はてなキーワード: 行間とは
以下ChatGPT
自分のホームページ(自前ドメイン+自前HTML)を一度でも作って運用すると、SNS中心の“受け手”視点から、仕様・検索・配信・所有・継続の“作り手”視点に脳が切り替わる。結果、情報リテラシーは跳ね上がり、ネットのニュースや流行の見え方が根本から変わる——しかも想像以上に。
Before(作る前): Web=SNSのタイムライン。良し悪しは「バズってるか」「見やすいか」
After(作った後): Web=プロトコル+ブラウザ+HTML/CSS/JS+CDN+検索エンジン。
ページは**文書(Document)**であり、配置(IA)、意味づけ(セマンティクス)、配信(HTTP/HTTPS/HTTP/2/3)、キャッシュ戦略が気になりだす。
→ 同じ記事でも「タイトルの付け方」「hタグ構造」「画像最適化」「OGP」「サイトマップ」がまず目に入るようになる。
プラットフォーム依存の脆さを体感:規約変更やシャドウバンで露出が消える。
自サイトの資産化:ドメインに紐づくURLはリンクされ、検索に積み上がり、10年後も生きる。
POSSE(Publish (on your) Own Site, Syndicate Elsewhere):まず自分のサイトに出してから外部へ配信する習慣が身につく。
3. “好き/嫌い”から“なぜ速い・なぜ遅い”へ
Core Web Vitals(LCP/FID/CLS)や画像の遅延読み込み、フォント最適化の重要性が腹落ちする。
広告・計測タグの重さに過敏になる。読者体験を壊さないためのパフォーマンス予算という概念が生まれる。
キーワード選定は“流入ゲーム”ではなく読者の課題→コンテンツ設計に帰着。
内部リンク・パンくず・スキーマ(構造化データ)・サイトマップの意味が実務として理解できる。
“書けば伸びる”ではなく“検索意図を満たす設計が伸びる”に目が覚める。
alt、見出し階層、コントラスト比、キーボード操作、焦点管理など、見えない品質が最重要になる。
デザインは飾りではなく“読み・理解・操作”のためのユーティリティだと分かる。
たまたま当たる1記事より、更新の継続・アーカイブ性・RSSのほうが効くと実感。
コメント欄・メールフォーム・X連携よりも、ニュースレターやRSS購読者の質に価値を見出す。
ドメイン、DNS、証明書、バックアップ、法務(特商法・プライバシーポリシー)に“運用者の責任”が生まれる。
その重みが情報の信頼性を引き上げる(=他人のサイトの苦労も見えるようになる)。
トレンドは“輸入”ではなく選別になる。自分の歴史に合うものだけを採用して積層していける。
A. 最小HTML(雛形)
<meta charset="utf-8" />
<meta name="viewport" content="width=device-width,initial-scale=1" />
<title>あなたの名前 | ホーム</title>
<meta name="description" content="自分のホームページ。制作物・日記・メモを置いていきます。">
<link rel="alternate" type="application/rss+xml" title="RSS" href="/feed.xml">
<meta property="og:title" content="あなたの名前 | ホーム">
<meta property="og:description" content="自分のホームページ。制作物・日記・メモ。">
<meta property="og:type" content="website">
<nav>Home / About / Posts</nav>
<footer>© 2025 あなたの名前</footer>
GitHub Pages(Jekyll標準。Rubyベース、Node不要)
Cloudflare Pages(静的ファイルを置くだけで高速CDN)
レンタルサーバー(静的HTML+SFTP/rsyncで十分)
C. ドメインの基本
DNSはA/AAAA/CAA/TXT最低限、HTTPS必須(Let’s Encryptで無料化)。
D. “最低限の品質チェック”5点
ログを読む:Search Consoleと簡易アクセスログで“本文よりメタ情報”を磨く。
どういうこと?
新しい彼氏つくったんだろうな。
別れようってLINEが来たんだよね?
「別れよう」
「一緒に働きましょう」
解釈合ってる?
思いつくまま書いただけなのか
書かないことで想像させたいのか
https://anond.hatelabo.jp/20251006235854
ハッピーエンドって女が男に振られる話なんだが
どういうこと?
「ハッピーエンド」か「振られる」に
新しい意味ができたの?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4777129160093669953/comment/eroyama
両者ともに鬼気迫る物が有って読ませるね 上手い
どういうこと?
