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作家 - はてな匿名ダイアリー
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「作家」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 作家とは

2025-06-27

そろそろ二次創作利益を得るのを禁止にしたらよくね?

なんの問題があるんだ。作家の育成のために二次創作で稼げる場が必要だという話はよく聞くけど、それはもう過去の話だ。

生計が立てられるかどうかはともかく、お小遣いくらいならオリジナルで十分稼げるような時代になった。今やコミッションクラウドソーシングサイトvtuberの依頼で溢れかえってる。配信用素材などのレディメイドイラスト需要もかなり増えた。

もう二次創作じゃないと絵で稼げない時代は終わった。(もし生成AIの影響で絵で稼ぐこと自体ができなくなったら一次創作二次創作関係ないので考えないことにする)

前々から同人誌電子販売したりskebで二次創作の依頼を受けたりさらにそれをFanboxで限定公開するような二毛作連中が大嫌いだった。もう二次創作に頼る必要ないだろ。利益が出なくても二次創作をやりたい人だけ残ればいい。綺麗な人だけ残ったらいいよ

早く綺麗な世の中になるといいね

2025-06-26

二次創作における純度の高さは大陸半島の人たちの方が上だと思う。日本二次創作家たちは作家性の主張が激しいし流行の顔色を窺い過ぎていて、限りなく記号の消費に近い

今の日本人mad作家性みたいなのが出過ぎてて気持ち悪い。しかも最早ただの著作権法違反者の分際で何者かごっこ卒業できないおじさんたちの吹き溜まりになっている

楽しみにしてた投稿エロ小説が消えた

今まで素人の書くエロ小説イマイチだなと思っていたが

さいきん小説投稿サイトで見つけたエロ小説は出来が良くて連載を楽しみにしていた

女性目線で徐々に調教されていくようなテイスト

男性作家にはないリアリティのようなものを感じられるのも良かった

なんだが今日続きを読もうとしたらアカウントごと消えていた

エロすぎてアカBANされたのかもしれないが

全て実話で、知り合いに「これお前だろ」って言われて消した可能性もある

そう考えると興奮するし魚拓を取っておかなかったのが悔やまれ

庵野秀明監督って、アニメ特撮映画監督としてとても有名だけど、その作家性の根源は「帰ってきたウルトラマン」のパロディ部分にあったのか

anond:20250626125317

はいデマ普通にでたぞ

フランクキャンパーという元ベトナム退役兵が1980年代傭兵学校設立しました、並木書房から日本人の参加ルポが出ていたと思いますがその詳細を教えてください

エコー・イン・ジャパンフランクキャンパー並木書房、そして傭兵の呼び声に応えた日本人

序論:「傭兵ブーム」と一読者の記憶

質問の内容は、単なる書籍の問い合わせにとどまらず、1980年代日本における特異な文化的モーメントを映し出す歴史的アーティファクトである。この時代日本では軍事特に傭兵特殊部隊といったロマンチックかつ危険世界への大衆的関心が急激に高まった 1。この熱狂は、落合信彦氏のような作家が手がけた「スーパードキュメント」と呼ばれるノンフィクションによって大きく煽られた。特に、氏の著作傭兵部隊』はフランクキャンパーを大きく取り上げ、後の日本人参加者を含む当時の若者たちに強烈なインスピレーションを与えたのである 1。

報告書は、ご質問者が記憶されている「日本人の参加ルポ」と完全に一致する一冊の本存在しないものの、その記憶フランクキャンパー高橋和弘、毛利元貞といった人物並木書房による出版物、そしてキャンパー学校とその「後継」組織という、相互に関連し合う魅力的なネットワークを指し示していることを明らかにする。その全貌は、一個人の参加報告よりもはるかに複雑で、示唆に富むものである

この現象を解き明かす上で、並木書房役割は極めて重要である。同社は単に受動的な出版社ではなく、日本市場に向けて「傭兵」や「サバイバル」といった特定サブジャンルを積極的開拓形成した「キュレーター」であった。まず、1990年高橋和弘訳によるフランクキャンパー自身の著書『ザ・マーセナリー』と『ザ・ラープ』を出版し、日本におけるキャンパーブランド確立した 9。同年、その翻訳者である高橋自身体験記『USサバイバルスクール』を刊行 14。これは、確立されたキャンパーブランド翻訳者信頼性を利用して、新たな日本オリジナル作品市場に投入する戦略であった。翌年には、キャンパー象徴する世界に直接繋がるもう一人の日本人毛利元貞の『傭兵修行』を出版した 15。この一連の流れは、海外の著名な人物を輸入してブランド化し、次にそのブランドに連なる国内物語を発掘・出版することで、ニッチ市場全体を掌握するという、並木書房意図的戦略を示している。

