はてなキーワード: マウントとは
「流行りを乗り捨ててきただけなのなんてオタクじゃない」というのが良くわからないんだよな。
げんしけんで描かれるオタクは明らかに流行りを乗り捨て続けてきてるだけじゃん。
ガンダムの知識を常に集め、年間何百作の新しい漫画を読み、何百ものアニメ情報を集め、何十本ものエロゲをやり、新作ゲームを月に何本も遊ぶ、そんな生き方が可能なのは流行りを乗り捨て続けているものだけだ。
ポケモン程度でも毎日3時間遊び続けていたら他のゲームなんてやる余裕は全然ない。
今のオタクは同時並行で5本ぐらいソシャゲを遊んでいるが、その影に100本以上の噛み飽きて捨てたガムのようなものが積み上がってる。
そうでないなら鉄道イベントの度に集まってくるカメラ小僧をなんと呼ぶのか。
ネットでバズった鉄道の写真を撮るために集ったオフ会の連中は単なるミーハーの集団だが、彼らがオタクでないならなんと呼ぶのか。
薄っぺらい言葉遊びで「オタクは高尚なもの。ミーハーとは低俗なもの。オタクは高尚だから低俗なミーハーではない」とドヤる姿の滑稽さよ。
はじるすでシコることが革命的だと思っている人間はしょーもないよ。
鼻息を荒くしてLOを時代の寵児だと信じ込む姿は惨めでさえあるよ。
居酒屋でジョッキのビールをあおっている人間が「ああ、これこそ本能的な快楽。これこそが真の美だ」と口ずさむようなものだ。
そういった人間が「人工甘味料はなんだか後味がベタついて気持ち悪い。本当の砂糖が素晴らしい。白砂糖は化学物質だと言っているアンチと違って俺は世界の真実が見えている」などとマウントを取って自分が世界の上位5%ぐらいにいる違いの分かる男なんだと言い張ろうとする惨めな化け物になっていくんだ。
いや「わからない」ではなくて「答えられない」つまり「いや、わかるでしょ?わざわざ説明したくない」という感じ。言い方が悪かったかもしれない。
別の増田が
と言ってるから、まあ、こんな感じ?付け加えると「優越感」なども含む感じ。「マウントってダサいよね。俺らにはそんなの無いよな」みたいな事が言えないなと気が付いた、という話。
相手の反応を見つつ、どのラインまでなら話しても大丈夫か?逆に俺もどのラインまでなら言われても大丈夫か?という見極めと微調整が必要だよね。
もしかして俺が自分の情動をコントロールできないのは、マウント云々ではなく、単に老化で認知機能が落ちて、理性が働きづらくなってるのかも。
自慢や批判、アドバイスを通して「お前より俺という人間の方が格上である」という主張
例)
「それに引き換えアタシがショボいって言いたいの?!?!」
なるほど。それはそうだね。
例えばそういう差別について、という話を黒人や在日朝鮮人などを交えてできるか、というと不可能だけど、それは残念か?みたいな?
いや、でもこの例は俺のとは少しズレてるか?いや、メタい視点で当事者同士で話をするのは不可能、という点では同じ?うむむ。。
「そもそもマウントって何?」には答えられないけど、自慢話は俺もできるんよ。例えば「この前買った株で数十万儲かったわ!!」みたいな自慢はしたし、友人も「次は役員やで!!すげーやろ!!」「すげー!!!」みたいな話は出来てる。
「わいにべた惚れなんやでー」という発想はあるんだけど、そういうマウント合戦じゃれ合い、というか、マウントとは?みたいな雑談が不可能だと気が付いたんよね。もちろん不可能だからって何も不都合は無いんだけど、単に自分にがっかりした、という話。
お互いによく心得た、じゃれあいのターン制マウントごっこできるのが健全な男同士の関係でないかい
たとえばお前は家庭円満でマウントとれるじゃん、「失職してもうちの嫁はワイにベタ惚れなんやで~」って
そういう発想がでないことがもうアレ。下から目線で卑屈やね
それはそう。俺も友人とマウントについて話をした事なんかないし、したいとも思わない。単なる思考実験。一切自分にはそういうのが無い、と思えるかな、と思ったら、ダメだった、という話。
