建久三年(1192)八月九日、征夷大将軍源頼朝の次男として生まれる。母は北条政子。幼名は千幡(せんまん)... 建久三年(1192)八月九日、征夷大将軍源頼朝の次男として生まれる。母は北条政子。幼名は千幡(せんまん)。 正治元年(1199)、八歳の時父を失う。家督は長兄頼家が継いだが、やがて北条氏に実権を奪われ、頼家は建仁三年(1203)九月、北条氏打倒を企てて失敗、伊豆に幽閉された(翌年七月、北条時政の刺客によって惨殺される)。このため、実朝と改名して第三代将軍となる。翌年、坊門大納言信清の息女を妻に迎える。承元二年(1208)、十七歳の時、疱瘡を病む。翌年、藤原定家に自作の和歌三十首を贈って撰を請い、定家より「詠歌口伝」を贈られる(『近代秀歌』と同一書とされている)。建暦元年(1211)、飛鳥井雅経と共に鎌倉に下向した鴨長明と会見する。雅経とはその後も親交を続け、京から「仙洞秋十首歌合」を贈られるなどしている。建保元年(1213)には、定家より御子左家相伝の万葉集を贈呈された。また同三年の「院四
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