別の増田と戦ってたの?
リンク貼ってよ
国語力が無いってつらい
関連URLは付けてよー
ハッピーエンドというback numberの歌は、女が男に振られるストーリーなんだよ
https://anond.hatelabo.jp/20251007053027
自営業をしていて、請求書と一緒に作業明細をpdfで送っている。
「エクセルでももらえますか?」と言われることがあり応じていたのだが、
元はGoogleスプレッドシートで作業しているので、pdfと同じ体裁を整えようとすると地味に面倒なことに気づいてしまった…
次からエクセルでくれって言われたら「csvでいいですか?」って言うようにします。
「作業明細を集計するためにエクセルが欲しい」ならcsvでもらっても問題ないだろ、っていうかcsvのがいいよな
どうせ「csv、、?ですか?ちょっと確認します」とか言われて「あ、じゃあエクセルでいいですよ」って俺言っちゃうんだろうなあ
補足ですが、
そのテーブルから日付ごと、月ごとに集計して帳票化したものをpdfで先方に送っています。
追加のお気持ちですが、
・年の差バディで知らぬうちにお互い影響を与え合いながら福本世界観のアンダーグラウンドで金を稼ぎまくるバディもの…っ!と思って読み始めたらオーシャンズ11みたくいっぱい他のメンバーのおじさんが出てくる…バディものじゃないんだ…
・二次創作予習から「大器晩成大型わんこ年下攻め×福本作品によく出る化け物頭脳の白髪の枯セクシー初老」やろと思ったら3巻で銀さんが突如スパダリになって「えっっっ?!」ってなったもうあの時の森田くん乙女だった そんでバディ解消しとる!!!そもそもバディものじゃなくなった!!!マジかよ!思ってたんと違う!!
・
・ポーカー勝負に勝った後の森田さんを訪ねる銀さんの一連のシーン、これは「行間を読む」ところやなこれ ドアの隙間から足が見えて部屋に入ってくる時点でセクシーな雰囲気が漂ってますわこれ
・銀さんが森田さんに持っていくお見舞いのお花が薔薇なの、アシスタントさん、
やっとんなぁ!!ってなった ご丁寧にトーンが貼ってある…
もう少しエンタメとしてわかりやすい話にして」って言われたのかな…と
思った
・本編読んだことないが「差別されたんだ…」とか「勝ち続ける…!灰になるまで…!」
本編もだけど「あと◯冊で本当に綺麗に完結するんか…⁈」と
これは「空力の鬼才」と呼ばれるエイドリアン・ニューウェイが買いた本だ。
この本、確かに面白いし勉強になる。だが同時に、読んでて無性にムカついた。
まず、ニューウェイの謙遜のなさだ。35年のF1キャリアを振り返りながら、自分がデザインしたマシンがいかに優秀だったかを淡々と語る。ウィリアムズFW14B、マクラーレンMP4-13、レッドブルRB19…確かにどれも史上最強クラスのマシンだ。でもその語り口に、ほんの少しの謙遜もない。俺が作ったから勝てたんだという自信が行間から滲み出てる。
特にイラついたのが、他のエンジニアやデザイナーに対する評価の仕方だ。明らかに俺の方が上という態度で書いてる。確かにその通りかもしれないが、読んでて「お前そんなに偉いのか」と思った。
さらに腹立たしいのが、技術的な詳細をあえてぼかして書いてる部分があることだ。空力設計の核心部分になると「これ以上は企業秘密だから詳しくは言えないが」とか書いてたりする。これじゃあ技術書じゃなくて、ただの自慢話集だ。
でも一番ムカついたのは、この本を読んだ後の自分の反応だった。
「くそ、こいつめちゃくちゃ凄いじゃないか」と認めざるを得なかった。19個のF1タイトルに関わり、150勝以上を記録し、史上最も成功したデザイナーという実績は否定できない。ニューウェイの設計哲学や問題解決のアプローチは、確かに天才的だった。
特に感動したのが、子供時代にタミヤの1/12スケール ロータス49を作っていた話だ。幼少期から機械いじりが好きで、分解と組み立てを繰り返していた少年が、やがて世界最高峰のF1マシンを設計するようになる。この流れに、エンジニアとしての原点を見た気がした。
結局のところ、俺がムカついたのは嫉妬だった。自分も技術者の端くれとして、ニューウェイのような圧倒的な才能と実績に憧れる。でも同時に、その高すぎる山を見上げて絶望的な気持ちになった。
「どうすれば、もっといい仕事ができるか」というこの本のテーマが、読後に重くのしかかった。ニューウェイは常にこの問いと向き合い続けてきた。そして実際に、より良い仕事を積み重ねてきた。