ゴールは「自分の中のそういう醜い感情(?感覚?思考?)を無くすこと」かなぁ。マウントについて考えている時に「まあ、俺はそういうのとは無縁だし。。。いや、待てよ無縁か?例えばこんな話を友人とできるか?」みたいな思考実験。
それを考えている時に「ああ、俺は友人が羨ましい、のか?」みたいに気が付いた、という感じ。
私の意見的には、「対等である友人間では「マウント」が話題に上がらないのが自然であって、外界における「マウント」について議論したいなら、それをわざわざ自分たちの関係に落とし込む必要はない」んじゃないって感じ。
例えば、「インスタで彼氏マウント取る人うざいよね」「何でもかんでもマウント取る人ってダサくない?」みたいな話題としてなら普通に友人間でも話せるな。
うーん…「マウントってダサいよな」って話をするのがゴールって感じなのかな。それで言うと出来ないかも。わざわざその話題を出すこと自体が、お互いの上下関係を気にしてることを浮き彫りにしてしまう気がする。
メインにはならないね。いや、そうじゃなくて、自分の脳内で「俺ってマウントを馬鹿にしているのに、俺もこういう話できないじゃん!」って気が付いた(ふと思った)という話。
うーん、俺も実際にマウント合戦みたいにはまったくなった事ないんだけど、こんな会話は楽しくできそうにないな、と思って。
例えば昇進したという話には素直にお祝いしたし、絶賛したから、友人も俺がそんな気持ちでいるという事には気が付いてないと思う。普通に不倫相手の事とか話題にしてゲラゲラ笑い合ってるし。
なんか、友達間でのマウントとかあまり気にしたことないな…いろいろ自分より優秀で凄いなっていう友人いるけど、向こうは多分こっちが劣ってるとか気にしてもないし、こちらも尊敬しつつ羨んではいないから、マウントとかにはならない
俺の例みたいな「マウントってダサいよね?」みたいな話もできそうな雰囲気?良いなぁ。羨ましい。これはやはり俺の心の問題?それとも失職してて、なんか焦ってる?自分では余裕のつもりなんだけど、うむむ。
黒人差別問題に切り込む傑作ポリティカルコレクトネスデスゲーム映画だと思うんだけど。82点。
解放記念日に大学時代の同級生の黒人集団が山中のキャビンに集まると突然デスゲームが始まって~という1000回見たお話。
ホラー映画で黒人が登場してもすぐ死にがち問題を取り扱っており、タイトルバックの最初のゲームの質問は「黒人が最後まで生き残るホラー映画を答えろ」で正解できずに悲劇が始まってしまうところからもそれはあきらか。
デスゲームものだから当然、仕掛け人 a.k.a 犯人がいるんだけどこいつかなぁという人物が犯人です。しかし犯人当てに製作者は重きを置いていないのはすぐにわかる。作中でなぜかめちゃくちゃ「androidスマホを使っていること」を強調する人物が登場しそいつが「androidの充電器ない?」とペンションで聞くと「androidなんか使っている人いるわけない」というめちゃくちゃなこと言い出す展開があるんだけど、これって「appleの広告戦略でiPhone使っているのは善人にしなければならないらしい」という昨今めちゃくちゃ流行ってる映画業界あるあるをぶち込んだギャグなんだよね。なのでもう最初からそいつが犯人ですよと作品は示してくれてる。
こんな感じで自虐的でもあり、社会風刺的でもあるある意味ではめちゃくちゃ真面目な映画なんだけどそれを全編コメディとして描かれているのがすごい。ある意味で言えば黒人のスタンダップコメディを映画化したみたいな作品。身内ごとだからってめちゃくちゃやりすぎだろとめちゃくちゃバツの悪い思いをしながら爆笑してしまった。
例えばペンションにつくとキングがアリソンに対して「おい、お前の肖像が飾ってあるぞ」と話を振る、視線の先にはシマウマの写真が。アリソンは黒人と白人のハーフって設定なのね。笑えんって!しかしアリソンはキングに対して「貴方の彼女のじゃない?」と回答する、キングは白人女性と付き合ってるのね。笑えんって!
