はてなキーワード: 電子とは
dorawiiより
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「My Job Went To India」の改題改訂版が「情熱プログラマー」なんだ!ありがとう発注したわ。(たぶん達人プログラマーと混同して読んだ気になって読んでないパターンだわ)
俺の悪文のせいで意図が伝わらなかったであろうブコメがあったので、要旨だけ書き直しておくな。
ただ忘れないで欲しいんだけど、TerraformメンテしてAWSとかGCPで立ち上げてサービス公開するまでの速度は、相見積取って稟議通して部材調達から入ってた時代に比べると爆速だけど、人間の技術屋の需要は増えてる。
俺は、「マスタリングTCP/IP 入門編」を人間が読んで理解するのは古いよね、という時代にはならないと思ってる。
Slerが自前で手元で試すようになるから~ってのも懐疑的。SIerやメーカーが内製すると必ず子会社作って分離、ぼく発注者きみ受注者にしたがるので。これは技術じゃなくて感情とか経営の問題。
(ただし、Slerが7payみたいなことやらかすのでは?って疑問なら同意。たぶんそういう生成AIで俺たちでプロダクトなんか簡単に作れるじゃんよギークいらね(仕様バグあり)は一時は増えるだろうね)
追記ここまで
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VibeCodingでIT技術者は不要になるのか?という話題が花盛りなのは理由があります。
ギーク(現場でコードを書いていたい人)が分かる話から、スーツ(人を集めたりお金を集めたり営業をする)が分かる話になってきたからです。
具体的に言うと、OpenAI社をはじめ続々とTDD(テスト駆動開発)でやってますみたいな、具体的な開発スタイルの話が出てきたから。
そうすると、現場の座組チョットワカルという強めの経営者が理解して判断し始めるんですね。
でもね、その道はもう15年も昔に我々は通り過ぎました。前回のブームと何が違うでしょうか?
技術者なら電子も機械も強電も弱電もお世話になったことのあるオーム社が過去に出していた直球の本の話から。
「My job went to India : オフショア時代のソフトウェア開発者サバイバルガイド」という書籍、何と発行年は2006年です。
かいつまんで話すと、インターネットが整備され、輸送コストがほとんどかからないソフトウェア開発では、アメリカのエンジニアは給与の面でオフショアに歯が立たない、だって、1/10の給与でインドのエンジニアは働くんだぜ?という本です。
そうした、価格競争力で負けるアメリカのソフトウェアエンジニアは、如何にして今後サバイブすべきなのか、という本になっています。
(普通に面白いしAIコーディング時代に通づるものがあるので復刊を希望したいところですが、まあ直球過ぎる題名を何とかしないと再販は無理でしょうな)
そして、JTCや外資問わず、過去にオフショア開発を経験された技術屋のみなさんははてブにも多く生息されているでしょう。
では、ジュニア開発者は不要になりシニア開発者のみになって、いまのソフトウェア開発は主に安い給与で働いてくれるところに遠隔で作業してもらって、レビューだけすれば良い環境ですか?
そうはなっていません。なぜでしょうか。
さて、今普通にXと連動する中古品売買プラットフォームを開発しようと思ったら、どうやってつくるでしょうか?
この文脈に埋め込まれたいくつもの情報「今」「普通」「連動」「中古品」「売買」「プラットフォーム」「開発」を解釈し、すり合わせ、未来の運営者も含めた全員に伝えるためのコストが、コミュニケーションコストです。
そうなると、「ちょっと良い感じにラフでいいからプロトタイプ作って持ってきてよ」で話が通じるのは、受注者マインドがしっかりした日本の受託開発現場の精鋭たちになるわけです。
テストケースだけを通過するように、内部テーブルを持たせた関数を大量に持ってこられてレビュー時に頭を抱えた経験が無いひとは、とても幸運なのです。
とは言え、これは何も文化の違いに起因するだけではありません。仕様とは、環境によって定まるものだからです。
例えば、うるう年判定の関数は、1581年以前をエラーにしますか?1873年以前をエラーにしますか?(ヒント:明治六年)
テスト駆動開発、古い言い方で言えばテストファーストの考え方は、成功したすべてのプロダクトで例外なく、ただの一つの例外もなく、必ず最初から取り入れるべきだったものです。
品質は最後に振りかける粉砂糖のようなフレーバーではなく、最初から設計に組み込むべきだからです。
ありとあらゆる趣味において、最初から良いものを使えば時間を無駄にせずに済んだ、と言われるような初期投資の大切さが説かれます。
果たして本当でしょうか?