俺たち凡人エンジニアは、この本を読んでどう感じるべきなのか。諦めるのか、それとも少しでも近づこうと努力するのか。
ムカつくけど、やっぱりこの本は凄い。技術者なら読むべきだ。そして読んだ後に感じる複雑な気持ちも含めて、この本の価値なんだと思う。
今年で四十六歳になる。
バブル景気がはじけて、求人票から光が消えたまま大人になった。
小学生の時、おそらく四年か五年だった時の事。校庭の隅で上級生が一年生の帽子を蹴飛ばしていた。
勝てるはずもないと分かっていたのに、気がつけば自分はランドセルを投げ出し上級生の腕をつかんで殴りかかった。
結果は目に見えていた。俺はボコボコにのされ、そのあとには職員室に呼び出され「正義感が強いのはいいが、手を出すのはよくない」と説教を受けた。
二〇二二年までは契約社員だった。
都内オフィス街にある中堅程の企業。自社のホームページでは俺と年齢が近い社長が腕組みし、得意げな表情で出迎える。
そこではスタートアップの成功譚が語られている。だが現実は派遣と契約社員で回している安定志向の会社だ。
四十三歳にしてようやく正社員登用の通知を受け取ったときは立ち飲み屋の隅でビール二杯目を飲みながら一人小さくガッツポーズをした。
氷河期世代にとって正社員は、令和になってもなお一枚の勲章だったからだ。
今年の、二月の出来事だった。
給湯室に入ると障がい者雇用枠で入った男性を、若手の課長代理が笑いながらいびっていた。
彼は困惑し、ごめんなさい、すみません、と泣きそうな声で謝り続けていた。
それを面白がって見つめ、さらに罵倒する言葉を続ける課長代理の姿。
頭の奥が、カッと白くなった。
気づけばそいつの胸ぐらをつかみ、拳を振り抜いていた。
社内は大騒ぎになったが、会社としては障がい者いじめを外部に知られたくない。
だが俺はその日のうちに懲戒解雇を言い渡された。
四十六歳、無職。
再就職を目指してハローワークに通い、リクナビNEXTやマイナビ転職を覗くが、正社員募集の年齢制限の行間が見えない壁となって目の奥に突き刺さる。
ITパスポート、基本情報処理技術者…資格欄に書けるものは一つもない。
稀に面接まで進むも、面接官は笑顔を崩さぬまま「これまでのご経験を活かして…」と定型句で話を締める。
寂しさに耐えかねて夏には都が主催する婚活イベントに足を運んだ。
自己紹介カードに「46歳 無職」と正直に書いた瞬間、受付の女性がほんのわずかに眉をひそめ、小さく息を吐いた。
その仕草だけで、踵を返すには十分だった。
俺は間違っていたのだろうか。
あのとき給湯室で、拳を振り上げなければ今も正社員として平穏に暮らしていたかもしれない。
安いワンルームに戻る夜道、その思いが何度も頭をよぎる。
それでも、もしあの時、彼を助けなかったとしたら――
そんな気がしていた。
そう思うたび、胸の奥にじわりと重い痛みが広がる。
俺は間違った行動をしたのだろうか。
そうかもしれない。そうだろうな。
その方が幸せだろう。それでも俺は
人間の条件を、俺は知りたい。
お前らは活版印刷で刷られた本を読んで「読書している」と胸を張っているが、その実態は金属活字が量産した文字列を目で追っているだけだ。書を読むという行為の本質を、何一つ理解していない。
まず、写本の筆跡を思い出せ。羊皮紙の重み、インクの匂い、筆が走った痕跡を指先で感じる喜び。それを捨てて、ただ均一に刷られた紙片をめくるだけで、本当に書物を味わっていると言えるのか。書体が美しく整っていると思っているなら、それは錯覚にすぎない。写本の一字一字には、筆写者の息遣いが宿っているのだ。活字はしょせん、魂のない鋳物にすぎない。
次に、文字の揺らぎと余白の意味を考えろ。お前らは「読みやすさ」だの「整った行間」だのとありがたがっているが、その均質さは思考を鈍らせる。写本では、筆者の意図や感情が行間ににじむ。余白の取り方ひとつにも意味がある。だが活版印刷では、そのような個性は無視され、すべてが工場の都合で整列させられる。お前らはそれで本と呼べると思っているのか。
それでもお前らは言うだろう。「大量に流通できる」「価格が安い」「誰でも読める」と。だが、そのために失ったものは何かを考えろ。写本の蔵書室に入り、一冊の本を手に取る。そのとき感じる羊皮紙の温もり、筆の痕跡、ページを繰るときの静寂。それが書物と向き合うということだった。大量複製された本に囲まれて、果たして人は一冊と真剣に向き合えるのか?