その後もラッパーチップスを買い集めるデブでフラッパーの女性とか、めちゃくちゃ甘いジュースを作った人に対して「糖尿病は黒人の病気だからって~」って言うとか、すぐにヤクをやりだすとか、クローバーを切るよな黒人ならとか、とにかく彼らは常に「そりゃ黒人的だ」「黒人的じゃないね」と延々と黒人ジョークを言い合っていて、このへんテンポもいいし会話の内容も興味深くて楽しい。
そしてデスゲームが始まると黒人蘊蓄が延々と繰り返される。フレンズに登場した黒人俳優とかNASの楽曲についてとか黒人国歌の2番を歌えとか。黒人国歌の2番のネタなんだけどシンプル黒人はみんな「適当に歌ってた」「知らないよそんなの」と答えるのに対して白人とのハーフのアリソンだけがちゃんと歌えるところも皮肉が効いてる。
そして最終問題として「もっとも黒い者を差し出せ」という生贄問題となり、これまで黒人ジョークで自分の黒さを競っていた彼らはいかに自分が「黒人らしくないか」を競い始める。アフリカ人だからお前だろ、いや俺はゲイだから黒人らしくない(めちゃくちゃ言いよる)、私は親が白人だから違う、白人女性と付き合ってる云々。マッチョイズムにも通底するコミュニティ内でのマウンティングの醜さをコミカルに炙り出してて笑えるけど笑えない。
そして最終的に選ばれた人の理由が「トランプに投票した」こと。この瞬間、空気は凍り付き「お前は黒人じゃない」と総スカン。彼は生贄に捧げられてしまう。しかしこの問題は「もっとも黒いものを差し出せ」。ここで彼を差し出さなければ別の展開もあったのかなぁと思ってしまう。はい、差し出された彼が犯人です。
まぁその後いろいろあって最終的に犯人を井戸に突き落としておしまい。
大学時代にスペードという黒人コミュニティの必須トランプゲームでミスを連発して「スペードもできないなんて、お前黒人じゃねぇよ」とゴリゴリに差別されてやけ酒飲んだ帰りに人をひき殺してしまったことから人生の歯車が狂ってしまった犯人が「ほなお前らはどんだけ黒人なんですかね」とデスゲームを仕掛けたのだった。
そして最後に「警察呼ぶ?」「呼ばないだろ撃たれるだけだ」と笑いながら話すのもめちゃくちゃ面白いけど笑えないし、じゃあ消防車だとなって最終的に消防車が来たと思ったら全員が"放水"で画面外に吹き飛ばされて終わるのもブラックコメディとして完璧。
実際にデスゲームで殺戮がおきたりスティングする部分は端折ったけど普通に水準程度にはできてたし退屈することはない。なによりやっぱ、本当の意味で黒人の黒人による黒人のためのポリコレ映画って感じでめっちゃよかった。特にポリコレを居丈高に「お前ら」ごとにするんじゃなくて自虐的に「俺たち」ごとにしている姿勢に好感が持てた。
これは黒人コミュニティ内での黒人らしさマウント合戦を自虐的目線でコミカルに描いたものだけど、これは男性社会のマッチョイズムマウントの話にも変換できるし、日本人社会の残業時間社畜マウントの話にも変換できるめちゃくちゃ普遍的なテーマだなって色々考えさせられてすごいよかった。
だいぶチー牛と非モテオタクはビジュアルが一致してる事が多いと思うけどw
もちろん、まれにムキムキだったり美形なのに非モテオタクとかあるけど、まれだから。
女はバリエーションが豊だと思う。
50代のおっさんがふと思ったけど、マウントについて馬鹿にする気持ちがある一方で友人と率直に男同士のマウントについて、おもしろおかしく笑い合える状態にないなぁって。
つまり、俺自身も男友達の年収や地位、家族関係、嫁や女性関係などに執着していて、その本音を笑い話として話せない、という点で「人間ってマウントとかして愚かだよね」という、その馬鹿どもの真っ只中に自分が居るんだなって思った。
おまえらはどうよ?
例えばこんな話できる?