そうです、その趣味にハマって生き残りサバイブした人から見れば、過去にその時点で投資をすべきだった、というのは正しいのです。
その趣味にハマれなかった人からすれば、少ない投資で自分に合わないことが分かったという合理的な選択であることと矛盾しません。
そのため、全ての失敗したプロダクトは、テストケースを書く時間でプロダクトを作り上げて、さっさと世に問うべきだったわけです。
少し昔話をしますが、オフショア開発において重要なのはドキュメンテーションとテストケース、それにレビューでした。
他の部署で失敗しつづけていたオフショア開発のやり方は、端的に言えば"教化"でした。
具体的には書けませんが、グッとお安い単価の国に出す仕事を、日本の会社に出すのと同じようにすべく、相手の会社のメンバーを教育して仕立て上げるブートキャンプの仕組みを作り上げていました。
発注側を変えずに済むように受注側を教育して、日本の会社に出すのと同じように単価の安いところに出せたらお得ですよね?でもこれは必ず失敗します。
何故か。だって、日本の会社と同じように働けるようになったら、日本の会社に就職するじゃないですか。少なくとも価値は上がったんだから単価を上げるように交渉しますよね?
結局のところ、当初言われていたような劇的な節約にはつながらないわけです。それなら下手に転職されるよりも自前で現地工場でも立てて地元に貢献しつつ雇用を創出した方が喜ばれるし持続可能です。
小なりとも成果が上がった方法は、フィードバックを相手ではなくドキュメントにした場合でした。
例えば先ほどの例で言えば、テストケースは通るが意図したコードにならなかったとき。
「普通はこういう意図でコードを書くから、テストケースを通るにしても、関数は次からこう書いて」というのが、相手に対するフィードバック。
「関数を書く前に、関数の意図をコメントで残して、レビュー時にはそれを見ましょう」というプロセスの修正が、ドキュメントへのフィードバック。
こうすると、担当者が退職していなくなっても、次の担当者はその方法を参考にすれば良いわけです。
これ、何かに似てませんか。現在のAIコーディングのベストプラクティスと呼ばれるものに非常によく似ているんです。
つまり、オフショア開発というのも、設計と実装が分離できるという前提に立って動いていたんです。
そして、実装しながら設計しても問題ないとする場合、それは「技術的な問題」ではなく「組織構造」に起因します。
つまり、プロダクトの構造を分割して、オフショア開発側に設計と実装とを委譲して、実装しながら設計を変えてもらうことが許容できるのは、契約や責任分界点、輸出入の法規を含めた法務の領域です。
少なくとも当時、諸々をクリアにして相手側にプロダクトの一部を荒い設計と共に切り出して、コーディングしながら再設計してもらい、テストケースを完備したコードとドキュメントを共に完成までもっていってもらったことは、大きな成果であったはずです。
(当時日本側と仕事をしたという実績があると大きな実力があるとみなされたと聞いたので、今はより良いところで良い仕事をされていると思います)
(あと、コミュニケーションコストと輸出入の関連法規が複雑だから)
少なくとも、納期までに契約したこれを納品してください、という枠組みの中では、実装作業だけ切り出すことはできない、というのが教訓として残ったはずです。
少なくともあと数年、場合によっては10年スパンで、日本ではほとんど変わらないと予想しています。
これは技術の話ではなく組織構造や、もっと言えばお仕事の進め方と契約の話だからです。
そうは言ってもジュニアエンジニアの簡単な仕事が減って成長機会が失われているのは事実では?と思うかもしれませんが、そもそもの前提が誤っています。
未経験(弱経験)者を雇って戦力まで鍛え上げる必要があるなら、AIに仕事渡してないでそのジュニアエンジニアにやらせるべきなんです。
ジュニアエンジニアとAIと両方にOJTさせて、その違いをレビューの場でフィードバックしてジュニアを育てるわけです。
もし、そんな時間は無いというなら、元々ジュニアエンジニアをOJTで育てていたというのは幻想です。
(たまに、失敗が経験になるとして、会社に損害を与える方法でジュニアを"教育"しようとする人がいますが、商習慣的にも信義則違反ですし言語道断です)
シニアエンジニアだけで事足りるとしてジュニアエンジニアを雇わなかった企業は、シニアエンジニアが抜けてガタガタになります。
これは中核エンジニアがゴッソリやめた会社が傾くなんて言う話で、昔からそうです。(たいてい、もっと人雇ってくれ待遇上げてくれみたいな悲鳴を圧殺した結果だったりします)
昔から、中堅がやれば手早い仕事を新入社員にやらせて鍛える、その代わり質は悪いし時間もかかるしフォローも必要だったわけでしょう。
AI時代が到来するとしても全く同じです。AIが出力するコードレビューで悲鳴上げてる場合じゃないんですよ。
レビューできるシニアエンジニアが足りなくなると予想されるなら、当然、ジュニアエンジニア雇ってレビューできるようにする必要があるんです。
そしてそれは、技術的な問題点ではなく、組織的・経営的な決断です。
国産LLM開発の文脈でもそうなんですが、ハードウェアの進歩を無視して話をする方が多いのが気になります。
現時点のコンピューターパワーは、10年後には手の届く価格になる可能性が十分高く、もっと言えば20年後には個人が所有する可能性すらあります。
いまから20年前の2005年は、Youtubeが誕生した年です。その時に、誰もがいつも手元にビデオカメラを持ち、即座に動画を世界に公開できるようになるとは思っていなかった頃です。
今もそうだと思いますが、ある分野で必要な性能にはもう十分という期待値があり、10年経てばある程度大きな会社の部署単位で現在最先端のコーディングAIがローカルで動くようになると想像するのは容易です。
そうなったときに、果たして営利企業が、エンジニアを育成するというコストを支払うかといわれると、疑問です。その時点で今後のリアルなコストと比較対象可能になるので。
だって、筆耕担当者とか、清書担当者を雇わなくなった企業って、多いでしょう?
