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RUSSIA & USSR / INDEX
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写真で見るロシアと旧ソ連の国々

聖ワシーリー寺院

 日本の隣国ロシアは不思議な国で、ある人にとっては神秘的な魅力に満ち溢れた国であるのに、別の人にとっては得体の知れぬ近寄り難い国のようです。実際、数多くのお客を彼の地へ案内している旅行会社の社員に聞くと、一度ロシアへ行った人の多くは両極端に別れる傾向があるそうです。一方は、その魅力にとりつかれてその後も繰り返し足を運ぶ人、そして他方は「ロシアだけはもう金輪際行きたくない」という人。 私はどういうわけか前者の部類らしく、1979年の暮れにバレエを見に荒れる冬の日本海をナホトカまで渡ってモスクワとレニングラード(当時)に行ったのを皮切りに、以来今日までかれこれ30回以上にわたって旧ソ連邦とロシアの各地を旅行してきました。 幸か不幸か、私がソ連・ロシアを旅行した時期は、いわゆる「停滞の時代」からペレストロイカを経て“粗野な資本主義”の時代まで、社会と人々の価値観とが大きく変っていった時で、その激変の様子を目の当たりにした二十年余でもありました。ここでは、一旅行者の目で見たその時期のソ連・ロシアの都市と自然、そしてそこに住む人々の表情を何回かにわけてご紹介しようと思います。

(C) 石川顯法 1997-2000

 


 目次 
    ☆ の表示があるのは最近1ヶ月以内に多少とも手を入れた箇所です。

第1章 サンクト・ぺテルブルクとその郊外   (1997.3掲載/1998.4更新/2000.5一部修正)
 モスクワよりはるかに新しい町でありながら、心の故郷へ帰ってきたような不思議な印象を与える美しい町、サンクト・ペテルブルク。 300年足らずの間に、文学,演劇,音楽,美術,建築,科学などの巨大な花を開かせた町。 そして同じその間に、建設と破壊,栄華と貧困,蜂起と弾圧,包囲と解放,革命とその崩壊,..と歴史の多様な試練をくぐりぬけてきた町でもあります。
■■サンクト・ぺテルブルク点描  → 運河のある風景青銅の騎士像ネフスキー大通りペトロパヴロフスク要塞要塞監獄エルミタージュ聖イサク寺院カザン寺院聖イサク寺院スパース・ナ・クラヴィー聖堂アレクサンドル・ネフスキー修道院ゴスチヌィ・ドヴォール夏の庭園デカブリスト広場宮殿広場芸術広場カザンスカヤ広場ネヴァ河畔の並木道水路アニチコフ橋トロイツキー橋ロッシ通り,他モスクワ駅地下鉄駅マリインスキー劇場シチェドリン図書館キーロフ・スタジアム街角ドストエフスキーの墓チャイコフスキーらの墓ツルゲーネフの墓プレハーノフの墓ワガノワの墓ニコライII世の墓日露戦争戦没将兵の慰霊碑 ■■十月社会主義革命の足跡 →  巡洋艦“オーロラ”スモーリヌィ幼時のレーニンレーニン博物館の展示品旧レーニン博物館前の装甲車フィンランド駅ケレンスキーの閣僚が逮捕された部屋ラズリフ湖畔“緑の書斎”レーニンの母と姉の墓 ■■900日の包囲に耐えて →  ピスカリョフ墓地ターニャの日記「通りのこちら側は危ない」の標識道路脇のトーチカ跡勝利の広場 ■■サンクト・ペテルブルク郊外 →  郊外の民家レーピノペトロドヴォレツプーシキンパブロフスク
 
第2章 子どもたち    (1997.4掲載/2000.8一部修正)
 子どもは世界のどこの国でも可愛いのでしょうが、ロシアを旅行すると特に子どもたちの可愛さが印象に残ります。もっとも口の悪い人達は「その分、大人が憎らしい」などと言ったりしますけれど....
イルクーツクバツーミナリチクエニセイスクエレワンハバロフスクキエフキシニョフレニングラードペトロドヴォレツマリ(トルクメニスタン)モスクワムルマンスクユルマラ(ラトビア)ナガリク(サハ)ヴォログダ ノブゴロドオデッサヤールツェボ(エニセイ河畔)ビリニュスオルジョニキッゼペトロザボーツクシーダ(バイカル湖畔)タリンテラビ(グルジア)ヤルタドゥヂンカストールビィ(クラスノヤルスク郊外)エニセイ最下流域シベリア鉄道ゴリツィ(ボルガ・バルト運河)ボルガ川北コーカサスグルジア軍用道路ブハラアシハバードユジノサハリンスク アルハンゲリスクキジ島オリホン島サラトフサンクト・ペテルブルククラスノヤルスク
 