第1章:スクール創設者フランクキャンパー解体

1.1. 論争の的となった経歴:兵士情報提供者、そして神話創造

フランクキャンパー公的ペルソナと、彼が設立した傭兵学校信頼性の核となっていたのは、その軍歴であった。彼は自身ベトナム戦争従軍した第4歩兵師団の長距離偵察パトロール(LRRP)隊員であると主張し、そのエリートとしての経歴を喧伝した 17。この物語は、後に日本で『ザ・ラープ 長距離偵察部隊』として翻訳出版される自著『LRRP: The Professional』によって、さらに補強された 10

しかし、1985年に公開された公式の軍記録は、彼が歩兵およびトラック運転手として訓練を受けたと記しており、その経歴に疑問を投げかけた 17。この矛盾は、1988年キャンパー自身上院委員会公聴会証言したことにより、ある種の解決を見る。彼は、軍事情報部、CIA、ATF(アルコールタバコ火器及び爆発物取締局)、FBIとの「高度な機密指定を受けた経歴」を明らかにし、矛盾する記録は情報機関によるカバーストーリーであったと説明した 19。彼によれば、1970年から秘密情報提供者として活動し、アメリカ共産党(CPUSA)やアラバマ黒人解放戦線(Alabama Black Liberation Front)のような組織に潜入していたという 17。この兵士情報提供者という二重のアイデンティティこそが、彼の行動を理解する上での鍵となる。

1.2. マーセナリースクール1980年-1986年):準軍事事業実態

1980年キャンパーアラバマドロマイト近郊で「マーセナリースクール」を開校した。当初、実地訓練はフロリダで行われていたが、原子力発電所付近での不法侵入容疑による逮捕後、拠点アラバマジェファーソン郡のウォリアー川沿いにある77エーカー森林地帯に移した 17

学校は『ソルジャー・オブ・フォーチュン』のような軍事雑誌宣伝され、2週間のコース料金は350ドルから500ドルに設定されていた 17。訓練内容は、体力トレーニング銃器の取り扱い、白兵戦ナイフ格闘術、サバイバル技術ランドナビゲーション(地図判読)、E&E(脱出回避)、爆発物、ブービートラップの設置など、多岐にわたった 1。機密解除されたCIA文書には、司令部であった「バンカー」の様子や、実弾が飛び交う中で行われた「ライブ・ファイア」演習の生々しい記述が残されている 22。

キャンパー学校設立理念として、米国政府のための情報収集と、将来的な協力者となりうる外国人資質を見極めることの2点を挙げていた 21。これは彼が担っていた情報提供者としての役割と一致する。しかし、批評家たちからは、この学校は単なる「大規模なペインボールゲーム」に過ぎないと揶揄されてもいた 17

1.3. 無頼漢学び舎テロ犯罪の温床

キャンパー学校は、単に軍事技術を教える場にとどまらず、国際的テロリズムや犯罪と深く結びついていた。

1984年から85年にかけて、4人のシーク教過激派がこの学校で訓練を受けた 17キャンパーは彼らに武器や爆発物の使用法、暗殺技術指導した 21。彼は、当時インドラジブ・ガンジー首相の訪米に合わせた暗殺計画を阻止するため、FBIと協力しておとり捜査を進めていたと主張している 17しかし、このおとり捜査の網をすり抜けた2人の訓練生が、キャンパー学校からまれたとされる爆発物を使用し、1985年に329名の命を奪ったエア・インディア182便爆破事件を実行した 21。キャンパーは後に、容疑者全員を逮捕できなかったのは、自身提供した情報関係機関によって不適切に扱われたためだと非難した 21。

学校終焉を決定づけたのは、1985年キャンパーと3人の教官カリフォルニア州学校経営者から依頼を受け、元従業員の車に爆弾を仕掛けた事件であった 21。彼らは1986年5月逮捕され、この逮捕アラバマ司法長官に、州の私立学校免許なしで運営されていた同校を閉鎖する法的根拠を与えた 17キャンパー有罪判決を受け、14年の懲役刑を宣告されたが、実際には5年半服役し、1991年12月に釈放された 17

