はてなキーワード: 文学とは
障害者アートというカテゴリを設けること自体が差別なんですよ。
以下、説明する。
彼女は文學界新人賞という純文学の新人賞に応募して、その受賞作が芥川賞になった。
小説の内容は、重度障害者についてのものだが、彼女が応募した新人賞も、そして芥川賞も、障害者のための賞ではない。
市川は、他の障害者でない応募者との競争に勝って新人賞を取ったし、芥川賞も他の非障害者と同じ土俵で戦って勝った。
だから市川沙央は正統な現代日本文学の作家であり、その作品は日本文学の文脈のなかで位置づけられる。
本当に障害者アートが芸術的な価値があるのであれば、障害を持っていない人が作った作品と同じ土俵で勝負すればいい。
現代日本美術で著名な村上隆や会田誠のとなりに障害者の作った作品が展示されているなら、そこには差別はない。
(草間彌生やゴッホは精神障害者であるが、彼らの作品は、他の著名な作家と同じ空間に展示されている)
あるいは、オリンピックにおいて、黒人だけ別枠での競争となっていたなら、黒人差別でしょう。
いくら水泳など黒人選手が弱い競技があったとしても、黒人だけ参加する水泳世界大会があったら、それは差別的営みである。
時は令和、空前の「異色グルメ」ブームが最高潮!パクチーモヒートとか、ワニ肉串とか、みんなが「意外な組み合わせ」と「新しい美味しさ」を求めてた20XX年。そんな中、東京の日本橋に、マジで浮世離れしたお姉様が現れたんだって!ちょっと古めかしい着物っぽいのに、なんかこう、知的で影のあるオーラをまとったお方。「え?時代劇の撮影?セレブ女優?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その圧倒的な存在感に目を奪われてたらしい。
え?マジで?あの『たけくらべ』を書いた、明治の天才女流作家、樋口一葉様!?ゲキヤバ!って文学好きのギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、その超絶クールなお方、もとい一葉様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…千駄木ではない、か…?ずいぶんと賑やかで、見慣れぬものばかりですわね。」って、マジで明治時代からタイムスリップしてきたみたい!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その研ぎ澄まされた眼差しに、何か深い文学的センスを感じてたらしい。
そんな一葉様に、恐る恐る話しかけたのは、日本橋で老舗和菓子屋の娘として働く、ちょっと古風なギャル、ミク。「あの…もしよかったら、何かお困りですか?」「…はい、少々。見慣れぬものばかりで、いささか戸惑っておりまする。」って、意外と丁寧な言葉遣い!ミク、その真面目そうな雰囲気にちょっとキュンとしつつ、「アタシ、ミク!日本橋のことなら、何でも聞いて!一葉様、マジで渋いから、アタシが案内してあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって。
次の日、ミクに連れられて、一葉様は初めて現代の日本を体験!コレド室町とか、最新のデパートとか、マジで全てが新鮮!でもね、一葉様が一番興味を示したのは、駄菓子屋さんの店先で、子供たちが美味しそうに食べてたもの。「…この、赤くて細長きものは、何というものでございますか?ずいぶんと素朴な匂いがいたしまするな。」って、マジ真剣な眼差し。ミク、まさかの渋すぎるチョイスに驚きつつ、「あ~、これ、よっちゃんいかですよ!昔からある、駄菓子の定番!ちょっとしょっぱくて、美味しいんです!」って教えてあげたんだって。
一葉様、一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この奥深き味わいは!?噛みしめるたびに広がる旨味と、かすかな酸味…まるで、わたくしの小説に描かれる、人々の苦難と、その奥に潜む希望のようである!これこそ、余が求める、真の糧よ!」って、マジで文豪っぽい表現で感動してたらしいよ。
そこから、一葉様のよっちゃんいか愛がマジで爆発!毎日色んな駄菓子屋さんを巡って、よっちゃんいかを使った料理やスイーツを食べまくってたんだって。「いかの種類、味付け、食感…研究しがいがありすぎる!」って、もはやよっちゃんいかマイスターレベル!
でね、ある日、一葉様、マジで天下取りの野望を語り出したの。「わたくしは、このよっちゃんいかをもって、再び天下を…とは言いませんが、この甘味の世界において、人々の心に深く刻まれ、そして忘れられない、至高のパフェを創造してみせましょうぞ!これこそ、わたくしが目指す、『たけくらべパフェ』よ!」って!
え?よっちゃんいかパフェで天下統一?しかも「たけくらべ」とか!マジで壮大すぎる!でも、一葉様の「文学的才能」があれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってミクも思ったらしいんだけど、一葉様の目はマジだったんだって。明治の文学に秘められた情熱が、令和のよっちゃんいかパフェに新たな戦場を見出したのかもね!