第3章 青天井の博物館    (1997.5掲載/2000.3一部修正)
 川崎市にある「日本民家園」のように各地の古い木造家屋を集めて展示した施設が、あちらにも各地にあります。旅に出るようになるまで、私はロシアというのは建物を石で作るとばかり思っていましたが、じつは民間は木造家屋が主流だったのですね。何と言っても森の国ですし。こうして集められた古い民家や教会を見ていると、何か日本の家々と共通するものがあるような気がしてなりません。
スズダリコローメンスコエ漁業コルホーズ「ウズバラ」(ラトビア)ロッカ・アリ・マレ(エストニア)キジ島コズモデミャンスク(マリ)コストロマアルハンゲリスクノブゴロド窓飾り軒下の飾り
 
第4章 馬車    (1997.5掲載/1999.9一部修正)
 ロシアといえば冬の“トロイカ”ですが、車輪のついた馬車も健在。むしろ、馬橇は観光用のものしか見たことがありません。たぶん、私が観光地ばかりを歩いていて人々の地道な生活の場をきちんと見ない、そんな旅行をしているせいでしょうね。
荷馬車結婚式へ行く馬車消防馬車観光用の馬車観光用の橇
 
第5章 シベリア鉄道で西へ    (1997.6掲載/2000.8一部修正)
 シベリアの大地を1週間かけて走り抜ける鉄道の旅。誰でも一度は憧れる旅ではないでしょうか。それとも「『憧れる』なんてとんでもない!1週間も乗りっぱなしでは退屈この上ないじゃない。」と思ってらっしゃいますか?それが不思議なことに何度乗っても退屈することなんか全然ないのですよ。
ウラジオストクハバロフスクウラン・ウデイルクーツクバイカル湖旅は道連れエニセイ川クラスノヤルスクノボシビルスクペルミヤロスラブリセルギエフ・パッサートモスクワ
 
第6章 クリミア半島  (1997.7掲載)
 黒海に突き出たクリミア半島、とりわけその南岸は変化に富んだ地形と温暖な気候で古くからロシアの人々によって保養地として利用されてきました。厳しい寒さと単調な大森林や大平原の中に住むロシア人にとってここが憧れの地であろうことは双方の土地を比べてみるとよくわかる気がします。今でも、モスクワっ子にとって、夏の休みにクリミアなど黒海沿岸に行って肌をちょっと黒めに焼いて帰ってくるのはステイタスを自慢することになるんだそうです。
ヤルタ燕の巣リバディア宮殿アルプカ宮殿チェーホフの家街角黒海を望む薄暮と夜景森と湖)/セバストーポリ波止場市街遺跡)/バフチサライシンフェローポリ郊外
 
第7章 バクー  (1997.8掲載/1998.9廃止)
 
第8章 モスクワ名所案内  (1997.9掲載/1998.2更新/2000.7一部修正)
 ロシアの首都モスクワは、その名が初めて文献上に現れて以来1997年で850年になるということで、その年の9月に850年祭を盛大に祝いました。そのモスクワの名所を「観光案内」風にご紹介してみます。
赤の広場レーニン廟片山潜の墓グムワシーリー寺院クレムリン鐘の王様大砲の王様中心部鳥瞰道路元標アレクサンドロフスキー庭園マネージナヤ広場ゴーリキー公園コローメンスコエ郊外の団地オスタンキノ動物園植物園 モスフィルムトヴェリ通りカリーニン通りアルバート通り寒暖計のネオンサインペレストロイカの風レーニン像マルクス像ユーリー・ドルゴルーキー像チャイコフスキー像ノヴォヂビチ修道院ダニーロフ修道院教会の復権ボリショイ劇場モスクワ芸術座高等音楽院チャイコフスキー・コンサートホール動物劇場サーカスレーニン図書館モスクワ大学新館モスクワ大学旧館セブホワイトハウスシャンペン工場「クロコヂール」編集部星の街地下鉄駅鉄道駅空港
 