この一連の出来事は、マーセナリースクールが単に犯罪者が集う場であったという以上に、より複雑な本質を持っていたことを示唆している。キャンパー公言していたように、この学校米国政府のための情報収集目的とした「ハニーポット(蜜の壺)」として構想され、運営されていた。その設計思想自体が、過激派犯罪者を引き寄せるものであった。彼は実際に、ナイジェリアへの武器密輸計画KKK関連のクーデター計画など、訓練生の違法行為当局通報し、逮捕に貢献している 17シーク教徒の事件に関するFBIの宣誓供述書にも、アラバマ州の「信頼できる情報源」から通報があったことが記されている 22。

しかし、このモデルは致命的な欠陥を抱えていた。エア・インディア機爆破事件は、この「ハニーポット戦略破綻した最悪の事例であるキャンパーが教えた技術は、彼が仕掛けたおとり捜査の網をすり抜けたテロリストによって、悲劇的な形で実行されてしまった。したがって、この学校遺産は単なる犯罪歴史ではなく、国家による情報収集活動民間委託され、危険個人を「育てる」ことと「罠にかける」ことの境界線曖昧になった結果、大惨事引き起こし高リスク秘密工作の失敗例として記憶されるべきである学校存在のものが、ある種の秘密工作の一環であり、その破綻は、その機能から直接的にもたらされた必然的帰結であった。

第2章日本との接点-並木書房から出版された参加報告

2.1. 直接的な回答:高橋和弘の『U.S. Survival School』

質問者が記憶されている「日本人の参加ルポ」に最も直接的に該当するのが、高橋和弘氏による著作である高橋氏はアウトドアサバイバル技術に造詣の深い日本ライター翻訳家であり、並木書房から出版されたキャンパーの著書の日本語訳も担当していた 9。

1990年並木書房は彼のオリジナル著作『USサバイバルスクール―極限の野外生存術』を出版した 14。この本こそが、ご質問の核心に触れる一次資料である。本書は、高橋自身アメリカ渡り、8つの異なるサバイバルおよび軍事スクールに参加した際の体験を綴った一人称ルポルタージュであり、その第3章が「傭兵学校マークスクール(MS)」と題され、ユーザー記憶する詳細な参加報告が記されている 14。

2.2. 決定的な繋がり:「マークスクール」と教官ピート

重要なのは高橋氏が参加した「マークスクールMS)」が、1986年に閉鎖されたキャンパーアラバマ学校のものではないという点である調査によれば、この学校は、フランクキャンパーの元アシスタント教官であった「ピート」という人物が新たに設立した「後継」の学校であったことが特定されている 2。この事実は、毛利元貞氏のWikipediaページの脚注において、高橋自身の著書『USサバイバルスクール』を典拠として明記されている。「スペシャルアサルトスクール」とも呼ばれたこの後継学校は、ミシシッピ州拠点を置いていた 2。

この事実関係を整理することで、ご質問者の記憶の謎が解ける。記憶機能的には正しく、しかキャンパーという著名な名前と、実際に日本人が報告した学校とを混同していたのである。その報告は、キャンパー弟子運営し、キャンパーを中心としたカタログを構築していた並木書房から出版された、「キャンパースタイル」の傭兵学校に関するものであった。つまり、ご質問者の記憶の核心は正しく、その背景には直接的な血脈存在していた。1990年当時の読者にとって、キャンパー本人の学校と、その直系の後継者運営する学校との区別些細なものであり、体験の「精神」はキャンパー遺産のものの延長線上にあったのである

2.3. 並行する物語日本人教官毛利元貞

この物語には、もう一人の重要日本人が登場する。1964年まれ毛利元貞氏である 2。彼もまた落合信彦の『傭兵部隊』に触発され、より実践的な経験を求めて自衛隊、そしてフランス外人部隊へと進んだが、いずれも脱走している 2。

彼の探求は、アメリカピート運営するミシシッピ州の「スペシャルアサルトスクール」へとたどり着く。しかし、彼は参加者としてではなく、その卓越した技能を認められ、同校の「教官」となった 2。1991年並木書房は彼の体験をまとめた『傭兵修行世界冒険を求めて』を出版した 15。この本は、ジャーナリスト的な参加者として訪れた高橋氏の視点とは対照的に、組織スタッフとして完全に内部に溶け込んだ日本人視点から描かれた、ユニークで並行する報告となっている。