「最近マウントについて考えているんだけど、人間のマウントしたいという欲求についてどう思う?俺はおまえが一流企業の幹部になっている事には一切嫉妬とかしてないし、おまえも俺が失業中って事で優越感を感じたりしないわけじゃん?」
「おまえは嫁さんとは家庭内別居の代わりに20代の美人OLと不倫してて楽しいじゃん?俺は失職中だけど嫁と仲良いし、子供も俺になついている。でも俺はおまえの事をなんとも思わないし、おまえも俺の状況についてなんとも思わないでしょ?」
「でも、世の中には50代にもなって、まだこんなしょうもない事でマウントしてる奴らが居るんだって。なんか面白いよね」
みたいな。
なんでこういう話ができないか、というと自分が失業しているのに友人が仕事で成功しているのは、あまり良い気分はしないし、俺は嫁としかセックスできないのに、友人が15歳も年下の嫁が居るのに、更にもっと若い子ともセックスできているのも羨ましくて、どす黒い感情があるから。
あの可愛らしい奥さんにこっそりバラしてやろうかな、みたいな黒い冗談が頭を巡ったりするんよね。人として終わってるよね?もっとこう、老成したり達観したりしていたい。
女の人は、割とこういう話は平気で友達とできたりするもん?例えば自分の旦那の年収が300万円なのに親友の旦那の年収が2000万円とかだった場合など。
わかりました。はてな匿名ダイアリーではてなブックマークやダイアリー利用者のバカが釣れそうな文を考えます。
コツとしてはツッコミどころを用意し、気持ちよくツッコませるのがオススメです。また、バカほど誤字があると指摘したい衝動に駆られるので、あえて数文字誤字を含ませるのもおすすめです。
彼らはアホなので投稿の信憑性は関係ありません。とにかくツッコミどころを用意し、気持ち良くマウントをとれる文章にするのがおすすめです。
俺は毎日働いているんだから、せめて土曜くらいはたっぷり休まなきゃなとか頭の中で言い訳。
朝から(あるいは昼から)ネットで動画視聴(海外ドラマ、スポーツ、Youtubeなど)をソファに寝転んで見続けて夕方くらいにようやくメシどうしようかなと考え始める。
ご飯だけ炊いて近所のスーパーに買い出し。だいたいリュウジのレシピとかで気になってたのをやってみたり、それすらダルい日は近所でなんか食ったりする。
料理は一人用の電気鍋とかホットプレートを使ってテーブルの上で調理することが多い。
以前はキッチンでしっかりめに作るのにハマったこともあるが、だいたい量が多すぎて持て余すのでしなくなっていった。
食器類などもキャンプで使うような道具が多くてなぜかテーブル上で完結させるようなセッティングになりつつある。
包丁使えばいいのにわざわざフォールディングナイフとかでちまちまやったりして、そのほうが楽しいから。
最近はスーパーとかでもカット野菜や一人分での材料が書いやすくなったので、そういうのでちょっとだけ料理してる気分になってる。
みりんとか料理酒みたいなものはない。砂糖と塩コショウ、ガーリックパウダー、あとはソースにケチャップマヨネース、そんくらいあればなんかそれっぽくはなる。
最近はひき肉ダイレクトに焼いたなんちゃってハンバーグみたいなのにハマってる。
このなんてことない料理と食事の時間が休みの日で一番充実してる時間だと思う。
外食で一人でメシ食うほうが寂しい気持ちになるので家で食べたほうがいい。
食べる時はできるだけどうでもいいテレビやABEMAのエンタメ番組とか見ながら食べてる。
steamの安くて面白いゲームやったり、エロ動画漁ったりしつつ夜を過ごす。
たまに急に思い立ってPCのソフトについて調べてあれこれやったりしだして、異様な集中力を発揮するときもある。
朝方近くようやく寝ないとなとベッドに潜り込む。昔の色んな思い出が勝手に蘇ってきて浸ったりする。
ここで仕事の事とか親兄弟のことが頭をよぎってしまうと寝れなくなる。この場合は寝るのを諦めてPCに向かって他事で気を紛らわせ、そのまま寝落ちする。
いい時は幸せだった思い出に浸ったり、違う世界線を妄想しながらそのまま眠る。
日曜は泥のように起きて最低限やるべきことだけなんとかこなして、あとはあーもう明日仕事かあ働きたくないなあと憂鬱に過ごす。
たまに思い立って街に出てみたりもするけど、大して使えるお金もないしなんにもすることないなと思って喫茶店だけ寄ってなにもせず帰ったりする。
それでも普段よりは歩き回ったということで満足感はあったりする。
街の中の人々を見ながら、連れ合いがいる人は色んなところに行けていいなあと思う。
海外の映画やドラマで、家の前の庭やウッドデッキに椅子出して座ってビール飲みながらだらだらしてるおっさんのシーンとかよく見るけど、