第9章 年賀はがき  (1997.10掲載/2000.1一部修正)
 ブレジネフのソ連時代、我々外国人旅行者がまず驚いたのは、パン屋といい肉屋といい、どこでも必ずと言っていいほど長い行列があることでした。そんな時代にあってほとんど唯一供給が需要を上回っていたのが年賀はがきだったのです。いえ、私がそう言っているわけではありません。当時ソ連大使館広報部から発行されていた「今日のソ連邦」という雑誌にそう書いてあったのです。でも、図柄の素敵なのも少なくなく、何よりも価格が安かったので私は現地で大量に買い込んでは、日本へ帰ってから子ども達への年賀状として使ったものです。
モスクワ・クレムリングジェリ陶器平和を訴える冬の森小鳥とチョウザメ子ども達のためにおとな達にもザルービン氏作品集森の動物たち封筒入りグリーティング・カードクリスマスカード兼用クリスマスカード
 
第10章 母なるボルガ  (1997.11掲載/2000.7一部修正)
 モスクワの北西のバルダイ丘陵に源を発し、はるか南のカスピ海まで3500km以上を流れる大河ボルガは、その位置と豊かな水量と全体を通じての緩やかな勾配から、古くからロシアの人々にとって、農業・漁業・交通・エネルギーをはじめ美術や音楽に至るまで、それこそ文字通り「母なる川」だったのです。そのボルガに沿って岸辺の町々をご紹介してみようと思います。 
トヴェリモスクワドゥブナウグリチ岸辺の教会リビンスクヤロスラブリコストロマニジニ・ノブゴロドコズモデミャンスクカザンサマーラ水門川岸の風景「緑の休息」サラトフボルゴグラードアストラハン
 
第11章 化学者メンデレーエフ  (1997.12掲載)
 高校生のときに誰もが習った元素の周期表で知られるD・I・メンデレーエフは、日本の高校化学の教科書に登場する唯一のロシア人でしょう。このメンデレーエフが生きた足跡がサンクト・ペテルブルクに残されています。 
メンデレーエフ像建物の壁に書かれた周期表ペテルブルク大学メンデレーエフ博物館手書きの周期表
 
第12章 バルト三国今昔(いまむかし)  (1998.1掲載/1999.2更新)
 ずいぶん以前、まだソ連に行き始めの頃のことですが、あるときロシア人のガイドと話していてバルト諸国のことが話題になりました。すると彼は「あそこは、反ソ感情が強いから」と言うのです。私は「おいおい待てよ。『反ソ』って言ったってあそこはソ連じゃないか?」と思ったものです。ゴルバチョフのペレストロイカがやってくると15の連邦構成共和国の中で最も早く独立の声を上げたバルト三国、それには私たちのはかり知ることのできないような厳しい歴史の背景があったはずです。今から約10年ほど前のソ連時代のものと、比較的最近撮影した独立後の写真をご覧いただきます。 
■■ソ連時代のバルト三国 → ビリニュストラカイ城沿道の農村国境リガサラスピルスユルマラ海岸漁業コルホーズタリンロッカ・アリ・マレ ■■独立後のバルト三国 → ビリニュスゲディミナス塔国会議事堂バリケード積み石慰霊碑群アンタカルニス墓地ソ連兵の像 自動車道路郊外の団地鉄道駅オペラ・バレエ劇場大学教会通り)/カウナスカウナス城旧日本領事館通り広場)/国境リガ自由記念碑石碑広場教会石畳の道城壁と塔街角ユーゲントシュティール建築)/タリン街並通り太っちょマルガレータ市役所大聖堂タリン港日本大使館
 
第13章 はるかなるシルクロード  (1998.3掲載)
 ソ連邦崩壊の直後に書かれた日本のある新聞記事によると前章のバルト諸国とは逆に「連邦構成15共和国中、最も“不本意な”独立を遂げた」とされる中央アジアですが、古来よりシルクロードの要衝として幾多の興亡を繰り広げてきた深い歴史を持つ国々としてよく知られています。ほんとうに“不本意”だったのかどうかは知りませんが、その中央アジア諸国のうち旧ソ連邦の南側の国境に近い地域を私が訪ねた1991年暮れには既に独立国としての確かな一歩が踏み出されている気がしました。この章ではさまざまな古い遺跡を中心にご紹介します。 
サマルカンドペンジケントシャフリサブステルメズブハラアシハバードニサアナウメルブ
 