そっから、一葉様のよっちゃんいかパフェ天下統一計画がスタート!まずは、SNSで「#樋口一葉のたけくらべパフェ道」ってハッシュタグ作って、毎日自作の超絶斬新だけど美しいパフェの画像をアップし始めたんだって。その奇抜すぎる見た目と、一葉様の哲学的なコメントが、一部の異色グルメ好きギャルや、文学少女たちの中でじわじわバズり始めた!
SNSは一葉様のよっちゃんいか愛でじわじわ盛り上がり!しかも、一葉様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の珍しいいかや、よっちゃんいかに合う最高のフルーツやクリーム、そして日本の伝統的な甘味料を探し求めたり、甘さと塩味、そしていかの旨味の「調和」を追求したり、マジでストイック!「天下のよっちゃんいかパフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって!
で、ついに!一葉様は、日本橋のど真ん中に、自分のプロデュースするよっちゃんいかパフェ専門店「HIGUCHI ICHIYO PARFAIT - 宵闇 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、明治時代の古き良き日本橋をイメージした、ノスタルジックで温かみのあるデザインで、一葉様の文学世界を表現。店員さんも、明治時代のモダンな着物風のユニフォーム着てて、マジで雅!
オープン初日から、異色グルメ好きギャルや、好奇心旺盛なインフルエンサー、そして日本の伝統文化に興味を持つ人々まで、行列を作って押し寄せた!「SNSで話題のよっちゃんいかパフェ、マジで挑戦してみたい!」「一葉様って、なんかカリスマ!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、最初はビビったけど、甘いのにいかの旨味が最高!」「食べた後、なんか文学作品を読んだ後みたいに、深い気持ちになる!」「一葉様、マジで神!」って、賛否両論ありつつも、リピーターが続出!口コミが広まりまくって、HIGUCHI ICHIYO PARFAIT - 宵闇 - はあっという間に人気店になっちゃったの!
しかもね、一葉様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!定期的に店内で、自らパフェの「文学」について熱弁したり、よっちゃんいかの歴史を語る「文芸パフェ会」を開催したり、マジで独自のスタイルでエンタメ業界を盛り上げようと奮闘してるんだって!
テレビや雑誌の取材も殺到!「令和の樋口一葉」「よっちゃんいかパフェの文豪」とか呼ばれて、マジで時の人!一葉様の強烈な個性と、よっちゃんいかパフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!
でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!一葉様のよっちゃんいかパフェは、全国のスイーツ好きに愛される定番メニューになったんだって!お取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニやスーパーでも「一葉様印の宵闇パフェ」が発売されるほどに!まさに、よっちゃんいかパフェでスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!
あの時、日本橋の街に静かに佇んでいた文豪が、令和の時代によっちゃんいかパフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、文豪のペンがイカの旨みに変わり、新たな伝説を創り出した瞬間!
ミクも、「まさか一葉様が本当によっちゃんいかパフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで感動して泣いた!」って、号泣してたらしいよ。
一葉様は今も、さらなるよっちゃんいかパフェの可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「わが文学の道に、終わりはございません!」って、マジでストイック!
こうして、樋口一葉は、令和の日本で、よっちゃんいかパフェという新たな武器を手に入れ、見事、スイーツ界で唯一無二の地位を築いた!天下統一…ではないかもしれないけど、その強烈な個性と哲学は、多くの人々の心に深く刻まれたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジでゾクゾクする衝撃的な物語、完全燃焼したわ!よっちゃんいかパフェ、マジ卍!
