<do-ki> 石橋湛山元首相は敗戦の2カ月後、主宰する「東洋経済新報」1945年10月13日号の社論で、「靖国神社廃止の儀 難きを忍んで敢(あ)えて提言す」を執筆した。 湛山の次男は前年2月、中央太平洋のマーシャル諸島で戦死している。戦没者遺族でありながら、靖国廃止を説いたのである。 「大東亜戦争は国家をほとんど亡国の危機に導」いた。その「戦争に身命を捧(ささ)げた人々を祭って最早(もはや)『靖国』(国を安んずる)とは」言えなくなった。 残しても「屈辱と怨恨(えんこん)との記念として永く陰惨の跡を」とどめるだろう。「戦没者の遺族の心情を察し、戦没者の立場において考えても、かかる怨(うら)みを蔵する神として祭られることは決して望むところでないと判断する」