第14章 春を迎えるサハリン  (1998.4掲載/1999.2一部修正)
 函館からの飛行機がオホーツク海に出て数十分後にはもうサハリン島の上空で着陸態勢に入ります。ドア1枚隔てた隣のお宅のような土地サハリンの1998年春の表情です。 
ユジノ・サハリンスク市街劇場郷土博物館戦没者慰霊碑教会日本製車両花屋物売り)/コルサコフコルサコフ像
 
第15章 コーカサスを越えて  (1998.5掲載/1998.9統合/1999.9一部修正)
 黒海からカスピ海にかけて5000mにも及ぶ高さの山々が連なるコーカサス。それは果てしのない平原と起伏のない森ばかりを見ているロシア人にとって、きっと別世界のようだったでしょう。プーシキン、レールモントフ、トルストイ、イッポリート・イワーノフなど多くの作家や音楽家、画家などがコーカサスに魅了されていることからもそのことが想像できます。 また、このあたりは多くの民族が入り混じっていて、古くから交易も盛んなかわりに紛争も絶えない地域でした。「片手に剣、片手に盃」というのはこの地方の人々にとってまさに実感だったのでしょう。 
ピャチゴルスク山麓の青空市場ナリチク渓谷コーカサスの山々オルジョニキッゼカズベキグルジア軍用道路アナヌリムツヘタトビリシテラビセヴァン湖エレワンゲガルトガルニリプシマエチミアジンズワルトノツゴリツハルトボクタイシバツーミ市街イルカ植物園ツィヒス・ジリ遺跡黒海)/バクー市街と高台乙女の塔城壁キャラバンサライ拝火教の寺院
 
第16章 バイカル湖のほとり  (1998.6掲載)
 ロシア民謡にも歌われてあまりにも有名なシベリアの湖バイカル。その深さは世界一で、地球上の淡水の5分の1がこの一つの湖に貯えられているといわれます。透明度もおそらく世界一。固有種の藻や小海老が水を浄化する働きをしているそうです。広さも琵琶湖の50倍近く、私が訪ねたのはその広大な湖のほんの隅っこにすぎません。 
湖面リストビャンカシーダオリホン島サルマ
 
第17章 ウクライナとモルダヴィア  (1998.7掲載)
 ロシアに比べたら穏やかな気候と肥沃な黒土とに恵まれて旧ソ連の穀倉の役割を果たしたウクライナ、そしてそれに隣接するモルダヴィア(モルドヴァ)の風景です。 
キエフシンボル街角フレシャチク大通り黄金の門大祖国戦争のモニュメントキエフ大学オペラ・バレエ劇場民族楽器ペチェルスカ修道院ソフィア寺院アンドレイ教会イコン)/オデッサポチョムキンの階段オペラ・バレエ劇場街角鉄道駅)/道路ドニエプル川ザポロージェヘルソン農村向日葵畑葡萄畑ワイナリ−キシニョフ通り商店街物売り噴水
 
第18章 モスクワ郊外の夕べ  (1998.8掲載/1999.3一部修正)
 「黄金の輪」と呼ばれる古都群をはじめ、モスクワ周辺の有名無名の町や村を紹介します。モスクワの町を一歩離れると、そこには話に聞いていたロシアの風景が広がります。 
郊外への道ウラヂーミルスーズダリヤロスラブリセルギエフ・パッサートトヴェリクリントゥーラオリョールヤースナヤ・ポリャーナ
 
第19章 セーヴェル 〜 ロシアの北  (1998.9掲載/2000.5一部削除)
 ロシアといえば北の地という印象なのに、その中でもまた北の地域。冬には昼間がほんの数時間しかないとか気温が零下30度にも下がるという所です。しかし豊かな森林資源や漁業資源を背景に古い時代から人々の営みがありました。 
ボルガ・バルト水路スヴィリ川河口ネヴァ川ヴァラアム島キジ島ペトロザボーツクムルマンスク鉄道沿線の村々アルハンゲリスク
 
