はてなキーワード: 精神障害者とは
奇声おばさん(通称ttrgm、キチガイドス)は原ネ申、崩壊:スタ○レイル、グラ○ル、V系などのジャンルで悪名を轟かせているヤバい人で、今日も神戸のHoYoverseのイベントに出没して暴れてスタッフに取り押さえられたらしい
↓その時の動画
https://video.twimg.com/amplify_video/1981581758773575680/vid/avc1/720x1280/xfJgALviuadHCyFy.mp4
精神障害者だから逮捕できないとしても措置入院させられてもいいはずなのに、どうして野放しにされてるんだろう
・どこで気が合ったの?
ちんぽは普通です。彼女曰く自然体でいられるのがいいとか。一頃は毎週末デートしてたしちょっと遠出して泊まりがけの旅行も行った。会話としては「浴場デカくて良かった……」「わかる……」とか「ここの按摩師さん寡黙じゃね?」「いや自分はすげえ喋りかけられたけど」とか。本当に他愛も無い。オフの日に丸一日通話繋ぎっ放しにしてたりするけど、別に常に喋ってるわけじゃない。すごくのんびりした付き合い方をしてると思う。正直どこが好かれてるのかわからない部分はあるから、今ある好感度をなくさないように努力したいと思う。
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・きょうだいがいっぱいいる、全員大学出てて実家でニートやってるのもいる
・俺より年収がある
・俺より健康で体力がある
・俺と同い年
・かなり頻繁に「金がない」と言っているが、多分相当溜め込んでる
・無職になることを異様に恐れている
俺
・アラサー
・精神障害者3級
・年収400程度
・貯蓄は諸々合わせて200程度
・無職になっても最悪ナマポになってもいいと思って生きてる、最悪の最悪は死ねばいいし
・彼女にはある「金を貯めなきゃ!無駄遣いしないようにしなきゃ!」みたいな感覚が培われていない、だから貧乏なんだろうな
所々フェイク入れてます。なんかさ、実家太い人の方がお金のありがたみ?みたいなもんを分かってんだろうなと思う。スーパーで売ってるシャインマスカット高いよねって話とかフツーにするし、と思えば実家から贈答用の果物来て食い切れんみたいな話もされるし。かといって今の所価値観の相違で揉めたこともないし、俺が「あっそういう感じなんだね」と思った回数と同じくらい向こうもそう思ってんだろうな。
俺も金に対しての危機感的なもの備えた方がいいのかなー。今より節約しなきゃとか、もっと稼がなきゃとか。でもさぁ、週5フルタイムで働いて申し訳程度の残業してる現状で身体の方はいっぱいいっぱいなんだよな。もっと頑張れる人間はいくらでもいると思う。でも俺は頑張ったら即潰れると思う。その自信がある。結局、現状そんな困ってることないしまあええか……になる。親父が今の俺と同い年くらいの頃は、多分俺の倍は稼いでた。でも毎晩深夜まで働いてたし、なんなら土日もしょっちゅう潰れてたよ。数だけ比較して劣等感みたいなものは感じれど、そこまでできる能力は俺にはない。なんの話だっけ。金に対してのモチベの話か。
彼女は良くも悪くも期待してる、自分に何処までできるのか目標を持って楽しんでるように見える。勿論辛そうにしてる部分見えてて、そこは労ってるけどね。
対して俺は全部諦めてる。できることしかやりたくない。会社に利益をもたらしたいとは思ってるけど、楽できるなら楽してたい。特殊な分野だから新卒より貰ってる額低いんじゃないかとか思うけど、どうでもいい。
