我々にアロー3の供与を拒否したらどうするのか」と懸念する声もある。
ドイツの政界では、「メルツ氏は伝統にとらわれず、思い切った変更に踏み切る政治家だ。しかし党内でのコミュニケーションが非常に下手だ。最終的に自分が首相として責任を取るのだから、他人の意見はどうでもいいと思っている」という評価が定着しつつある。メルツ氏は、チームの和やコンセンサスを重んじる政治家ではない。個人主義が強いドイツ人らしい政治家だ。
一方、SPDの共同党首の一人であるベアベル・バス労働・社会問題大臣は、「ドイツはイスラエルを支援するだけではなく、パレスチナ人のことも忘れてはならない。メルツ首相がイスラエルを裏切ろうとしているという批判は、的外れだ」と述べ、首相の決定を支持した。保守政党の党首が、保守陣営から批判され、左派リベラル政党から援護射撃を受けるという珍しい事態となっている。
ただしドイツがイスラエルについて難しい決定を迫られるのは、今回が最後ではない。EUの一部の加盟国や、NGO(非政府組織)「国境なき記者団」などからは、イスラエルがガザ市民の窮境を大幅に改善するための措置を取らない限り、EU・イスラエル間の協力プログラムの一部を中止するべきだという意見も出ている。「EU・イスラエル協力合意(EU-Israel Association Agreement)」と呼ばれるこのプログラムは、EU加盟国とイスラエルが、貿易を促進し、学術や研究開発について協力を深める目的で2000年に締結された。EUのカヤ・カラス外務・安全保障政策上級代表は、この合意に変更を加えるかどうかについて、まだ最終的な決定を下していない。しかしネタニヤフ政権がガザ地区での軍事行動を拡大し、ガザ市の占領を目指すと発表したことで、EU内で「欧州・地中海合意を停止するべきだ」という圧力が高まる可能性がある。もしもこの合意の全体または一部が停止された場合、EUがガザ戦争をめぐってイスラエル政府に科す最初の本格的な制裁措置になる。他の大半のEU加盟国がイスラエルに対する制裁を求めた場合、ドイツは苦しい立場に立たされることになる。
メルツ政権のイスラエルをめぐる葛藤は、まだ当分の間続きそうだ。