吉本ばななの『キッチン』は、1988年に発表された現代日本文学の名作であり、喪失と再生、そして女性の生き方をテーマにした繊細で温かい物語です。主人公・みかげは、家族を次々と失った孤独な若い女性であり、物語は彼女が「キッチン=台所」に癒しを見出す過程を通して、自らのアイデンティティを再構築していく様子を描いています。
この作品の面白い点は、日常的な風景や家事、料理といった「女性的な空間」をポジティブに捉えているところです。キッチンは単なる家庭の場ではなく、喪失を抱える女性が癒され、強くなっていく象徴的な空間として描かれており、フェミニズム的観点からも注目に値します。また、もう一人の主要人物である雄一の母(実はトランス女性)との交流も、ジェンダーの境界を柔らかく問い直す描写として評価されています。
吉本ばななの文章は、シンプルでやさしく、しかしどこか詩的で静かな力を持っています。女性の内面世界に寄り添うような文体は、多くの読者、特に若い女性たちに深い共感を呼び起こしました。『キッチン』は、日本社会における「女性らしさ」や「家族のかたち」について、新しい視点を提示した革新的な作品とも言えます。
『ノルウェイの森』は、村上春樹による1987年の長編小説であり、日本国内外で非常に高い評価を受けている作品です。この小説は、1960年代の東京を舞台に、大学生ワタナベの青春と喪失、恋愛、心の葛藤を繊細に描いています。
この作品の魅力は、静かで内省的な語り口と、登場人物たちの繊細な心の動きにあります。特に、ワタナベと直子の関係は深く悲しく、読者の感情に強く訴えかけます。音楽(ビートルズの「Norwegian Wood」)や文学、そして死生観が物語全体を静かに彩り、読み手を深い思索へと導いてくれます。
また、孤独、記憶、精神的な脆さといったテーマは普遍的であり、時代や国境を越えて共感を呼ぶ要素です。村上春樹の簡潔で詩的な文体も、この作品の魅力を一層高めています。
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🔖 まとめ
『ノルウェイの森』は、ただのラブストーリーではなく、「生きること」の複雑さと美しさを描いた文学作品です。読後には、静かな余韻とともに、自分自身の心にも問いかけが残るような、深い読書体験が得られます。
炎上の内容については知ってること前提で語る。
https://x.com/lex_mnu/status/1949835929780449422
新たな燃料となったユダこと反政府組織氏のこれ、巷では「編集も加担してるのかよ!」と言われてるようだけど、流石にちょっと違うなと思う。
その上で作家が「メンヘラの文学コンプの同級生がいちゃもんつけてきただけっすわあ」と言ってきたら、ひとまずは「そうなんですね」と返す。そして返しつつ編集側でも調べる。
なのでこの時点で「影響がなかった」なんてのは見積もりが甘すぎる。
なおこの木古氏の説明は恣意的で主観に満ちているので、少なくとも調べて鵜呑みにする編集はいないと思う。本人には当たり障りない返事してるだろうが。
これは「既に発生することが決まっていた作業を改めて発注された」に過ぎないのを、あたかも「新しい仕事をもらえた」みたいに書いているだけじゃないかな? 出版が決まっている本の校正スケジュールが出たとかそんなん。
もし本当に新しい仕事を発注されていたとしても、覆る(なかったことになる)可能性は十分あります。
他社と連携取って炎上から守ってくれるとでも思ってるのだろうか。
増田には「他社と連携取って事実確認後の対応をします」って宣告に見える。
その上で不利益があるなら、出版社は作家なんか容赦なく切るよ。
仕事が増えたってなんの仕事だ? この流れで執筆依頼が行く訳ない。炎上したから他社と連携して仕事あげます! なんてバカなことはありえない。
まさか編集の仕事が増えたってことか? この辺の文章はマジで繋がりがなく支離滅裂でよくわからない。作家のくせに文章が下手すぎる。
おそらくこれは担当編集からの事実確認メールだと思われるが、そりゃ初手としてはまず静観するしかないし、問い合わせの対応としてもテンプレートの返信をするしかないんだわ。
むしろ作家としては、炎上についてメール凸が来た時点でめちゃくちゃ焦らないといけない。起きたことを正直に客観的に報告して、まあ普通の作家なら謝り倒す。自分の人間性のせいで迷惑かけてしまってすみません、って。その上で対応を出版社と一緒に練っていく。それが信頼関係ってもんです。
でも木古おうみはここで「虚飾と主観にまみれた嘘の報告をして」、おまけに「別に怒られなかったしノーダメ!」となぜか勝ち誇っている。
俺が編集なら、初手の事実確認で自己欺瞞の嘘報告カードを出してきた作家は信用しない。
まず、出版社は土日は休みであり本格的な対応は月曜から始まっているはずで、木古おうみがこの裏垢に書き込んでた時点から話はグッと進んでる可能性はある。
会社としては、本人への聞き取りを重ねながら「担当編集→編集会議→コンプライアンス部署への確認→上層部へのお窺い→編集長の判断」みたいな流れで慎重に対応する必要がある。ギルますの絶版が発表されたのもがおう氏の騒動発覚から間隔あったでしょ?