高橋氏と毛利氏の物語は、このアメリカサブカルチャーに対する日本人の二つの異なる関与の形を象徴している。高橋氏は、体験し、記録することを目的とした「観察者・記録者」であり、その役割本質的にジャーナリスティックであった 14。一方、毛利氏は、その世界を報告するだけでなく、自ら生きることを目指した「実践者・求道者」であり、その目標プロフェッショナルになることであった 2。並木書房がほぼ同時期に両者の著作出版したことは、同社が、体験談を読んで楽しみたい「 armchair enthusiast(安楽椅子探偵)」層(高橋の読者)と、自らもそうなりたいと夢見る層(毛利の読者)の両方を読者層として認識していたことを示唆している。二人の本は、日本の「傭兵ブーム」が内包するファンタジーの全スペクトラムに応えるものであった。

表1:フランクキャンパー周辺の主要な日本出版物

書籍タイトル(日本語)

英語翻訳原題

著者/翻訳者

出版社

関連性

ザ・マーセナリー 傭兵たちの世界

Merc: The Professional

フランクキャンパー (著), 高橋和弘 (訳)

並木書房

1990

キャンパー自身傭兵としてのキャリアを語り、日本での彼のペルソナ確立した 9。

ザ・ラープ 長距離偵察部隊

LRRP: The Professional

フランクキャンパー (著), 高橋和弘 (訳)

並木書房

1990

キャンパーベトナム戦争回顧録日本の読者に対して彼の軍事的<

anond:20250626113105

コンセプトが優秀でもそれを指定された枠の中で表現しきれない人はもっと枠を与えても結局表現できないと思うんだよな。俺は。

決められた枠の中に納めることができない人はどれだけ枠を増やしてもたぶんできない。

締め切りを守れない作家が「あと一週間あったらなー」って言っても「どうせあと一週間あってもお前はその一週間の間にまとめられねえよ、あと一週間あったらお前はその分また何かを足して同じこと言うよ」って感じ。

anond:20250626095557

えーっと、なになに…。

『ど、どうじんし…?同人誌…は、おーくしょんやフリマでの、ばいばい…?売買…きんし…禁止ですって言ってる、くさじょし?』

くさじょし?って、なんですかねぇ?なんか、腐った女の子…?よく分かんないですけどもぉ。

えー、フリマアプリとかで、ものを売ったり買ったりする人の話、なんですかねぇ、これは。

スゥゥゥ…。

でもねぇ、なんか、この話、ちょっと、気になったんですけどぉ。

この、『取引じっせき300件以上』ってとこ。

いやぁ、まだまだ、あ、甘いんじゃないですかねぇ?

僕なんかぁ、昔、その、スマホゲームにめちゃくちゃハマってた時があってぇ。なんか、こう、キラキラしたカードを集めるやつなんですけどぉ。

ほんで〜、僕、そのゲームの、なんていうか、才能があったみたいで。

めちゃくちゃ、こ、この、すごいレアカードを、すぐ引いちゃうんですよ、なぜか。

で、いらなくなったノーマルカードとか、ダブったレアカードとかを、フリマで売ってたんですけどぉ、僕、その時、とりひきじっせき、たぶん、500件は、余裕で超えてましたねぇ。はい

から、300件くらいで「ガチ勢」とか言われちゃうのは、うーん、ちょっと、違うかなぁって。

まぁ、これは、ただの事実なんで。はい

でも、僕が言いたいのは、そういうことじゃなくてぇ。

スゥゥゥ…。

そもそもものを売るなら、て、てん、転売でもなんでも、高く売るべきなんですよ!

それが、しほんしゅぎ…?の、き、きほん、じゃないですか!

この、どうじんし?っていうのが、よく分かんないですけどもぉ、もし、人気があるなら、100円で買ったものを1万円で売っても、それは、その人の、な、なんか、努力っていうか、ビジネスの才能なんですよ。

からこの人もぉ、なんか、「作家さんの気持ちがー」とか、ごちゃごちゃ言ってないで、自分が持ってるその、どうじんし?を、どんどん、ぷ、ぷれみあ価格で、売ればいいんですよ!そうすべき!

じゃないと、もったいないじゃないですかぁ。

僕も、いつか、僕の、こ、この、サイン入りの、公式グッズとか、出したいですねぇ。

で、それを、視聴者さんが買って、もっともっと高い値段で、て、転売してくれたら、僕、嬉しいですけどねぇ。

だって、それだけ僕に、か、価値があるってことじゃないですかぁ!

スゥゥゥ…。

僕の価値を、もっと、みんな、分かってほしいですねぇ。はい

僕の動画を、ちゃんと、最初から最後まで見れば、分かってもらえるはずなんで。はい

ていうわけで!次の動画でお会いしましょーう!んまたのーぃや!