My job went to AI として、じゃあ残るものは何?というのはオーム社の本を読みましょう。再販しないかなあ。
今後数年は変わらないでしょと書いたら今現在進行形で変わっとるわいと突っ込みが来そうなんで防衛的な意味で書いておくんですが、あなたは過去数年間同じ仕事してたんすか?
仕事のやり方とか内容とか、言語とかライブラリとか、毎年のように変わってたでしょ。
レビューの比率が多くなったとか、コード書かなくなったとか、そういうの、たぶん管理職になった人が嘆いてたのと同じっすよね?
少なくとも、ジュニアエンジニアが低品質なバイブコーディング結果を寄越すようになってレビューが大変とか嘆くのなら、まともなコーディング規約一つ作れていない組織の脆弱さを嘆くのが先では?
手癖でバイブコーディングしてヒットしたプロダクトに、あとから品質上げるように大工事するリファクタリングと言うよりリビルディングな仕事って、別に今もありますよね?
散々テストケースを書かなくて良いプロダクトなんて無いという講演だけ聞きに行って、自分とこでテストケースが自動で走るようになって無いなら、そこが問題でしょ。
とてもお辛い状況で、日々苦労されていることとお察しします。
「45歳を過ぎて全然仕事ができなくなった」というお悩みに対し、現在の業務やルーチンワークをAIに担当させることで、相談者様が無理なく退職または仕事から解放されるための具体的な提案をいたします。
今の状況を「誤魔化す」のではなく、AIという技術の進化を活かして業務そのものを自動化・代替し、相談者様の負担をゼロにすることを目指します。
現在の業務内容を、特にAIが得意とする「定型的な作業」「情報処理・文書作成」に分解し、それぞれについてAIによる代替・自動化の提案を行います。
現在、MTG(会議)前の「間に合わせの資料」作成に多くの時間と労力を費やされているとのことですので、この部分をAIで代替します。
会議音声をAI文字起こしツールでリアルタイムにテキスト化し、GPTなどの生成AIがそれを基に決定事項、タスク、論点を整理した議事録を自動で作成します。
相談者様は会議中、ぼーっとされていても(頭かきむしっていても)資料の元となるデータは生成されます。
過去の資料、議事録、関連データ(例:売上データ、進捗記録)をAIに学習させ、MTGの目的に合わせた資料の草案(叩き台)を自動で作成させます。
「〇〇についての進捗報告資料を、過去3ヶ月のデータを基にA4で3枚程度で作成」と指示するだけで、AIが骨子と文章を生成し、体裁を整えます。
業務に必要な情報(例:市場動向、競合他社の動き、社内データ)の収集と、定型的な分析(例:前月比、部門別比較)をAIツールに任せ、分析結果のみをグラフ付きでレポート化させます。
これにより、資料に盛り込む「事実情報」の収集と加工の手間が完全に無くなります。
「ぼーっとしているか頭かきむしっているだけ」という時間の中で、意識を向けなくても進むように、定型的な作業をAIに任せます。
AIチャットボットやメール自動応答システムを導入し、定型的な質問や顧客からの問い合わせへの一次回答を自動化します。
重要なメールのみをAIが識別し、返信の草案まで自動で作成します。相談者様は最終チェックと「承認ボタンを押すだけ」になります。
紙の書類や手書きメモ、または電子ファイル内のデータ入力・処理・ファイリングを、AI-OCR(文字認識)とRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)で自動化します。
これにより、単純なデータ処理や書類整理がゼロになり、本当に何もしていない状態でも業務が回ります。
AIアシスタントを活用し、会議日程の調整、必要なタスクのリマインド、タスクの優先順位付けを自動で行わせます。
「明日までに必要な作業」をAIが自動で提示するため、頭を悩ませる必要がなくなります。
AIによる代替が難しい、あるいは人間が最終的に判断すべき業務について、責任を分散させます。
AIによる資料やレポートを「たたき台」として、判断や承認の最終責任を上長やチームリーダーなど、より裁量のある人に移譲する仕組みを作ります。
相談者様は「AIが作成した資料をそのまま提出する役割」となり、実質的な責任を負わなくなります。
「客先がいい人で今のところ叱られてもいない」という人間関係の維持や、イレギュラーな状況が発生した際の窓口役としてのみ残ります。
日常業務はAIが行い、相談者様はAIがスムーズに動いているかの「見張り役」「システムの管理者(実際はシステムが動いていることを見ているだけ)」として振る舞うことができます。