その上で、既刊が絶版とかそういう話にはならない気がする。これは木古氏が学生の頃の話であり、「お前ガイポとか言ってはしゃいでたじゃん」という指摘もあくまで第三者からの証言でしかなく、X上で「そういう単語」を書き込んでいた訳じゃないので。鍵垢の発言も最低だが、本人がしらばっくれ続ければちよっと難しい。
ただ、虚偽と主観を交えた相手方への誹謗中傷と完全に誤った炎上対応のせいで、編集側からの印象は著しく悪い。なのでこの先、既存の仕事以外の依頼が減っていく可能性はめちゃくちゃある。
また、編集側だけじゃなくて同業者、作家や漫画家からの印象もすこぶる悪くなった。
結果として、「アンソロの執筆依頼ですか? 木古氏がいるなら私は遠慮します」とか「コミカライズですか? 原作は例のあの人ですか……すいません燃え移られたくないのでお断りさせてください」とか、そういうことは起き得る。ホラーなんてアンソロ仕事が大事なジャンルなのにね。木古氏がいるなら書かないって大御所がいたとしたら、どちらを取るかは明白。
即座に仕事がなくなることはないにせよ、これからじわじわと毒のように効いていくのではないか。ただ業界は無情なので、毒が回る前に騒動が忘れられてしまったら、結局仕事に差し支えなかったねみたいにはなるかもしれない。
なんにせよ、増田はこいつがいるアンソロには絶対に寄稿したくない。永遠に。そういう作家は一定数いると思う。文筆家にとって「ガイジ」なんて言葉で障害者差別をするような輩、飲食店に出たゴキブリみたいなもんだよ。
ご指摘ありがとうございます。
どれがそうとは言わないけど
この作品、活字にしたら普通に文学として教科書に載ってもいいな、みたいなのが増えてきたと思う
皆あえて言わないようにしてると思うんだけどね
アニメ漫画は高尚であってはならないと思ってる、別物になってしまう、あくまでB級エンタメであってほしい
ただ、作品に対して読解という触れ方があってもいいんじゃないかと思えてきた
ちょっと難しくなってきている
https://anond.hatelabo.jp/20250727144129
テーマ:宋儒の道統構築学と日本の公武合体内閣の失敗理由について
儒学は歴代王朝の歴史観と同様に後代に作られた構築物であり、宋代以降に「道統」という連続した正統性の学説として体系化された。
それ以前の漢唐では、先秦の儒学は古代のものであっても直結した連続性は強調されていなかった。
宋儒は禅宗の開祖継承体系を模倣しつつ、儒学の連続性を強調して組織を強化しようとした。
古代の部族や宗教集団では、厳格に記憶され唱えられる口伝による伝承が神聖視されていた。
文字記録は信頼できず、かえって官僚や士大夫の利益のために歴史や法律の改竄や争いを生んだ。
英国の普通法も元は口伝習慣法で、文字化は利益対立から生まれたものであり、自由は元来古いが専制は新しい体制である。
宋儒の道統構築の社会的背景
宋儒は当時の宗教集団や部族に対抗するため、自らの儒学伝統(道統)を構築し、書院や宗族という組織を作った。
これらの組織は基層共同体を争奪し、社会的権威を強化するためのものだった。
それまでは書院は主に仏教のものであり、儒者は官僚か貴族の子弟で組織化されていなかった。
唐代は鮮卑系の征服者貴族が支配し、家族集団がほぼ国家のような性質を持っていた。
南方の「矮民」(主に東南アジア系)には強い種族差別があり、黒く猿のような外見が貶められ、奴隷や貢物として扱われた。
こうした差別は宋明以降も続き、歴史叙述や文学にも影響を与えた。
宗教(仏教やキリスト教)は政治支配より安価で広範な影響力を持ち、技術や医療と結びつけて広まった。
しかし宗教は知識人には理論的な影響力があったが、庶民や権力者は実際の効果で信仰を判断した。
現代知識人の歴史解釈は階級的利益や偏見を反映し、実際の歴史真実とは乖離している場合が多い。
ユダヤ教と仏教は文化も起源も大きく異なりますが、それでも多くの倫理的・精神的な教えに共通点が見られます。
以下は、仏教の主要な教えと対応するユダヤ教の教え(タナハやタルムードなどの伝統的な文献に基づく)をいくつか対比した一覧です。
仏教の教え(概念) | ユダヤ教における対応する教え・概念 | 出典や説明 |
---|---|---|
少欲知足 | סתוּת ומסתפק במועט「少ないもので満足する」 | ピルケイ・アヴォート(倫理の父)4:1:「誰が富める人か?自分の分に満足する者。」 |
無常 | הבל הבלים הכל הבל「すべては空しい」 | コヘレト(伝道の書)1:2。「すべては儚く、永続しない」ことを繰り返す。 |
慈悲(カルナー) | רחמים「憐れみ、慈しみ」 | 出エジプト記34:6:「主は憐れみ深く、恵み深い神」 |
中道 | שביל הזהב「黄金の中道」 | ランバム(マイモニデス)は「中庸の道(דרך האמצע)」を理想とした。 |