同人誌オークションフリマでの売買禁止ですって言ってる腐女子

同人誌オークションフリマで売買禁止です!って、めっちゃ真顔で言ってくる腐女子がいたんよ。

作家さんの気持ち考えて!」とか「二次創作はグレーだから転売とか絶対ダメ!」って。

いやまあ、言いたいことはわからんでもないけどさ。

へー、中古否定派なんだなあ〜って思ったんよ。

きっと潔癖なんだろうなって。

「一度手に取ったものは人の手から人の手へ流すべきじゃない!」みたいな。

…って思ってたら、

ヤフオクメルカリバリバリ使ってて笑った。

なんならプロフィールに「取引実績300件以上」って書いててガチ勢

漫画とかアニメゲーム家電めっちゃ売ったり買ったりしてるんよ。

あれ?それはいいの??って。

おいおいおい、自分はいいんかい

自分が欲しいときはアリで、他人が売るのはナシってなんなん?

それルールじゃなくてただの自分ルールじゃん。

しかも「転売ヤー死ね!」とか言いながら、自分プレミア価格で売ってんの笑うよね。

お前、ひょっとしてライバルを蹴落としたいだけなん?

ほんと、都合のいい“腐女子モラル”ってやつ。

見てて疲れるわ。

2025-06-25

おもんない小説を読み進めてる時のぼくの顔😦

一人称が「おれ」で無気力かつハードボイルドっぽい乾いてる人物像なのに、逆接の口調が「だけれど」というのが、異様に気になる。「おれ」のキャラで「だけれど」は似合わないというか、文章リズムとしてもその「だけれど」のせいで狂っていて、ふにゃふにゃしている気がする。一文が長めなのにふにゃふにゃしているから読み難くて仕方がない。文が長いことは悪いことではない、ただ、文章が長くなれば長くなるほど書き手記述が問われるのだと本多勝一が語っていた。その意味では、この「けれども」の人は長い文を読ませるだけの力がないんだな、と思う一方、お前さ、流石に作家に対してエラそうすぎる、何様なんだお前は?と自分自身を指さして説教したい気もする。いつのまにか自我が大きくなってしまたことに反省

2025-06-24

anond:20250624112508

見識が狭い。画一的なのは一昔前。

もう作家性を感じるところまで来ている。

web小説にハマって早10年以上

小説ってほんとに書くのが難しいんだなあってのを日々感じる

 

日本語が間違っていたり論理破綻してる

箇条書き的な事実列挙だったり描写の順番がおかしい(文章演出ができていない)

お気持ち説明や設定説明で話が全然進まない

展開や人物行動、終着に意外性がゼロ

 

まあ結局好みなんだろうなあ

web小説にハマる前は商業作品しか読んでなかったけど、灼眼のシャナレッドデータガール日本語酷かったし

商業のほう好みの作品多いんだろうけどweb小説UIに慣れすぎてしまった

 

ちなみに好みの作家さんは槻影、ぶんころり、南野海風

anond:20250623080447

お前の推しの不人気ヒロイン冷遇されただけでまだ根に持ってるの?気持ち悪いよ?

短文で動機を決め付けて筆者の人格否定するお前だよ、気持ち悪いのは

作者が作品負債として捨てたがってる存在なの!

その決め付けはお前の中で問題ないことになってるのか

数年間も

数年間?

ネに持つな

なぜ?

キモオタ

いまの時代オタク蔑称として使う人がいるとはね

「史上最低の恋愛漫画家」なんて誹謗中傷みたいな

自分」史上最低を読み落としてるのこそ、誹謗中傷だな

なんなら作者に伝えよっか?誹謗中傷として訴えられるかもよ?

