「余人をもって代えがたい」はずの統幕長が8月1日に退任
自衛隊制服組トップとして2年4カ月間、日本防衛の中枢を担った吉田圭秀統合幕僚長(62歳)が8月1日付で退任した。吉田氏は自衛官としては稀有なコミュニケーション能力の持ち主で各国軍トップと良好な関係を築いてきただけに、後任の内倉浩昭前航空幕僚長(60歳、防大31期)にかかるプレッシャーは大きい。
「今日まで任務に邁進することができたのは、ひとえに、全国および世界各地で巡り会えた大勢の方々のお力添えの賜物であり、この場を借りて篤く御礼を申し上げます。ありがとうございました」
吉田氏は7月29日に開いた退任記者会見の冒頭、やや緊張した面持ちでこう述べた。
自身が強調するように各国軍との関係は折り紙付きだった。任期中にこなした国際会談はオンライン形式も含めて実に200回以上。これは4~5日に1回のペースだ。特に米軍とは「かつてない高み」(吉田氏)に到達し、高官から「ヨシ」の愛称で親しまれていた。
吉田氏は冷戦崩壊前の1986年に東大工学部を卒業し、陸上自衛隊へ入隊。翌年、北海道の留萌駐屯地へ配属され、第26普通科連隊で自衛官としての基礎を叩きこまれる。吉田氏は当時のことを会見でこう振り返っている。
「3年半の間に、まさに隊によって、少しでも一人前の小隊長として育ててもらった。その中で最も大事なことは、人と人との信頼関係だと身をもって教えてもらった」
その後、沖縄の米兵少女暴行事件で米軍批判が巻き起こった1995年に外務省北米局日米安全保障条約課へ出向。安倍晋三政権下で安全保障関連法が制定された2015年には、前年に設置された国家安全保障局(NSS)で内閣審議官を務めた。
陸自トップの陸上幕僚長だった22年には日本防衛の転換点となった「安保3文書」策定に携わる。その後もロシア・ウクライナ戦争の教訓から無人機部隊の整備や、陸自通信学校をサイバー防衛隊の育成拠点とするなどの改革を推進した。
こうして23年、防衛大学校出身者以外で初の統幕長に就任。これは周囲から待望された人事だったが、想定よりは遅れた。
自衛隊幹部は「前任の山崎幸二氏がなかなか退官しなかった」と明かす。統幕長と陸海空自衛隊のトップである各幕僚長はいずれも2年前後が暗黙の任期だが、山崎氏は安保3文書策定を理由に4年留まった。
「余人をもって代えがたい」(防衛省幹部)と評される吉田氏は、就任後1年半で定年の62歳を迎えたため、24年10月に半年間の定年延長、25年4月にも1年間(26年4月まで)の追加延長が閣議決定されている。
10年以上トップの座から遠ざかっていた空自出身者
吉田氏が最終的に延長期間の終了前に退任を決めたのは、2つの背景がありそうだ。1つは後任として最右翼だった内倉氏の存在だ。
統幕長は慣例的に陸海空の各幕僚長からバランスを考慮して登用される。吉田氏と前任の山崎氏は同じ陸、山崎氏の前任で史上最長の4年半在任した河野克俊氏は海。岩崎茂氏が退任した14年以来、トップの座から遠ざかっていた空自にとって、内倉氏の統幕長就任は10年越しの悲願だった。
ただ、内倉氏の統幕長就任には懸念材料もあった。
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