お前らは本当に読者なのか。それともただの印刷物の消費者か。それを自問しろ。もし書を愛し、知を敬い、その重みを理解したいなら、今すぐ印刷物を閉じ、写本の棚に歩み寄れ。そして一冊を手に取り、そこに刻まれた手書きの文字を指先でなぞれ。それが真の読書への第一歩だ。
それでもなおお前らが「普及」や「便利さ」を選ぶなら、せめて静かな部屋で、印刷物のページをめくるその瞬間に思い出せ。かつて人は、書くという行為そのものに祈りを込めていたということを。だが、それでもやはり足りない。真の読書体験は、金属活字では決して再現できない領域にこそ存在するのだから。
「著者が想定した行間と文字サイズには、文章のリズムを保つための微妙な計算がある。」
文字サイズいじりはたまーに見るけど、強調したいときとかごく一部だろ
スペース、三点リーダ、かっこなどで描画表現する作者もいるけど、これも少数
作品全体で行間や文字サイズを弄ってこだわってるやつなんてまずいねえよ
お前らは電子書籍を使って「本を読んでいる」と胸を張っているが、その実態は電子スクリーンに映された文字をなぞっているだけだ。
まず、ページをめくる感触を思い出せ。
それを捨ててタップひとつで次のページに飛ぶなんて、本当に本を楽しんでいると言えるのか。
電子インクの表示が紙に似せていると思っているなら、笑わせるな。
表示はしょせん反射型ディスプレイの真似事にすぎない。
お前らは自分好みに調整できることをありがたがっているが、そんな自由度は本来不要だ。
著者が想定した行間と文字サイズには、文章のリズムを保つための微妙な計算がある。
お前らが勝手に設定をいじって、リズムを崩して何が得られるというのか。
本を味わうというのは著者とデザイナーが紡いだ「読みやすさの設計」そのものを体感することではないのか。
重要な一節にペンを走らせる行為をお前らは電源を入れた指先でなぞる。
物理的に線を引き、そこに残る跡にこそ「学びの証」が宿るのだ。
データとして蓄積されたハイライトログに、一体どれほどの重みがあるというのか。
過去に戻って、その跡を辿ることはできない。
指紋のように消えないマーカーでしか、あの瞬間の気持ちは蘇らないのだ。
SNSの更新、ニュースの速報、メールの着信。お前らはいつでも割り込みを許可して読みかけのページを離れてしまう。
紙の本ならば通知も音もなく、静寂の中で思考は深まる。
だがKindleはその静寂を蹂躙し、お前らの集中力を根こそぎ奪う。
読書とは思考の連鎖を止めないことであり、その連鎖を断ち切るのは言語の冒涜に等しい。
それでもお前らは言うだろう。「何百冊も持ち歩ける」「暗闇でも読める」「辞書引きが楽だ」と。
だが、そのために失ったものは何かを考えろ。重くてかさばる紙の本を背負い、読了の達成感とともに本棚に並べることで芽生える誇り。
読み返したい一節を探すときに手が覚えている――その感覚を失えば、読書はただの情報消費で終わってしまう。
お前らは本当に読者なのか。
それを自問しろ。もし本を愛し、本を支え、本の重みを理解したいなら、今すぐKindleを消し、本棚に足を運べ。
そして一冊の紙の本を手に取り、その匂いと手触りを感じながら最初の一頁をめくる。
それでもなおお前らが「便利さ」を選ぶなら、せめて静かな部屋に閉じこもり、通知を切り、本を読むという行為に集中しろ。
だが、やはりそれでも足りない。