脅迫罪構成要件を満たすと思う

第三者を介した『害悪の告知』

表現の自由戦士の俺に言わせてもらえば、元増田くらいの論評は全然批判範囲に収まると思う。

増田なりに作家先生ダメージを受けないと踏んでの恨みの感想のようだし。

それを見てスルーするのも、態度を批判するのも自由だ(集団リンチしたのは邪悪)。

2025-06-23

anond:20250623143303

この社会の異常性の原因の一つは、プリーストリーというイギリス発明家作家が始めて、アメリカ北部マサチューセッツペンシルバニアに飛び火したカルト

ハーバード大学ユニテリアン関連機関で、奴隷制維持派で、南北戦争も起こしてた

日本にはアーサー・ナップが来た

若者教育に熱心で民族主義を煽るタイプシオニズムナチズムも、統一もその流れ。

自民とか官公庁裁判所銀行業保険業不動産業メディアなど、社会に影響する分野に多いらしい。

団体利益のためなら何でもありっぽい利権団体だよ。利権に手入れしようとした政治家不審に死没していたりする。

彼らは他団体の成長をなんとしても妨げようとするから、汚いよ。

暗殺とか戦争は彼らには当たり前らしいし、他者団体発明家を毛嫌いしてる

anond:20250622004605

Q:作家図書館で読みましたと伝えて図書館寄与する根拠はある?

ChatGPTさん見解

根拠は無い。

理由

図書館で読みました」と作家に伝える行為が、図書館制度公共性への具体的寄与(利用促進・予算増加・制度改善など)につながるという客観的根拠存在しない。作家個人に伝えることで図書館価値重要性が社会に周知される保証はなく、むしろ作家に「あなたには利益をもたらさない形で消費しました」と伝えることで不快感不利益の印象を与える可能性の方が高い。

また、日本社会において図書館の利用は法的・社会的に誰にも開かれた普遍的権利であり(例えば生活保護受給者であろうと自由に利用できる)、特定層に図書館利用を制限しようとする風潮や言説もほぼ見受けられない。そのため「貧困層の利用を正当化擁護するために告知する」という行為自体制度不要であり、むしろ図書館利用を後ろめたいもの」とみなしているかのような逆説的印象さえ与える危険がある。

図書館という制度自体は確かに文化発展に資するが、それは公的予算自治体運営・利用統計等を通じて間接的に作家出版文化全体に波及するものであり、個々の作家への告知行為と結びつくものではない。従って、「図書館で読んだ」と表明すること自体制度的・文化寄与の直接的根拠は無い。

anond:20250622004605

そもそも貧乏人は本を読むの禁止、なんて主張が通っている社会ではないでしょ日本は。

罰則は無いけど、国立国会図書館納本するのは名目上は義務になっているし、図書館価値推したいのなら、むしろ最新刊よりも絶版で読めない本が読めます、と広める方が余程有意義では。

自分も、神さまはつらい、とか、英国公使夫人の見た明治日本、とか、編曲の本、とか、もう中古でも簡単に買えないような本を図書館でお世話になったよ。

図書館に通って知的レヴェルを上げるのはわかるけど、それこそ本を読んでたらわかるけど、最新刊よりも何十年とか下手したら何百年前なのに今でも有効情報の方が価値があるのでは。最新刊情報価値なんて下手したら1年も持たない事がザラだよ。

知的好奇心を示している割に、酷く俗っぽい下賎な価値観じゃないかしら。

作家図書館で読んだと伝える事が、どう図書館を推進する事になるのか全く不明

図書館寄与したいのではなく、図書館に通ってる自分に酔っているだけでは。

片付けができないどころか、生活が良くわかってない

生活に関心を持てたり、片付けの大事さがわかるような作家とかブログとかがあったら知りたい。

幼少期の家庭環境が、あまり安心できる場所じゃなかった上に、快適さとかに関心を持たせてもらえなかったから、生活を「人間っぽい振る舞いをしなければならないから」みたいな感じでやってしまっている。けど、これは対処療法しかなく、根本治療にようやく向き合いたくなってきた。

片付けとかをした方がいい事はわかるし、物を移動させることとかは全然能力的にはできると思うんだけど、そういう日常を毛繕いするような行いに対して「自分には贅沢すぎる」「家ってそこまで大切なのか?」「生存生活の違いは...?」という思いが払拭できず、踏み出せない...。

おすすめ生活の本とかがあったら教えて欲しいです。

村上春樹スプートニクの恋人

 個人的には、村上春樹さん(以下、「春樹さん」といいます。)の作品で好きなのは、「風の歌を聴け」「ノルウェーの森」「ダンス・ダンス・ダンス」「遠い太鼓」、そしてこの「スプートニクの恋人」です。「ねじまき鳥クロニクル」や「海辺のカフカ」、「1Q84」も読みましたが、あまり印象に残りませんでした。