ああいうのやれたらいいんだけどなと思ったりする。
昔の元カノで一人だけ今でもたまに連絡を取る人がいて、いったいどんな暮らしをしてるのと聞かれたことがある。
元カノは結婚して子供もできて色々ありながらも充実した人生を送っている。
その彼女からしたら俺が休日一人でなにをしてるのか不思議になってしまうらしい。
これはマウントを取られてるのか?と被害妄想にかられつつ、「いやあのんびり過ごしてるよ気楽なもんだよ」と答えている。
昔アパートの一階に住んでる時にベランダに現れた野良猫に餌を上げたら、しょっちゅう顔を出すようになったことがある。
そのうち半野良みたいになって家の中にも入れるようになっていった。
ある時からぱったり来なくなった。毎日ベランダに来てないか外を見ていたがまったく現れなくなった。
どこかで事故にでもあって死んじゃったのか、それとも自分が死ぬことを感じて寄り付かなくなったのか。
最後に一回だけでも顔を出してくれよ、そんなことを思いながら二度とは会えなかった。
人間も、野良猫みたいに死ぬ時は誰にも知られず死ぬのが当たり前、みたいになってたら良かったのになと思う。
昨日録画してたFNS歌謡祭を見た。ほとんど飛ばしながらみたけどASKAが歌ってるとこだけじっくり見た。
この人は色々やばい感じになってたんじゃなかったっけと思いながら、歌声が心に響いて聞き入ってしまった。
歌詞は意味がよくわからない。でもメロディと歌声が素晴らしくてなんていい曲なんだと思った。
晴天を褒めるなら夕暮れにしろとかなんとかそんな歌。
夕焼けを眺めてきれいだねーなんつって笑い合う相手がいたらいいのになあと、
そんな事を思い出しながら日曜の夕方を過ごしている。
Q.以下のやり取り、両者の妥当性は?
A:■議員、元公務員、医者ではない年金納め終わった男をトリアージしようって国に財政のアドバイスする仕事無いかな
B:トリアージの意味を説明してみ? そんで元の文脈にその意味を当てはめて、その意味で君の言いたいことが説明できてるか、もう一回検討してみなよ。
A:分からないふりをしたい人がこういうことで煙に巻こうとする よく覚えておきなさい
A.
このやり取りにおける両者の**妥当性(論理的整合性やコミュニケーションとしての成立度)**を分析すると、Bの方が圧倒的に妥当性が高いと言えます。
一方で、Aは「ブラックジョークや皮肉」を言いたいという動機が先行しており、議論としては破綻しています。
Aは「トリアージ」を「不要な人間を切り捨てる(間引く)」という意味で使っています。
本来のトリアージは「資源が限られた状況で、救える命を最大化するために治療の優先順位をつけること」であり、単なる「殺処分」や「切り捨て」とは意味が異なります。Aの文脈(年金を納め終わった男を対象にする)は、医学的な緊急度判定ではなく、優生思想的な「口減らし」に近いため、言葉の選択として不適切です。
「二葉亭四迷(ふたばていしめい)」は、明治の文豪の名前ですが、語源となった「くたばってしめえ(死んでしまえ)」という江戸言葉の掛詞(ダジャレ)として使っています。
つまり、Aは最初から真面目な財政提案をしているわけではなく、「役に立たない男は死んでしまえ」という暴論・悪態をつきたいだけです。
Bに用語の定義を問われた際、「分からないふりをしたい人が~」「啓蒙しない」と、説明を拒否して相手の人格攻撃(レッテル貼り)に逃げています。これは「自分の言葉の定義が不正確であること」を認められない場合の典型的な防衛反応です。
用語の正確性への指摘
BはAの主張の内容(道徳的是非)に踏み込む前に、まず「トリアージという言葉の使い方が間違っている」という前提の崩れを指摘しています。これは議論において非常に重要なプロセスです。
Aがトリアージの定義を誤っている以上、その後の「財政のアドバイス」という文脈も成立しません。
一貫した態度
Aが話をそらしたり、精神的勝利宣言(捨て台詞)をして逃げようとしても、一貫して「意味を説明しろ」と要求し続けています。
結論:Bの勝ち(Aの自滅)
このやり取りは、以下のような構図になっています。
Aが「死んでしまえ」という悪口を、インテリぶった言葉(トリアージ、二葉亭四迷)で包んで発信した。
Bが「包み紙(言葉の意味)」が間違っていることを冷静に指摘した。
Aは図星を突かれ、説明できずに「お前はわかってない」とマウントを取って逃亡した。
判定:
Aの妥当性: 低。用語の誤用、説明責任の放棄、人格攻撃による論点回避。
Aは「賢いふりをして毒を吐こうとしたが、言葉の意味を間違えてツッコまれ、恥ずかしくなって逃げた」というのが客観的な評価になります。
さすがステージに上がっちゃったやつは違うわ(笑
頑張れば15年後くらいで済むかな