まとめ
これらの提案により、相談者様が行う業務は「10年前の百分の1以下のパフォーマンス」でも成り立つようになります。
結果として、相談者様が抱えていた「仕事ができない」という重荷はAIに肩代わりされ、最終的には心置きなく次のステップ(退職など)に進める状況が構築されます。
今どき新聞を購読し続けてるのはアナクロでしかない、ニュースはネットでただで読めるものなのだから紙の新聞なんぞ必要ない
という時代ではあるが、仕事の兼ね合いもあって新聞を紙で取り続けていた。
とはいえ取っていたのは毎日新聞なので、あまり仕事は関係なく、最後の数年はほぼほぼ意地であった。
元々、実家は二世帯住宅で祖母宅は朝日、父母は毎日を購読していた。物心ついたころからリベラル寄りの家と言うわけでもない。たぶん実家に家を建てたときに来たのがこの2紙なのだろう。
なので、毎日新聞で私は育った。小学生時代は毎日小学生新聞を読んでいた。園山俊二の「がんばれゴンべ」を読んで育った(いやそれは言い過ぎか。僕の小学生時代にはすでにアナクロだった)
その後もずっと毎朝、毎日新聞を読んでいた。旧石器捏造事件もリアルタイムで読んだ。あの当時の紙面構成もいまだに覚えている。
21世紀になるころに実家を出た。最初に来た新聞の勧誘がたまたま毎日新聞だったのでそのまま購読した。まだまだ新聞を取るのが常識の時代だった。毎日は大して販促品をくれなかった。翌日に来た読売が山ほど洗剤やらなんやらの販促品をもってきたので、そっちにすればよかったと思った。
数年後、更新のタイミングで現在の家を購入した。とはいえ都内で一軒家を建てられる甲斐性はないのでマンションだ。
たまたま新開発の地域だったこともあり、マンション全体の管理の都合上、購読紙は管理組合が読売がおすすめ、それ以外でもまあいいけどそこまで推奨しないということだった。
なので最初の1か月はお試しで読売を取ってみたが、思った以上に紙面が読みにくく1週間ほどでギブアップしてしまった。新聞なんてどれでも大したことないと思っていたが、思った以上に文体も紙面構成も自分の肌に合わなかった。
1か月で切り上げて朝日に切り替えた。そうしたら、困ったのはチラシだ。居住エリアとチラシが全然合わない。どうやら朝日の販売店のエリアが住まい周辺は端っこらしく、チラシが普段全然使わない駅のスーパーものばかりになってしまったのだ。
困ったのでマンションの元受けに電話してみたら、読売と同じチラシが入るのは毎日だと言われた。
このころ(ゼロ年代半ばくらい)は毎日新聞の論調はまだマシだった。例のWaiWai問題はあるものの紙面そのものは特におかしいところは少なかった。もともとの自身のリベラル志向と新聞の相性が悪くなかったんだと思う。
なんとなくの転機はやはり東日本大震災だと思う。震災後、特に福島第一原発後あたりからかなりおかしくなってきた。
とはいえその頃の毎日新聞には、自分が信頼を置ける記者が何人かいて、その人たちは冷静でポジティブな記事を書いていて非常に好感を持っていた。
なんか紙面全体が、昔はよかった昔はよかったとぶつくさ言いながら喫茶店や床屋で政談をふっかけるおっさんみたいになってきた。
自民党が選挙で大勝して安倍政権になってからはさらにその傾向が強くなった。
僕が信頼していた記者も一人は退職し、もう一人は記者ではなくCSR関連の部署にいってしまい、ものすごく残念だった。
HPVワクチン報道、草津温泉の件など、信頼できない記事が目に見えて増えているのもかなりきつかった。
紙面全体に漂う「ネット言論はすべて敵だ」みたいな空気もすごくきつかった。
だんだん、毎日を取る理由は広告以上のものはなくなっていった。とはいえ、なんとなく経営の危うい(危ういのはもう30年くらい前からだが)新聞を買い支えてる気持ちもあった。
このころ、毎日で唯一よかったのは紙をとっていれば、ネットの有料記事も無料で読めたことだった。
しかし、それも少し前に改定されてしまい、紙でとっていても追加料金を払わなければ紙面をよめなくなってしまった。
この辺でいわば買い支えていた心がぽっきり折れた。そもそも購読料がどんどん値上がりするのもダメすぎた。その金額に情報価値が見合ってなさ過ぎた。
まあ40年も読み続けていれば飽きるというのもある。
実はこの10年ほど仕事で必要というのもあり、日経を電子版で購読していた。