第20章 平和を祈る  (1998.10掲載/2000.3一部修正)
 さきの大戦で戦勝国側の一員だったとは言え、ソ連は他の国々とは比べものにならないほどの戦争被害を受けました。ことに戦争で亡くなった人の数は2千万ともそれ以上とも言われています。戦後の復興も敗戦国の日本以上に困難だったという面もあります。それだけに、為政者の思惑がどうであれ、人々の中には平和を心から願う気持ちが強いのです。 
モニュメントボルゴグラードレニングラードコーカサス北麓サラトフ)/陣地跡(オデッサ郊外)収容所跡(サラスピルス)埋葬記録(レニングラード)永遠の炎を守るオデッサキエフイルクーツクハバロフスク)/横断幕(キエフ)ポスター(ハバロフスク)街頭活動(ハバロフスク)日本人墓地(ハバロフスク)戦没者慰霊碑ナリチクヴォログダ
 
第21章 人々  (1998.11掲載/1999.10一部修正)
 ロシアに幾度も行くようになって、どうしてロシアばかりにそう度々行くのかとよく聞かれます。自分でも一言では答えにくいのですけれど、はっきり言えるのは旅先で出会った人々との関係で不愉快な思いをしたことが殆ど無いことです。無類のお客好き、おせっかいとも言えるほどの親切、そして日本ではもう3-40年も前に失われてしまったような純朴さ、..そんなものにひかれてつい何度も足を運んでしまうのかもしれません。 
歓迎ガイド運転手車掌ウェイトレス客室係船員船長歌舞団員船客鍵番店員堂守鐘撞きコルホーズ長工場長仕立屋農婦猟師老闘士ロシア語教師大学教師学芸員音楽家兵士青年カップル父親学生生徒少女店番別れ
 
第22章 極東とシベリア  (1998.12掲載/1999.7一部修正)
 ロシアというとモスクワとかあちらを頭に浮かべがちですからずいぶん遠い所とつい思ってしまいますけれど、サハリンは別にしても、日本海のすぐ向こう岸がロシアなのです。飛行機でならほんの2時間、船でも一昼夜もあれば着いてしまう文字通りの隣国です。その中でも日本から「片道5時間」以内の極東と東シベリアの表情をお伝えします。 
ナホトカウラジオストクハバロフスク広場通り坂道街角建物木立ちアムール川スタジアム日本人墓地)/ステップイルクーツク自由市場冬景色オベリスク永遠の炎 アンガラ川並木道教会民家)/ブラーツク街並み水力発電所人造湖衛星通信中継局)/タイガ
 
第23章 お土産  (1999.1掲載/2000.5一部修正)
 ロシアやその他の旧ソ連各地で買ったり贈っていただいたりしたお土産の数々です。「モスクワ饅頭」とか「キエフ羊羹」とかはありませんけど、その土地土地の風土が育んだ素朴なものが多いのが特徴です。もちろん写真は現地で撮ったものではなく、デジタル・カメラを使って我が家で撮影したものです。 
人形マトリョーシカロシアウクライナウズベキスタングルジアカムチャッカ北方地方リトアニアロシア[壁掛人形]ロシア[布製の人形])/サモワール木の製品小熊寄木の小箱壁掛け)/塗りものホフロマ塗りパレフ塗り風の絵ブローチ木馬のミニチュア復活祭の卵台所用の木板)/石の加工品孔雀石ネフリート琥珀)/焼きものグジェリ陶器素焼きの鶏料理用の壺)/ガラス製品白鳥花瓶愛の形)/金属製品鋳物チェカンカ[銅の打ち出し細工]真鍮製のトレー花柄のトレー)/布製品プラトーク民族模様の刺繍ヴォログダ・レース中央アジアの帽子ぬいぐるみ壁掛け)/動物製の品々皮革製表紙の手帳壁掛け牙細工角製の置物根付風のキーホルダー)/遺跡の木片キーホルダーバッジ風景画
 
第24章 市場  (1999.2掲載/2000.3一部修正)
 観光でよその土地を訪れたとき、その土地の人々の生活のにおいをいちばん感じることができるのはきっと市場でしょう。だから外国へ行くと市場に寄るのが好きという人は多いはずです。私もその一人ですが、あちらの人々には写真を撮る時はきちんと身なりを整えてという考えが強くあるようで、作業着や普段着で写真を撮られることをあまり好みません。そのため、ちょっと腰の引けた写真になってしまっているのが残念です。 
リガタリンサマルカンドイルクーツクエニセイスクドゥヂンカバクサン渓谷(北コーカサス)テラビ(グルジア)ユジノサハリンスクニコリスコエ(ボルガ河畔)モスクワハバロフスクスズダリヴォログダ道ばたの露店(グルジア)
 