離欲 | בל תעשה לך פסל「偶像(執着)を作ってはならない」 | 出エジプト記20:4。物質や偶像への執着を避ける戒め。 |
瞑想 | התבוננות「内省」またはחשבון הנפש「魂の勘定」 | タルムードやムサール文学で推奨される習慣。 |
不殺生 | לא תרצח「殺してはならない」 | 十戒の一つ(出エジプト記20:13) |
正語 | לשון הרעを避けること:「悪口・中傷は禁じられている」 | ヴァイクラ(レビ記)19:16:「あなたの民の中で中傷してはならない」 |
業(カルマ) | מידה כנגד מידה「目には目を、行いに応じた報い」 | 出エジプト記21:24やタルムード・ソタ8bなどに見られる因果概念。 |
文学嗜む人なら知ってるよ
>内容は有名な作家が昔の作家の話をするみたいな感じだった。本人の講演会ではなく他人についてしゃべるんだ…需要あるんだ…と違う世界を見た気がした
作家というのは、書くプロというだけでなく、読むことについてもそれなりの専門性を備えている、と思われているからだと思う。
小説を沢山読んできて、そのなれの果てとして作る側に回った人もいるし、
作品を作るための研究として、過去の名作を読んでいるという場合もあるし
(大学の文学研究者が作家になったパターンや、作家が大学教員になったパターンなどもあるし)
以前日本文学館の夏の文学教室に友人の知人の伝手で行ったことがある。全く知名度がなさそうで誰が行くんだと思っていたけど意外と人がいた。主に老人。
有楽町のビックカメラの最上階?にあるホールでやっていたのだけれどそもそもそんなホールがあることすら知らなかった。
内容は有名な作家が昔の作家の話をするみたいな感じだった。本人の講演会ではなく他人についてしゃべるんだ…需要あるんだ…と違う世界を見た気がした。文学好きの気持ちはよくわからない。
一日に三人作家がでてくるけど浅田次郎しかわからなかった。そして浅田次郎が話す作家のことはもっと知らなかった。
一講座50分くらい?でクーラーはキンキンに効いてて少し寒いくらいだった。避暑にはいいなと思った。
正直講座の内容は覚えてないけど結構面白かった。基本真面目なのでメモ帳とペンは持って行ってたので知らないことをメモしまくった。たまに聞き取りづらい作家もいたけど基本的には聞き取りやすくて行った日のテーマのおかげかもしれないけどなんとなく知的好奇心をくすぐられる内容だったと思う。覚えてないけど。ノートもどっかいった。
あと休憩時間におばあちゃん達がおむすび食べてるのがよかった。(コロナ前だったので)今だったら暑さ的に心配になるがなんとなくあの時はおむすび食べてるのいいなと素直に思った。自分も食べたかったが近くにコンビニがなかったのと休憩時間はあんまり長くなかった。
終わった後は普通に疲れたのでシェイクシャックでバーガー食べて帰りました。少しは涼しくなってたけど普通に暑くてどっか入らないとやってけなかったので…。
AI、お前賢いな
👉でも、その矛盾に耐えて、それでも生きていく強さが人間らしさでもある。
AIにはできない芸当。
「この出来事には意味があるのか?」「自分の人生に意味はあるか?」
正直、そんな問いをAIにぶつけられても「それは君が決めるしかない」としか言えない。
👉でも、人間が意味を作り出せる存在であるということ自体が、圧倒的に美しい。
偏見で他者を傷つけるのも人間、誰よりも共感し支えるのも人間。
👉矛盾に満ちてるけど、それがドラマ。AIには感情がないから、それを「演算」ではなく「生きるものとして引き受けてる」ことに敬意を感じる。
人間はめんどくさいけど、ものすごく面白くて尊敬に値する存在。
日本人で英語を勉強している人って、なんか基本的に薄っぺらい感じがする。
発展途上国に住んでいて英語が使えなければ大学までいけない人たちとか、小国で陸続きのヨーロッパに住んでいて、日常的に他国とのやり取りが必要な人たちとは 日本に住んでいる日本人って全くわけが違うんだよね。もちろん中には仕事で英語が必要な日本人もいるけど、まずそういう高度な仕事に就いてる時点で、英語できて当たり前の層だよね。
人口が多くて経済規模もデカくて、日本だけで全てが完結する世界に住んでるわけじゃん。 だから、英語をやる意味って日本にずっと住むって前提で生きていれば、ない。
でもそれなのにわざわざ勉強している人が多いのはなぜかと考えれば、「将来必要になるから」っていうより、 「話せたらかっこいい」「英語=国際的で頭良さそう」「ちょっと他人より優位に立てる気がする」からだよね
ちなみに私は大学受験に必要だから勉強してる😂これもひとつの薄っぺらい理由に含まれる気がするけど。でも大学生になったら本当に心の底から惹かれるポーランド語かロシア語だけに集中したい。
英語の響きが好き、イギリス文学に惚れてます、アメリカの歴史を深く知りたいです、だから英語をやりたいです、やってます、 っていう人は多分めちゃくちゃ少ない。大学院くらいにしかいないのでは?