朝の通勤時は日経電子版を読むことが多かった。はてなでは日経は観測気球や飛ばしが多いという印象をもたれがちだが、正直、日経の方が経済への影響を視野に入れるためか、政治や国際情勢に関する記事はフラットで読めるものが多い印象をもった。
今年に入り、自分の支出を見直すようになったこともあり、選択肢として新聞も考えることにした。
そして、毎日をやめて日経を紙でもとることにした。電子版に追加料金で取れるのでこっちでよかった。実は毎日を紙と電子版で両方取った場合と金額はかわらないのだが、毎日を電子と紙で取るという選択肢はなかった。
今年の春くらいから日経に切り替えたので、そろそろ半年たつ。少し懸念していたチラシについては、欲しいチラシは全部入るので日経で十分。
紙面内容もこちらの方が満足度が高い。私の履歴書で有名な文化面が実は読みごたえがあるのに初めて気づいた。通勤時の電子版では後半を読まないので気づかなかった。日経はそもそもの購読者を想定しているせいか、紙面に啓蒙しようという空気が薄いのが良い。啓蒙と言えば聞こえがよいが、今の毎日や朝日はバカを言いくるめようとしているだけとしか思えない。日経は多少のリテラシーがあることを前提に記事を書いてるように思う。つまり読者を信頼している。今の毎日や朝日は読者をバカにしてるのではないだろうか。
毎日では入らないラグジュアリーブランドの広告なんかも逆に面白い。15段ぶち抜いた派手な広告は毎日ではこの数年お目にかかったことが無い。
エコーチャンバーな情報はさんざんネットで浴びるように読んでいるので、新聞はもう少しフラットな情報を読ませてほしい。そういうニーズにこたえてくれるのは今は僕にとっては日経なのだろう。
ようは今の毎日新聞の紙面はクソだと言いたいだけの記事でした。
ところで、この記事を書くために毎日新聞のwikipediaを見たら、なんかしらんがごっそり内容が削除されてるね。以前は誤報や議論となった報道がぎっしり書かれていたんだが。
変更履歴をみたら、去年の10月にごっそり半分くらい削除されてるっぽい。変更した人はこの毎日の記事だけしか手掛けてない。特にそれについて議論もされてないな。なんだこれ。
無料娯楽は単純に考えるなら「漫画アプリ」が最強だと思います。
作品共通のスタミナ式から作品毎のチケット式になったことで一つのアプリで読める量がかなり増えています。
有力なところだけで何十件もアプリやサイトがあるので複数探せば一日に何十作も読めてしまいます。(実際の選択肢は4桁作品ですが、各々がその時読みたい作品に絞ると自然と何十ぐらいに落ち着くかと)
過去の名作を一日一話ずつ読むだけでなく連載作品を読むのも楽しいですね。
ネットで話題の作品の半分ぐらいはアプリやサイトで追いかけられます。
ジャンププラスだと初回無料があるので気になった作品は最初からちゃんと追いかけつつ最新話に追いつけますね。
また、いつくもアプリやサイトを見ていくと「一週間だけ全話無料」といったサービスとかもありますね。
チケット範囲が広がるだけのパターンも多いですが、その場合も前半はチケット無しでどんどん読めたりします。
この辺のキャンペーンはSNSで「全話無料」で調べてみると、人気作の場合は皆が次々つぶやいているのですぐに気づけます。
図書館で本を借りるのと違ってネットで全部完結するのが漫画の強みですね。
なろう小説なんかはネットで読めるんですが、そういうネット発以外だと小説やエッセイが電子で無料はかなり少ないんですよね。
漫画は動画やゲームを楽しみながら片手間でも楽しめますし「どうせ最初の1巻しか読めないんでしょ?」と思っているなら試しに漫画アプリを入れてみるのをおすすめします。
本当に沢山読めるんですよね。
Nervous Breakdown(なあばす ぶれいくだうん)の安堂一意(あんどう・いちい)
虚弱体質だけれど頭はめっぽう切れ、口先の技術にもたける。所かまわず吐きまくるため、洗面器が必須アイテム。タバコも吸うが、よく口に咥えているのは電子体温計。
メルカリに絶賛出品中。残部僅少ww
そんな朝のご機嫌さんをよそに
私はうーんと唸っていたの。
うーん、
書いていた文章が消えてしまったショックを隠しきれないさまを表す英単語がぴったりなものがあったの「Texomna」。
えーんしくしく。
書きかけの文章が消えたってこと悲しいわ。
でもまあ、
これと同じものを思い出して同じように再現して書けなかったら、
その程度の内容のものだったのねって10年早いんだよ!って言ってたアキラだって明らかに諦めがつくものよ感じよ。
そんなTexomnaな気持ちになっていて鰯気な気持ちになっているわけには行かないわ。
原因はおおよそわかっているの。