第25章 クレムリン  (1999.3掲載/2000.3一部修正)
 「クレムリン」という語はもともと“城砦”の意味で、その町々の聖俗の権力機関・行政機関の置かれた中心地でもありました。ですから、モスクワだけでなく中世以来のロシアの都市には、クレムリンそのものやあるいはその跡が今でも残されているところが少なくないのです。 
モスクワノブゴロドニジニ・ノブゴロドカザンアストラハンプスコフヴォログダコストロマウグリチ
 
第26章 看板,広告,スローガン  (1999.4掲載/2000.2一部修正)
 街の通りやその他の場所で見る看板や広告の写真を意識的に撮ってきたわけではありませんが、今になって手元にあるネガの中からこうして並べてみるとこの十年余の社会の変化が垣間見える気もします。 
屋上のスローガン大会準備劇場の広告商店の看板西側のチェーン店野球試合のポスター地震被災者の救援独立運動大統領選挙新しい市名ペレストロイカモスクワ850年祭赤十字の看板日本文化への関心遺跡案内
 
第27章 歌は世につれ  (1999.5掲載/2000.7一部修正)
 ロシアの人々の生活と歌や音楽とは切っても切り離せません。音楽はしっかりと生活の一部になりきっているのです。あちらの音楽で私がいちばん気に入っているのはロシア正教の教会音楽。聖堂の中でそれを聞いていると自分が地上にいるのか天上にいるのか判然としなくなるというのもあながち作り話とは思えなくなります。ロシアの人々の豊かな音楽性は教会で培われたに違いありません。でも、神聖な場所での撮影はためらわれて教会音楽の写真は1枚もなく、ここでは世俗的な写真ばかりです。 
キエフオデッサコラスズダリ郊外モスクワ郊外ナガリクヴォルガ川エニセイ川ネヴァ川ハバロフスクレニングラードサンクト・ペテルブルクモスクワアルハンゲリスクイルクーツク
 
第28章 乗り物  (1999.6掲載/2000.5一部修正)
 広いロシアを縦横に走る交通機関。その乗り物の写真をと思ったのですが、ソ連時代には飛行機からの俯瞰は言うに及ばず、飛行場も鉄道の分岐点もみな撮影禁止だったので、手元のネガの中にも乗り物の写真は意外に少ないのです。 
飛行機列車地下鉄市電バストロリーバス都市交通の切符水中翼船ヘリコプター
 
第29章 通り  (1999.7掲載/2000.3一部修正)
 どの町や村にも無数にある「通り」。人と同じでその表情はなかなか個性的です。ぜひ見比べてみてください。 
旧市街の路地ビリニュスリガタリン)/石畳の道(タリン)城壁の間(タリン)城門の向こう(タリン)城壁の外(アストラハン)路地裏(タリン)ビルの谷間(リガ)建物脇の歩道(モスクワ)歩行者天国(モスクワ)古都の通り(ブハラ)冬の夜道(レニングラード)雨の歩道(レニングラード)繁華街(サラトフ)運河沿いの道(レニングラード)川岸の通りハバロフスクボルゴグラードプスコフ)/並木道(ボルゴグラード)並木のある歩道(ユジノサハリンスク)街路樹のトンネル(トビリシ)樹氷のある通り(レニングラード)バスの走る通り(レニングラード)トロリーバスの走る通り(イルクーツク)村の道(スズダリ)曲がった道(トゥルハンスク)十字路タイガを貫く道(イルクーツク郊外)森の小道(クラスノヤルスク郊外)
 
第30章 通貨  (1999.8掲載)
 ソビエト連邦の崩壊、そしてその後のロシア経済の混乱のために、国内で流通する紙幣や貨幣はここ10年ほどの間にずいぶん変わってきました。その変化を振り返ってみます。デジタルカメラでいい加減に撮ったものですから、向きがまっすぐでなく、几帳面な方には気になるとは思いますがどうぞお許しください。 
ソ連の通貨5ルーブル紙幣25ルーブル紙幣硬貨記念硬貨)/新生ロシアの通貨100ルーブル紙幣500ルーブル紙幣1000ルーブル紙幣ルーブル硬貨新しい1000ルーブル紙幣10000ルーブル紙幣)/デノミネーション後の通貨10ルーブル紙幣50ルーブル紙幣100ルーブル紙幣硬貨ルーブル硬貨)/バルト三国の通貨エストニアの貨幣ラトビアの貨幣リトアニアの貨幣
 