大津市の住宅で2023年、元妻とその父をくわで殴り殺害しようとしたとして、殺人未遂と住居侵入の罪に問われた将棋の元プロ棋士橋本崇載被告(42)の裁判員裁判で大津地裁は2日、懲役5年の判決を言い渡した。
生まれついての発達障害や後発的な精神障害を主張したのが効いたようだ
ハッシーは「妻に子供を誘拐され狂った被害者」としてアンフェ界隈に持ち上げられていたが、本人の子供への発言はこれ
子供は親を選べない
そしていつか事実を知る
それについてどう感じるかは 彼次第だ
親が会いたい会いたいと泣くのはおかしい
俺の怒りは俺の全てを潰した事だ
ハッシーは子供の実名や顔写真を元妻への攻撃材料として何度も晒していたのでマジで子供はどうでも良かったと思う
犬について
犬は妻が世話をしていたが、離婚時に犬は置いていかれたので以降はハッシーが世話することになった
しかしハッシーは世話をせず犬が飢餓状態になって死にかけたので知人に預けることになった
知人のおかげで犬は健康になったが、元妻ほどの手入れはしないので毛並みが乱れた姿になった
犬がそんな目に遭ったのは元妻が逃げたせいだとハッシーは怒っている
仕事について
すぐそばの犬に餌もやらないのだから遠くの実子なんかどうでもいいのは当たり前だ
養育費の支払いが滞ると給料の差し押さえをされるかもと聞いたハッシーは、なんとしてでも元妻子に金を流したくないので将棋をやめた
ハッシーが狂っていったのはアンフェ共同親権界隈に囲まれて全てを元妻のせいにする他責性を植え付けられ肯定され続けたせいだ
元妻やその家族の名前や顔や住所を晒すというのは界隈で正義執行のため横行していることでハッシーは踏襲したにすぎない
ハッシーがチキンなため殺人遂行は果たせなかったが、ハッシーは元妻一家皆殺しや元妻の弁護士の事務所をガソリンで焼くなど宣言し、アンフェたちは止めるどころか応援していた
暇ナンチャラ、長年のインターネットライフで刷り込まれた反フェミ&反サヨクで脳が壊れちゃってる感じがすげえな 全ての主張があまりにティピカルというか原液まんまというか
この発言が訴えられた
暇空は精神障害者扱いされて名誉が低下したと主張するも、第一審判決文にはこうある
一般の読者の普通の注意と読み方を基準とした場合、本件記事は、原告の 主張が、インターネット上で流布している反フェミニズム及び反左翼的な言 説に触れ続けた影響による定型的な反フェミニズム及び反左翼的なものであ る旨をいうものと理解すると認められる。
そして、「脳が壊れちゃってる」と いうのは、その影響の程度が著しい旨の表現であると解され、一般の読者が、 実際に原告の脳に心神喪失ないし耗弱、少なくとも精神疾患を持っている旨をいうと理解するとは認められない。
暇空のアンフェ発言はなるくんとかネットの友達の言ってることをそのまま出力しただけでオリジナリティがないというのは確かにそう
妻子持ちの男性に「居候してベランダに暮らしてる独身無職」と妄想したシュナムル編、神奈川に本籍がありイギリスに留学してる学生への「神奈川にある英國屋という風俗店に入り浸っている」と妄想した堀口編とか、気に入らない男に難癖つけてる時の方が創造性豊か
ある。
誰かがやらなきゃいけない低賃金労働をやっている俺に存在価値はある。
俺に存在価値があるのは、俺が低賃金労働を引き受ける立場に甘んじているからだ。
では、本当になんの仕事もしていない植物人間や、精神障害者故に労働を任せることが出来ない無職に勝ちはあるのか?