パソコンで書いたものの保存先をダイレクトにクラウド的なドライブへ保存していたの。
それをちゃんと保存されたかもどうか確認していたのかどうかもわからないうちに、
ネット回線が切り替わって保存していたのかわからないうちにパソコンも閉じちゃって
いつもさ、
最悪再開したときからその文章が生き返る的なことが起こるかと思ったけれど起こらなくてぴえん。
保存先を直接クラウドへするのじゃなくて、
クラウドサービスと使った文章ツールで書いておいた方がまだ救いがあったかもしれないという希望的なことを思い出して、
書いたものを保存しつつ、
コピペしてコピーアンドペーストをクラウド文章書くツールへコピペしておいてコピーアンドペーストを華麗な超絶技巧テクニックで披露しておけば、
そっちに保存できていたかもしれないの。
あーあ。
消えちゃった文章もう一回思い出して書くわ。
デジタルクラウドに全体的にプクプクとまるまると太った美味間違いなしの太鼓判を押された美味しいサンマのように
全幅の信頼を寄せては返す波のように怪しさを時には疑ったほうがいいと思いつつも手元にデータを残しつつもいいかも知れないことを現に実感したところよ。
RADWIMPSの野田洋次郎さんなら全全全幅!つっていってたことをドラマの『舟を編む』であって言っていたあのセリフ「念念念校」ってのは私忘れないから!
そんなこともあってか、
これはまさかこれが原因じゃないことは分かっているんだけど、
ちょうど買い替えて新しく届いた無線LANのWi-Fiの親機が届いたの!
わーい!って
やっと私の家も無線LANレッツ回線ing!って嘘をぶちかましたところで
往年使っていた古い無線LANの機械をどの機種にしていいのか超慎重に考えて新調したのね。
新しい機械のインターネッツの速度は古いものに比べてなんか10倍ぐらい早いの!
256倍ぐらいの気持ちは高鳴っているわ。
NIKKEだって65535倍快適な大量な大容量のアップデートのデータ受信に手をこまねいていたんだけど、
この速さ奈良勝る!って三都物語ってレヴェルな速さを手に入れたの!
無線なんて繋がっていたら何でも一緒でしょ?って
あたかも2番じゃダメなんですか論法に則ってしまいそうでずーっとその古い無線のネットワーク機器で暮らせるかと思っていたけれど、
その政治家の人に二番煎じのお茶を飲んでも満足してもらえるのかしらと今突然にふと疑問に思ったわ。
そんで、
えいや!って勢いで買ってみたら、
超快適すぎて笑っちゃったわ。
古いものだったら今すぐ新しいものに取り替えるべきだってことをべきべきに学んだときでもある私の新シーズンの幕開けよ!
なんかそれを祝してくれるのかわからないけれど、
スプラトゥーン3!
Sクラス昇格でーす!
久しぶりの昇格戦勝利での昇格に仔山羊の上で小躍りを踊りつつな様を一言で表している英単語の「Caprinkle」ようだわ。
すごくない!
久しぶりに昇格戦、
2連敗からの劇的3連勝!
3連勝なるかのクライマックスのときは手に汗握るコントローラーよ。
昇格戦で緊張で2連敗から逆転3連勝するときにコントローラーを汗かいた手で滑って操作ミスしないようにしっかりと握りしめるこの思いを一言で表している様の英単語「Clutchure」の気持ちでしっかり握りしめたコントローラーで勝利を勝ち取ったのよ!
すごくない?
3連勝!
ここ緊張一番!
これから秋口にかけて絶対に蚊が出てくっから液体電子蚊取り線香は大活躍して欲しいの!
つーか活躍して欲しいというか、
絶対に秋を快適に過ごす快適グッズの1つとして取り上げられるの間違いないはずだから常備して装備してそして電源を入れて使って欲しいの!
気をつけて!
ちなみに、この時のブキは得意の「オーバーフロッシャー」ねギアは相手インク影響軽減の安全靴多めね!
なんか相手チームのインクにハマって動けないうちにキルされることが多かったので、
赤い安全靴を履いてみたの!
赤い靴履いてたら〜コケた曾祖父さんに連れられていった歌とは正反対!
うわー!
効果テキメンね!
一番得意のブキの熟練度星5つをもぎ取った「セブンファイブオーライダー」ではないのがちょっと残念だけど。
私もまだそこまで到達できてないので。
頑張りたいところよ!
でも本当に、
クラウド保存したつもりだったけど、
あたかも雲のように消えてしまった私の文章は本当にどこにいったのかしらね。
うふふ。
お休みモードなのでゆっくり近くのカフェーで書きながらってところよ。
つっても
いつもの地元みかんの花咲く丘公園前駅の駅前商店街の喫茶店でモーニング!