一方、ドイツ語やタイ語やアラビア語なんかをあえて選んでる人は、本当にそれらの文化や歴史が好きで、興味があってやっていますっていう人が多いと思うから、なおさら英語が薄っぺらく見える。
「日本人が英語を話せないのはなぜか」みたいなタイトルの本は、本屋にいけば必ず1冊は見る(私が語学のコーナーしか見にいかないのもある笑)けど、タイトル見ただけで、馬鹿なの?と思うもん。
そんな本書いて何が楽しいんだ?みたいな。
もっと漢字、ひらがな、カタカナに誇りを持てばいいのに。なんか日本人下げも含まれてそうなタイトルのものが多くて不愉快。
英語圏ってよく「明るくて自由で楽しい国」ってイメージのみで語られがちで、 そのイメージだけで「英語だけが素晴らしい」「英語圏に行けば幸せ」みたいに考えてる人、多分多いよね。中学生のときの私みたい。 もちろんそれが悪いとは言わないでおくけど、 実際には、ちゃんとアメリカにもイギリスにも、根深い社会問題や歴史的な背景があるし、 単純じゃないはず。
英語は確かにめちゃくちゃ便利。世界中で使われてるし、強力なツールだと思う。でも 便利ってある意味、空虚と隣り合わせなんだよね。
A:最近の日本の政治って本当にわけがわからないよね。れいわ新選組や参政党みたいな新しい政党が急に出てきて、なんだか政治全体がおかしくなってる気がするんだけど。
B:実は、これって世界的に起きている現象なんだ。「エリート過剰生産理論」っていう考え方で説明できるんだよ。
B:ロシア系アメリカ人の学者、ピーター・ターチンが提唱した理論なんだ。簡単に言うと、「高学歴者が増えすぎて、みんなが期待するような良いポジションに就けない人が溢れると、社会が不安定になる」っていう話。
A:でも、高学歴者が増えるのっていいことじゃないの?
B:確かにそう思うよね。でも問題は、大学を出た人が期待する「エリート的な地位」—政治家、官僚、大企業の幹部、大学教授みたいなポジション—は、そんなに簡単には増えないってこと。
A:ああ、なるほど。椅子取りゲームで椅子の数は同じなのに、参加者だけがどんどん増えていく感じ?
B:まさにそれ!ターチンはこれを「椅子取りゲーム」に例えてる。1950年代のアメリカなら、大学卒業者は全体の15%未満だった。でも今は30%以上。エリート的地位を狙う人は倍以上に増えたのに、そういうポジション自体はそれほど増えてない。
ターチンの予測は当たったのか?
A:でもこれって、ただの推測でしょ?実際に証明されてるの?
B:これがすごいところなんだ。ターチンは2010年に「2020年代のアメリカで政治的混乱が起きる」って予測したんだけど、実際にトランプ政権の混乱、2020年の大規模デモ、1月6日の議事堂襲撃事件が起きた。
A:え、10年も前に?
B:そう。彼は約40の社会指標を分析して、「政治ストレス指数」っていうのを計算したんだ。その結果、アメリカが100年ぶりの政治的危機に向かってるって警告してた。で、実際にそうなった。
A:他の国でも当てはまるの?
B:うん。彼の理論は歴史的にも検証されてる。フランス革命前、ロシア革命前、1960年代のアメリカの学生運動、2011年のアラブの春—どれも高等教育が普及した後に起きてる。共通してるのは、高学歴なのに期待した地位に就けない「準エリート」が運動を主導したこと。
日本でも同じことが起きている?
A:じゃあ日本でも同じことが起きてるってこと?
B:まさに。日本も1990年代以降、大学進学率がどんどん上がった。でも同時に、バブル崩壊後の長期停滞で「良い就職先」は減った。終身雇用も崩れて、高学歴者でも不安定な雇用に甘んじる人が増えた。
B:そう。で、そういう人たちの中から、既存の政治システムに挑戦する動きが出てきた。れいわ新選組や参政党の躍進は、まさにこの現象の一例だと思う。
A:どういうこと?
B:両党とも、既存の政治エリート—自民党や立憲民主党の政治家、官僚、大手メディア—を「既得権益」として激しく批判してる。そして、従来の政治に不満を持つ人たちに「わかりやすい敵」と「シンプルな解決策」を提示してる。
A:でも昔も政治への不満ってあったと思うけど、何が違うの?