 一番最初に読んだのが「風の歌を聴け」だったのですが、この作品で印象的だったのは、語ること・書くことそれ自体小説となっているというところです。

 つまり、この作品主人公である「僕」は、「今、僕は語ろうと思う」と宣言する。作中に出てくる架空作家デレク・ハートフィールドは、いわゆるB級SF作品を大量に書く作家です。それにも関わらず「文章武器として闘」った作家として「僕」に高く評価されます。そのデレク・ハートフィールドは、最愛母親が亡くなった後自殺します-多分その「死」について文章を書けなかったからかもしれません。

 何も言うことはなくても、何かを語って良いのだーそれは若い自分が感じ、勇気づけられたことです。初期の春樹さんの作品の良さはそこにあるのだと思います。春樹さんがチャンドラー翻訳したこと象徴的です。ハードボイルド小説は、まさに「語る」ことの小説からです。

 ここで、「僕」が「語ろう」とし、デレク・ハートフィールドが「文章武器」とすることの対比は、興味深いです。「僕」は「語り」、デレクは「書く」。この作品でも、「僕」の友人は小説を書きますしかし、「僕」は本を読むだけ、そして、「語る」だけ-理不尽世界自分の置場を見つけるため、気になる女性に不誠実な男と思われたくないため。様々な理由で、「僕」は語ります。それを春樹さんが書きます。「語ること」そのものを書くこと、それが初期の春樹さんの文学だったのかもしれません。

 春樹さんの作品は、このデビューから主人公の軽妙な語り-会話であれ、モノローグであれ、が魅力的です。世界理不尽に抗い、傷つきやす自分を守り、誠実であることを認めて貰うために。

 しかし、一貫して春樹さんの主人公は「語る」けど、書きません。書きませんでした。いや、本当はそうでないかもしれない。「羊を巡る冒険」を私は読んでません。「1973年のピンボール」は読みました。しかし、どうもぼやけた印象です。

 ただ、「ノルウェーの森」の「僕」は、フィッツジェラルドを読むけれど、何も「書かない」。彼は書かずにただ、「語る」だけでした。

 「ダンス・ダンス・ダンス」において、「僕」は、「文化的雪かき」と自嘲するコマーシャルライティング仕事従事しています。ここで「書く」ことが出てきますが、やはり主眼は「語り」です。というか、この作品こそ、春樹さんの作品の中で最も「語り」が冴えたものだと思います警察の取り調べに対抗するために、五反田くんのことを知るために、羊男と対峙するために、ユキの職業的ボーイフレンドとして、そして、ユミヨシさんと近くなれるために、「僕」は言葉を尽くして語り続けますしかし、その最後空虚ものでしたー羊男のいなくなったドルフィンホテル。「僕」は札幌引っ越し小説家になろう、と思いますが、具体的には何もなしとげないまま、ユミヨシさんと結ばれることが物語の結末となりました。

 「本を読み、料理を作り、しゃれたやりとりで語り続ける」主人公の「僕」―初期の春樹さんの主人公典型的イメージは、若い読者の自意識に強く訴えかけます。ただ、他方で、とても空虚なことは否定できません。「僕」の周りは死に満ちています。「僕」は誰も救えない。結局、「語る」ことは、「僕」を生かしはするけれど、直子も、レイ子さんも、キキも、五反田くんも、誰も救えなかったのではないかーという疑念を抱かざるを得ません。

 それは私の後付けの感想かもしれませんが、その後数年間の春樹さんの作品は、どこか力強さを欠く印象を受けました。

国境の南 太陽の西」は自分には、若干覇気の無い「ノルウェーの森」に見えました。

 「ねじまき鳥クロニクル」は昂奮して一気に読みましたが、不思議と何も覚えていません。井戸に潜るという主人公の奇妙な行動は「語る」ことの対局にある気がします。作品としては魅力的なはずですが、これまでのものと大きな隔たりを覚えざるを得ません。

 そして、「アンダーグラウンド」―この作品において、春樹さんは語り手を「僕」から手放します。語り手はコントロールできない他者であり、春樹さんはそれを伝えるだけの役割になります。。もともと翻訳家としても活躍していた春樹さんですから、作者の「語り」を整え、伝える役割は決して珍しいものではありません。ただ、ここに来て、「僕」という一人称を手放し、もっと多様な「語り」に耳を傾けるものに変化したのではないかと思います

 その空虚さー変化というより、空虚さ、を私は感じました。「僕」はどこに言ったのだろうか。「僕」の「語り」の消滅はどこに言ってしまったのだろう。

 そんな春樹さんが次に出したのがこの『スプートニクの恋人』です。私はこの作品がとても好きなのですが、それが何故かというと、この主人公「ぼく」の弱さ、語れなさ、に共感できたんだと思います