ない。
ないんだ。
ないんだよな。
「人間として生きているだけで立派だ!」なんて言葉は虚しいだけの綺麗事だ。
彼らの親が彼らに対して感じる気持ちだって、彼らと過ごして浪費する時間をそこらのペットショップで買ってきた犬や熱帯魚と過ごしていれば十分満喫できるものだ。
「人間として生きているだけで価値がある」というお題目を俺は信じたかった。
それを信じながらいつかベーシックインカム社会が到来して、そこで俺はベーシックインカムと大差ない仕事を投げ捨てて1日中エロ動画でも見て過ごすだけのゴミムシになるんだと夢見ていた。
でもその社会の中で俺が楽しく生きることは無理だろうな。
老人たちが年金暮らししているのは彼らが遠い昔にねずみ講に引っかかれたことに対する配当金が出たというだけだ。
今は障害者年金という不幸の宝くじとセット販売されているそれに対して粛々と金を収めている臆病者が大勢いて支えられている。
昔払った金が戻ってきてるだけなんだから、そこについてあーだこーだ考えるのは無駄だ。
払った以上に戻ってきていることについては、運用に失敗した連中の問題であって死にかけのボケ老人に考えさせるようなことじゃあない。
衰えきった知能でまともに考えるのはもう無理、つまりは責任能力が既に失われているのだから。
社会に価値をもたらしその対価として生活が保証される形にならなければ、生きることは虚しすぎる。
たとえば俺がとある宗教団体の創始者の血を引いていて、産む機械として生きているだけでも素晴らしい存在なら、俺が生きていることに価値は産まれるだろう。
でも俺はそうじゃない。
当たり前のことだ。
ガキの頃の俺に価値があったのは俺が将来の労働力だったからだ。
病気になってもすぐに価値が失われないのは、将来提供する労働力がまだ残っていると期待されているからだ。
もしも、将来一切の仕事をしないと誓ったり出来なくなれば、俺の価値は失われる。
辛い。
皇族や美人といった「生まれついただけで勝ちがあるもの」に対する深い嫉妬心の本質はこれだろう。
まあ、憎まれて当たり前だよな。
ズルいもんなあ。
その分社会に対して責任を果たすでもなく「いや、これは俺が生まれ持ったものだから俺が総取りでしょ」で終わらせるんだもんなあ。
ズルいよなあ。
というわけで、こういう気持ちにさせるような連中の中でも美人や天才が生まれるのは防ぎようがないが、王族は防げるわけですよ。
2000年後、奴らは地上から姿を消しているだろうね。
イギリスの大衆紙デイリー・ミラーが報じたところによると、「ピアノマン」はドイツ出身の同性愛者。
パリで働いていたものの失業し、高速列車ユーロスターに乗って渡英。シアネスの海岸発見された時には自殺を考えていたというなり。
決して記憶喪失だったわけではなく、「ピアノマン」はかつて精神障害者と一緒に仕事をした経験があることから、それらしい「演技」をし続けていたというなりよ。やっぱり自作自演の線だったなりか……。
そして「ピアノマン」の名前の由来となった、「プロ級」のピアノの腕前なりが、こちらは話にかなり尾ひれが付いていたようで、
騙されたーーー
障害者アートというカテゴリを設けること自体が差別なんですよ。
以下、説明する。
彼女は文學界新人賞という純文学の新人賞に応募して、その受賞作が芥川賞になった。
小説の内容は、重度障害者についてのものだが、彼女が応募した新人賞も、そして芥川賞も、障害者のための賞ではない。
市川は、他の障害者でない応募者との競争に勝って新人賞を取ったし、芥川賞も他の非障害者と同じ土俵で戦って勝った。
だから市川沙央は正統な現代日本文学の作家であり、その作品は日本文学の文脈のなかで位置づけられる。
本当に障害者アートが芸術的な価値があるのであれば、障害を持っていない人が作った作品と同じ土俵で勝負すればいい。
現代日本美術で著名な村上隆や会田誠のとなりに障害者の作った作品が展示されているなら、そこには差別はない。
(草間彌生やゴッホは精神障害者であるが、彼らの作品は、他の著名な作家と同じ空間に展示されている)
あるいは、オリンピックにおいて、黒人だけ別枠での競争となっていたなら、黒人差別でしょう。
いくら水泳など黒人選手が弱い競技があったとしても、黒人だけ参加する水泳世界大会があったら、それは差別的営みである。