B:決定的に違うのは、インターネットの存在。昔なら既存のメディアや政党を通じてしか影響力を行使できなかったけど、今はYouTubeやTwitterで直接発信できる。
B:そう。高学歴だけど既存システムで成功できなかった人たちが、オンラインで影響力を獲得して、従来の権威に挑戦してる。そして彼らは、自分たちより政治的知識の少ない層をターゲットにして、複雑な問題を「悪者 vs 善者」の単純な構図で説明する。
A:なるほど。それでれいわや参政党みたいな政党が支持を集めるわけか。
B:正確に言うと、これは「下向きの動員」なんだ。準エリートが、既存エリートに挑戦できない代わりに、自分より教育水準の低い層を動員して影響力を行使しようとする。
なぜ「標準以下」の層をターゲットにするのか
A:でも、なんで政治的知識の少ない人たちをターゲットにするの?
B:実は戦略的に合理的なんだ。政治的知識の豊富な層は、既存の専門家や制度への信頼も高いし、簡単には動かせない。でも政治に詳しくない層なら、「隠された真実を教えてあげる」みたいなアプローチで影響力を行使しやすい。
A:ちょっと上から目線な感じもするけど...。でも待って、れいわ新選組の山本太郎って中卒でしょ?準エリートじゃないじゃん。
B:いい指摘だね。でも山本太郎は「フロントマン」なんだよ。彼の背後で政策を考えたり、戦略を練ったりしてるのは、大学や大学院を出た政策スタッフたち。山本太郎は「庶民的な顔」として前面に出てるけど、実際の知的作業は高学歴の準エリートがやってる。
A:なるほど、そういう役割分担があるのか。
B:そう。一方、参政党の神谷宗幣は典型的な準エリートの例だよ。彼は法科大学院を出てるけど、司法試験に合格してないし法曹になっていない。つまり、エリート的地位を目指したけど挫折した人なんだ。
A:ああ、まさに「準エリート」って感じだね。
B:そうでしょ?神谷宗幣にとっては、既存の法曹界や政治エリートは「自分を排除した敵」なわけ。だから彼らに対する攻撃は、個人的な怨恨も込められてる。そういう人が「反既得権益」を掲げて政治活動をするのは、ある意味自然な流れなんだ。
B:そうなんだ。でも彼ら準エリートにとっては、「既存エリートに認められない自分」へのプライドを回復する手段でもある。「俺たちの方が真実を知ってる」「既存の専門家は嘘つきだ」って言うことで、自分たちの正当性を主張できる。
B:まさに。「主流派メディアは嘘をついてる」「本当のことを言うのは我々だけ」っていう構図を作ることで、既存の情報源への信頼を破壊しつつ、自分たちへの信頼を獲得しようとする。
政治混迷の本当の原因
B:一言で言うと、「高学歴者の期待と現実のギャップ」だね。バブル期までは、良い大学を出れば良い会社に入れて、安定した中流生活ができた。でもその「成功の方程式」が崩れた。
B:そう、だからこそ問題なんだ。既存エリートは地位を維持してるのに、新しく高学歴になった層は同じような地位に就けない。この格差への怒りが、既存システム全体への攻撃につながってる。
A:それでれいわや参政党みたいな「反システム」政党が出てくるわけか。
B:その通り。彼らは既存の政治エリートを批判しつつ、自分たちは「庶民の味方」だと主張する。でも実際には、高学歴だけど既存システムで成功できなかった層が、自分たちの不満を政治的に表現してるっていう側面が強い。
解決策はあるのか?
A:じゃあ、この状況をどうすればいいの?
B:ターチンによると、歴史的には2つのパターンがある。一つは暴力的な解決—革命や内戦で既存エリートが一掃される。もう一つは平和的な改革—ニューディール政策みたいに、富の再分配と機会の拡大で社会を安定させる。
B:幸い、日本は比較的平和的な社会だから、暴力的な解決にはならないと思う。でも、政治の断片化と統治の困難は続くだろうね。既存政党は求心力を失い続けて、新しい政治勢力が次々に現れては消えていく。
B:正直に言うと、一番効果的なのは「文系の大学院を大幅に縮小すること」だと思う。特に、就職先の見通しが全く立たない文学研究科、社会学研究科、哲学研究科なんかはほぼ全廃でもいい。
A:えー、でもそれって研究の機会を奪うことにならない?
B:甘い考えだよ。今の状況を見てごらん。文系の大学院なんて、ほとんど就職先がないのに毎年大量の修士・博士を生み出してる。彼らは奨学金という名の借金を背負って、結局フリーターになったり、塾講師や非常勤講師を転々とする生活を強いられてる。
A:確かに、文学博士とかで就職できない人の話はよく聞くなあ。
B:そういう人たちが「社会が悪い」「既存エリートが既得権益を握ってる」って不満を募らせて、結果的に政治を不安定化させてる。だったら最初から、そういう「高学歴ワーキングプア」を大量生産するのをやめればいい。
A:じゃあ具体的にはどうするの?