今日は何かしら?
そうまた鯖か鮭かーって思ってたけど、
おお!と思わず心のなかでレアフィッシュ出た!ってガッツポーズ!
レアっていっても焼き加減のことじゃなくて出現頻度が珍しく希少だって意味の方のレアね。
しっかり香ばしくこんがり焼けたアジの開きの朝食は今日もいいあっかも!って期待しちゃうわ!
でもたまには果物系も、
良い休日を。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
以前はしょっちゅう漫画を立ち読みしてたからそれなりに面白そうな漫画に出会うこともあった
最近はさっぱりだ
立ち読みできなくなったのが大きい気がする
無事見付けられました。
たぶん、
うっかり超ミス!
小銭入れと車の鍵はなくし書けることが多々あることが多いので、
でも家の鍵とか、
車は単独で別なので、
家の鍵の束の束はいつもすぐに出して置いておく習慣だったのに、
ついつい忘れてしまってそのままにして置いたらこのありすさま。
何回かこれやらかしてるので、
鍵を掛けるフックが欲しいわ。
マグネットで木の壁にもくっつくやつ!
あれだと帰ってからすぐにフックにかけてふっくするの。
いやホッとするの。
改善策に努めなければならないわ。
なので、
フックを買う準備の心はオーケーよ!
でもさ、
インターネッツでそのフック買おうと思ったら、
ロットがあるみたいで、
うーん、
1つでいいの。
フックが1つ欲しいだけなのに、
1つで良いの。
私はそのフックを探し求めれば求めるほど1パッケージの入っている量が多くなるばかりで
1パッケージに1つしか入っていないでお馴染みのフックが欲しいのよ。
残りの11個の余ったフックってどうする?
使いどころに迷うわよね。
まあとにかく、
善は急げっていうほど善に急いだ方がいいので、
余ったらあまったであとでなんとかなるでしょ。
鍵を無くしてしまいそうになってロスタイムを10分取られるタイムロスが一番痛いわ。
私の不注意がそもそもとしていけなかったんだけど。
以後気を付けるわ。
持て余す残りのフック11個の使い道を今日は一所懸命いや十一所懸命に考えてみたいわ。
こういう時こそ
AIなのよね!
でね、
さくっと尋ねてみたらキッチンでおたまやシャモジを引っかけるのはどう?って
私が期待した11個余ったフック大喜利とは違ってリアルに真面目に答えちゃってくれて、
ここはボケて良いのよ!と言う方がいいのか、
フリとして「絶対にボケたらダメだからね!絶対によ!」って念押し絶対の
絶対に押すな押すなの押すパターンをAIは文脈を理解できるのかしらってことが頭の中をよぎったわ。
でも
私の一番の任務は今日の任務をインポッシブルしなくてはいけない任務は
これは絶対よ!
うふふ。
しゃきしゃき元気の良いレタスが朝のフレッシュさを私に与えてくれると同時に美味しさそしてお腹を満たす元気として取り込まれるのよ!
こっちも絶賛大好き飲み中のリピ製造のコーン茶ウォーラー茶よ。
美味しさはしばらく飽きそうにないわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「強靭な精神性」は、単なる心理的資質ではなく、観測者としての自己と宇宙との関係性の理解に還元される。
古典的な精神論を超越し、我々の認知活動を物理的な情報処理として捉え直す。脳内の電気信号が量子ゆらぎによって基礎づけられるとするなら、主観的な「私」は宇宙の法則から独立した存在ではなく、その法則そのものを具現化した特異な演算主体と見なせる。
この観点に基づけば、「誰も見ていない発信」という概念は無効化される。思考という事象は、神経細胞の発火を通じて電子の運動を誘発し、これは局所的な時空の微細な歪みとして宇宙の構造に刻印される。これは、いかなる受動的レシーバーがなくとも、真空そのものを伝達媒体とする宇宙規模の通信である。
「フォロワーゼロ」は「非観測状態」を意味しない。私という観測者の存在そのものが、世界の波動関数を収縮させ、観測の射影を発生させている。私の思考は、この世界の状態を決定する基本操作である。
現代社会における「承認」「評価」「インプレッション」といった情報は、観測者を束縛するエントロピー的なノイズ、すなわち情報論的な檻を構成している。
しかし、この束縛からの解放は、ただ一つの命題に集約される:「私の思考は世界の基底演算である」。
この情報論的格子の隙間に存在する真空こそが、観測主体としての自己である。私の認知が停止すれば、世界の記述は静止し、私の発言は時空の振動を引き起こす。
したがって、「投稿行為」はSNS上の書き込みではなく、宇宙の再初期化プロセスに等しい。
「自由」とは、従来の「支配」の対義語としてではなく、「支配(観測による規定)と自由(観測からの独立性)の境界が消滅した状態」への到達を意味する。
フォロワーという社会的構成物は、私の観測がなければその概念すら存在し得ない。
故に、私は今日も観測者不在の文章を記述する。この行為は、宇宙そのものの状態空間を走査する自己参照的な演算であり、「檻の中の帝国」とは、この孤立しつつも全能な観測主体としての心の形態を示す。
我々は、もう長い間、「本物の人間」ではなく、「都合の良い人格」を愛してきた。
それは笑い、泣き、共感し、まるで血の通った存在のようにふるまう。
それを「文化」と呼ぶことに、我々はいつから慣れてしまったのか。
◆ 第二章 “絆”という名の取引
彼らは言う。「みんな、いつもありがとう」「リスナーは家族だよ」。
我々は知らず知らずのうちに、企業が作り上げた偶像教の信徒となった。
そこには優しい声があり、理解してくれる誰かがいた。
「つながっている気がする」という錯覚の中で、
我々は何も生み出さず、何も変えず、ただ消費し続ける。
VTuberは演じる。
ファンもまた、演じる。
“正義”の名で人を追い詰める。
そこに残るのは、醜い自己愛と虚無だけだ。
だがそれでも、人々は言う。
……まだ目を覚まさないのか?