第31章 郵便切手  (1999.8掲載/2000.5一部削除)
 お札や硬貨のことに触れると、それよりもずっとコレクターの数の多い郵趣関係者から切手もという声が出そうですが、旧ソ連では切手で外貨を稼ごうとしたのではないかと思うほど多くの種類の切手が発行されていて、切手だけ取り上げても一つのWWWサイトには到底収まりきれません。実際、旧ソ連の切手を扱った日本語のサイトもありますし、ここでは私の手元にあるごく限られたもののご紹介に留めます。 
ソ連の切手特殊切手の例「諸国民の祝日」小型シート年賀切手アルメニア地震救援日ソ共同宇宙飛行記念)/臨時切手ウクライナロシア)/加刷切手アゼルバイジャンロシア)/ロシア以外の国の切手ウクライナベラルーシウズベキスタンリトアニアラトビアエストニア)/郵便はがき
 
第32章 家族の肖像  (1999.9掲載/2000.1一部修正)
 ロシアの子どもたちと仲良しになって手紙がくるようになると、そこに必ず書かれているのが家族のこと。パパやママのことは言うまでもなく、おばあちゃんやらお姉ちゃん、それに飼い犬のことまでことこまかに書かれていて家族の絆がともて強いことを感じさせられます。対する私の返事はと言えば、妻子についてなど一度も触れたことはないのにです。 
イルクーツクアルハンゲリスクサンクト・ペテルブルクシベリア鉄道ボルガ川エヴパトーリアトビリシサマルカンドラトビアバトゥーミ沖ヴォログダエニセイ最下流域
 
第33章 エニセイを下る  (1999.10掲載/2000.5一部削除)
 シベリアを東西に分かつ大河エニセイは流域に住む人々にとって文字通り命綱の役割を果たしています。ここでは中流のクラスノヤルスクから北極圏までの流域の町や集落、そしてそれらを包む豊かな自然の表情をご紹介します。 
クラスノヤルスクストールビィタシキノカサチンスキー早瀬川の表情アンガラ河口川岸の風景レソシビルスクエニセイスクヤールツェヴォヴォローゴヴォタイガ(コムサ)レーベジトゥルハンスクイガルカ川の上の空ドゥヂンカツンドラトナカイ放牧地ウスチ・ポルトエニセイ川
 
第34章 楽聖チャイコフスキー  (1999.11掲載/2000.1一部修正)
 ロシアを代表する作曲家P.I.チャイコフスキーに関係のある写真を手元のネガから探してみました。 
ボトキンスクペテルブルク音楽院モスクワ音楽院プログラムマリインスキー劇場クリン
 
第35章 新年を祝う  (2000.1掲載)
 ソ連時代は表向きにはクリスマスを大々的に祝う習慣がありませんでしたから、そのかわりという訳でもないでしょうけれど、新年を迎えるお祝いは盛大でした。ソ連が崩壊してクリスマスが祝われるようになった現在でもその習慣は生き続けています。 
モスクワキエフレニングラードサンクト・ペテルブルクヴォログダカレンダー
 
第36章 絵はがき  (2000.2掲載/2000.5一部修正)
 私がソ連に行き始めた今から20年ほど前は「インターネット」という言葉すら知りませんでしたから自分が撮った写真を他人に見せる機会があるなどとは思ってもみませんでした。旅に出ても風景を写真に撮ったりするよりも絵はがきを買ったほうがずっと良いと考えて、写真を撮るかわりに絵はがきを買ったものです。ただ、その絵はがきをここに掲載すると著作権の問題に触れますので、ここでは絵はがきセットの表紙だけをご紹介することにします。いわば絵はがきのカタログです。お気に入りのものが見つかりましたらどうぞ現地にいらしてお買い求めください。 
モスクワセルギエフ・パッサートスズダリカリーニンノブゴロドプスコフレニングラードラズリフペトロドヴォレツプーシキンパブロフスクヴァラアム島キジ島ペトロザボーツクソロヴェツキー諸島アルハンゲリスクヴォログダヤースナヤ・ポリャーナボルヂノリガリトアニアキシニョフキエフカネフセワストーポリバフチサライヤルタゲラチコルヒーダの洞窟トビリシバクープリエルブルスオルジョニキッゼカルバジノ・バルカルミネラリヌィ・ヴァディアストラハンボルゴグラードサラトフカザンコストロマヤロスラブリウグリチペルミシベリア鉄道アシハバードブハラサマルカンドクラスノヤルスクノリリスクタイムィルブラーツク海イルクーツクバイカル湖ハバロフスクペトロパブロフスク・カムチャツキィ
 