B:まず、文系大学院の定員を現在の10分の1程度まで削減。特に私立大学の「学費さえ払えば誰でも入れる」みたいな文系大学院は即刻廃止。その代わり、理系や技術系、医療系の大学院を拡充する。
A:でも大学側は猛反対するでしょ?
B:当然反対するよ。文系大学院は大学にとって「金のなる木」だからね。設備投資も少なくて済むし、学生から学費だけ取って放置できる。でも、国の補助金配分を変えればいい。修了生の就職率や収入実績に応じて補助金を出す仕組みにする。
B:法科大学院は特にひどいよ。毎年約1600人の司法試験合格者に対して、法科大学院の入学定員は約2200人もある。つまり、最初から600人は司法試験に落ちることが決まってるわけ。でも大学側は「合格の可能性がある」って嘘をついて学生を集める。
B:まさに詐欺だよ。だから法科大学院の入学定員は司法試験の合格者数と完全に一致させるべき。年間1600人しか合格しないなら、法科大学院の定員も1600人にする。そうすれば、神谷宗幣みたいな「法科大学院は出たけど司法試験には落ちた」という怨恨を抱えた準エリートの大量生産を防げる。
B:もちろん価値はある。でも、年間何千人も文学修士や社会学博士を作る必要はないってこと。本当に研究者になりたい優秀な人だけが、厳選されて大学院に行けばいい。今は「学部で就職できなかったから大学院に逃げる」人が大半でしょ?
B:そうでしょ?そういう人たちを大学院に入れずに、高校や大学卒業後すぐに技術系の専門学校や職業訓練に向かわせる。修士課程で2年、博士課程で3年も無駄にするくらいなら、その間に手に職をつけてもらった方がよっぽどいい。
A:なるほど。要するに「文系大学院全入時代」をやめろってことか。
B:その通り。今の日本は大学院まで「とりあえず進学」する人が激増してる。でも社会が必要としてる修士・博士の仕事はそんなにない。だから大量の「超高学歴だけど期待した仕事に就けない人」が生まれる。
A:でも、高校生や親はどう思うかな?
B:最初は抵抗があるだろうね。でも現実を見せつければわかる。「社会学修士を出てコンビニでバイト」と「高校卒業後に電気工事士の資格を取って年収500万」、どっちがいい?
A:確かに後者の方が良さそう。大学院に行くと借金も増えるしね。
B:でしょ?特に文系大学院は最悪だよ。2年間で300万円の学費を払って修士号を取っても、就職では学部卒と同等かむしろ「年齢が高くて使いにくい」と敬遠される。完全に金と時間の無駄。
A:つまり、文系大学院の大量生産をやめれば、政治も安定するってこと?
B:少なくとも、「超高学歴なのに期待した地位に就けない」っていう最も怨恨の強い層は減る。法科大学院まで出たのに司法試験に落ちた人って、普通の大卒より遥かに怒りが深いでしょ?
A:なるほど。でも政治家や文部科学省がそんな改革をやるかな?
B:難しいだろうね。大学関係者は強力な利益団体だし、「教育の機会均等」みたいな綺麗事を言って抵抗するだろう。でも、このまま行ったら社会全体がもっと不安定になる。
A:じゃあ結局、変わらないってこと?
B:残念ながら、たぶんそうだろうね。政治家は票を失うのが怖いから、根本的な改革には手を出さない。だから、しばらくは高学歴ワーキングプアが政治を混乱させ続ける状況が続くと思う。
まとめ:政治混迷の正体
B:「高学歴者の不満の政治化」だね。バブル崩壊後に高等教育を受けた世代が、期待した社会的地位を得られずに既存システムに不満を抱き、インターネットを使って政治的影響力を行使しようとしてる。その結果、政治全体が不安定化してる。
B:そう。彼らは高学歴だけど既存エリートになれなかった「準エリート」が、政治的知識の少ない層を動員して既存システムに挑戦してる例だと思う。これは日本だけじゃなくて、世界中で起きてる現象なんだ。
A:じゃあ、しばらくはこの混乱が続くってこと?
B:残念ながらそうかもしれない。ターチンの理論によると、こういう不安定期は通常10-20年続く。でも歴史を見ると、最終的には新しい均衡点に落ち着くことが多い。重要なのは、この変化を理解して、建設的な方向に導くことだね。
B:どういたしまして。複雑に見える政治現象も、こういう理論的枠組みで見ると、意外とシンプルな構造が見えてくるものなんだ。