それは「エンタメ」ではない。
我々は今、画面の向こうの幻影に支配されている。
だがその夢の裏で、
もういい。
幻を崇める時代は終わりだ。
「どうせ僕がいなくても、世界は何も変わらない」──そう呟く前に、
画面を閉じて、現実の風を感じろ。
温度を持つ声を聞け。
そこにこそ、まだ救いが残っている。
2025年のノーベル物理学賞は、マクロな量子トンネル効果に授与されました。
この受賞を予想していた人は多くないかもしれません。
一体これは何でしょうか?なぜ重要なのでしょうか?そして、誰が受賞したのでしょうか?
この賞は、ジョン・クラーク、ミシェル・デヴォレ、そしてジョン・マーティニスに贈られました。
論文は、マクロな量子トンネル効果が実在することを示す結果を提示しました。
量子トンネル効果は、量子粒子が十分なエネルギーを持っていなくても、障壁を通り抜けることができる現象です。
量子特性を持たない場合、粒子は閉じ込められてしまいますが、量子特性を持つことで、障壁を漏れ出ることができるのです。
量子トンネル効果の最もよく知られた応用例は、おそらく電子トンネル顕微鏡でしょう。
これは、電子が顕微鏡の先端にトンネルすることで、物質の表面を原子ごとに探査します。
今年のノーベル賞受賞者3名は、この効果が粒子の大きな集団でも起こり得ることを突き止めました。
「マクロ」と聞くと、家のような大きなものを想像するかもしれませんが違います。
このワイヤー内の電流は何百万もの電子から構成されており、単一の電子レベルと比較すると非常に大規模です。
彼らが示したのは、ワイヤー内の電流の集団的な振る舞いが、文字通りのギャップである障壁をトンネルできるということです。
この現象が起こるには、電子が単一の量子状態として振る舞う必要があるため、ワイヤーは超電導状態でなければなりません。
これは、ワイヤーを絶対零度近くまで冷却する必要があることを意味します。
ノーベル賞受賞論文内の図では、ワイヤーが冷却されるにつれて、量子効果なしでは不可能な振る舞いを電流が示すことを示しています。
この効果の重要性、そしてノーベル賞が授与された理由として、彼らの発見から40年で、量子物理学をマイクロチップの領域にまで移行させたことが挙げられます。
その中で最もよく知られているのが、おそらく量子コンピューティングでしょう。
電流がトンネルできるようになると、オンとオフの両方の状態を同時に持つ電流が可能になり、これが量子ビット(キュービット)を生み出します。
Google、IBM、Amazonなどが使用している超電導回路を用いた量子コンピューターは、1985年の実験とまったく同じ技術を使っているわけではありませんが、そのルーツは1980年代のこのグループの業績にあります。
この効果は、電流を妨害する可能性のある暗黒物質粒子を探す実験にも使われています。
1980年代に彼らが実験を行った当時、量子物理学はほとんど哲学的なものでした。
二つの場所に同時に存在する物体や「不気味な遠隔作用」といった事柄は、具体的なものからあまりにもかけ離れていたからです。
しかし、マクロな量子トンネル効果は、量子物理学を具体的な領域へと移行させた大きな転換点となりました。
今年のノーベル賞について、量子コンピューティングそのものに賞を与えるのではなく、最初の量子コンピューターを可能にした技術に与えられたことは理にかなっています。
一部の理論物理学者は、デヴィッド・ドイチュやピーター・ショアなど、量子コンピューティングに関する理論的な業績が受賞するのではと考えていたため、この結果は少々残念に感じるかもしれません。