ここで「ぼく」が登場します(「僕」ではない)。しかし、主人公の「ぼく」は何もできない。

「ぼく」が憧れる「すみれ」は、気楽に夜中に泊まりに来たりする。「ぼく」は「すみれ」に気の利いた返しで会話をしますが、それはどことな稚拙であり、戯画的です。「すみれ」に気があることを隠し、「すみれ」に嫌われないための必死のあがきのように見えます

そのうち、すみれは「ミュウ」という女性に惹かれ、あからさまな恋心を「語られ」ます。そうしてやっと「ぼく」はすみれに「好き」と言ってもらえるのですが、それに対して「ぼく」が言えたのは「ミュウの次に?」です。それはもう敗北の言葉しかありません。

この作品-「スプートニクの恋人」の「ぼく」の語りは、奇妙に平凡で月並みで、しかも誰にも届かない。

「どうしてみんなこれほどまでに孤独にならなくてはならないのだろう」

 すみれを見つけるためにギリシアまで渡った旅が徒労に終わり、おもわず「ぼく」がつぶやくこのモノローグ、こんな平凡極まりない言い回しを春樹さんが書くのかと、私は驚きました。

話は戻りますが、そのギリシアでは、「ぼく」は、ミュウからすみれとの関係の詳細を「語られ」、あらかじめ「ぼく」に読ませるかのように仕込まれたースーツケース暗証番号は「ぼく」の市外局番でしたー「すみれ」のディスクには、ミュウへの恋心と、ミュウが語らなかった、悲惨経験が「語られる」。「ぼく」はそれを読むしかない。

結局「ぼく」は何もできないままギリシアから帰ってくるのです。

いるかホテルや、井戸のような、異界への通り道はない-すみれにたどり着けない

緑やユミヨシさんのような癒やしの存在もない-「ミュウ」はあらかじめその役割を果たせない人として設定されています

結果、「ぼく」は、すれみにもミュウにもたどり着けず、そして先ほどの「どうしてみんなこれほどまでに孤独にならなくてはならないのだろう」というひどく平凡なモノローグつぶやくことしかできない。

この「語れなさ」、「語る」ではなく、「語られる」だけの「ぼく」いう存在架空作家デレク・ハートフィールドに託した、「語る」ことの意味、デレクが文章で闘っていたのだとすると、春樹さんは「僕」が「語る」のを書くという行為で闘っていたのだと思いますしかし、「語る」のは「僕」でなくてもかまわない。様々な「語り」を引き受ける「ぼく」という軽やかな主人公存在は、なさけなくて弱いけれど、とても魅力的な主人公だと思います

以上

追記)さっそくのコメントありがとうございます。私はAIではありませんw

追記2)さっそく「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んでいます。今全体の20%くらい。ものすごい悪夢感というか、解けない問題集を前にしてパニック障害一歩手前になりそうな息苦しさを感じます。この作品を愛読される方の文学的体力の強靱さには敬服いたします。

anond:20250623112543

図書館ぐらいしか買ってくれないような作家の本の図書館への仕入れ率はめちゃくちゃ低いだろうし、

逆接的に最低保証としてはぜんぜん機能しないと思うよ

anond:20250622105428

図書館作家利益を損ねているという事実はない。
何故なら本の販売は元来儲からないものからだ。
出版される新刊の九割以上は赤字で、人気がある作品利益赤字分を埋める構造になっている。

なぜ赤字の本を売るのかというと「どれがウケるかは売るまでわからない」から
どれが売れてどれが売れないかが事前にわかるなら苦労はない。
色々と出してみてどれかがアタリという確率商売なんだよ。

「最悪の場合でも図書館だけは買ってくれる」という最低保証によって最低の作家にも一応の印税が入ってくる (出版社としては利益にはなってない) 仕組みが維持されているので作家にとって図書館セーフティネットとして無くてはならないものだ。

anond:20250623082925

書物メンテなどがなく、物品購入のみがほぼ唯一の製作者への還元しかならない性質がある

認知が増えるという話題を入れると複雑化するのでここでは無視ね)


中古車はまあ類似事例だろう

※それでも、故障部品提供など中古車流通メーカーに利することもそれなりにある


デザイナーはずれてる。印税っていう制度がない業界から一度製造して販売店に渡った段階で完結してる

アパレルブランドってのならまだわかる


文句はここまでとして、そこまで気にしてる作家なんてほぼいないわな。ダブルスタンダートが当たり前じゃん?

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