第37章 教会のある町々  (2000.4掲載/2000.8一部修正)
 キエフが日本の京都にあたる古都だとすれば、鎌倉あたりに相当する古い町々がレニングラード州の周囲の地域にあります。町の中をどちら向きに歩いても古い教会に出会い、教会の中に町があるかのような錯覚すら覚える町々です。ここでは、ノブゴロド州,プスコフ州,ヴォログダ州のそれぞれ同名の州都の様子をご紹介します。 
■■ノブゴロド → クレムリンロシア1000年記念碑ソフィア寺院ゴスチヌィ・ドヴォールユーリエフ修道院教会 ■■プスコフ → クレムリンヴェリカヤ川教会広場修道院解放記念碑大通り天然の冷蔵庫鉄道駅 ■■ヴォログダ → 夕暮れクレムリン教会記念碑公園木造の宮殿アパート民家 鉄道駅大通りレースシャラーモフ博物館スパソ・プリルツキー修道院郊外の道
 
第38章 木々と草花  (2000.5掲載/2000.7一部修正)
 ロシアの人々は「森の民」で、森からたくさんの恩恵を受けて生きています。また、花々も大好きで、野草を摘んでよく人にあげたり窓辺を飾ったりします。この章に置いたのは旅先でふと立ち止まって撮った木々や草花の写真です。 
荒れ野と林林の入口野の花エーデルワイス湿地の花バラ園赤い実
 
第39章 料理  (2000.6掲載)
 ソ連時代の旅行では三度の食事はそれほど楽しみではありませんでした。なにしろホテルもレストランも国営。つまり役所が食事を出してくれるようなものだったからです。ところが庶民の家庭でごちそうになる料理の味はぜんぜん別、いや家庭まで行かなくても通りのピロシキ屋さんでさえ「えっ、外国人にはあんなもの食べさせて、自分たちはこんな美味しいもの食べてるの!」という感じでした。写真では味は伝わりませんから、料理の写真も手元にほとんど無いのですけれど、その数少ないものをお見せします。 
宴の前ザクースカスープデザートシャシリクを焼く
 
 



付録1  旅日記   (1997.9掲載/1999.9追加)
 私がロシアやウクライナの川や湖や海を旅したときの記録です。商用ネット「@NIFTY」の中の「FEURO」というフォーラム(SIG)にロシアや旧ソ連地域の旅行を専門に扱う電子会議室があり、そこへ書き込んだものです。テキストだけで写真はありません。

 エニセイ紀行 1993  0-56-1011-1516-2021-2526-3031-32
 バイカルの畔へ 1994  1-34-67-910-12
 ボルガ遡航記 1995  1-56-1011-1415-1920-2324-2728-3031-33
 ドニエプルから黒海へ 1996  1-56-1011-15
 ボルガ3200km 1997  1-56-910-13

 エニセイ旅日記 1999  1-45-78-10

 
付録2  リンク集   ♪♪♪♪
ロシアや旧ソ連に関係のある内容の日本語によるサイトのうち個人によって作られたものをできるだけ収録したいという希望を持っています。そのようなページをお持ちの方で、ここのリンク集に掲載しても良いとお考えになってくださる場合はメールでご連絡くださいませんでしょうか。よろしくお願いいたします。



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おことわり
 8月11日夕刻より19日夜までロシア連邦カムチャッカ方面へ旅行中のため、その間にいただいたメールのご返事は少し遅れます。お許しください。

お尋ね
 このフォームを使ってメールをくださった下のそれぞれの方へのご返事のメールが返送されてきております。フォームに書き込んで下さったアドレスの間違いではないかと思われますので、お手数でもメールアドレスをもう一度お知らせ願えないでしょうか。

   鈴 木 葉 子 様 ( 3月23日午後2時過ぎ)
   阿久津 沙 織 様 ( 5月23日午後8時過ぎ)
   中 村 義 之 様 ( 6月26日午後7時前) 
   梅 本 卓 義 様 ( 7月 3日午前9時半過ぎ)
   福 田 有 紀 様 ( 7月14日午後4時半前)
   Yayoi Suzuki 様  ( 7月20日午後2時過ぎ)




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