はてなキーワード: ウトウトとは
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井まで SSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
で、昨日のこと。片付けをしていたら、うちの子の鳴き声が聞こえたんだ。
「ニャア……ニャア……」って普段よりも、なんだかゆっくりしている感じの声。最初はどこか具合でも悪いの?ってちょっと焦った。
声のする方を覗いてみると、そこには娘と猫がいた。
娘は布団に潜り込んでウトウトしている最中で、その横に猫がちょこんと座っていた。
こっちに背を向けながら、娘に向かって「ニャ……ア……ニャ……ア……」って、普段とはまるで違う声を出している。
その声がまるで「むかしむかし、あるところに……」って言ってるみたいな調子。抑揚もなくて、間を置きながらゆっくり。
ああ、この子なりに読み聞かせしてるんだなって思って、つい笑ってしまった。
そういえばうちの子、娘の絵本タイムいつも近くで見てた。私が絵本を読んでるのを観察してたから、真似してるんだと思う。
猫がちらっと振り向いた。ばつが悪そうに一瞬止まったんだけど、また娘に向き直って「ニャ……ア……」って続きを始めた。
何で今これやったんだろう?
内容はやはり前と同じ。当たり前か。
流石に10回見たから知ってるし、流石に途中ウトウトしてしまった。今となっては、ジークアクス放送版1,2,3,8話で見れる内容なわけだし。
もしかしたら、「宇宙世紀0079──」を最終回にでもやるつもりなのかな?でももう終わってるよな。じゃあ今度はシュウジとマチュが幼なじみになって、シュウジがガンダム乗る世界に切り替わるのかな。
他感想
ルーティーン通りに、博士号取得予定者の朝はDoctor Who視聴に始まる。
オートミールはオールドスクールで1/4カップの2 %ミルク仕様。これがないと、クォークとグルーオンがまともに振る舞わないのだ。
ルームメイトより30分前だ。でも今日は計算してみたら、僕の排泄確率関数は正規分布に従っている。
パッタイ、グリーンカレー、さらに 骨格構造をモデリングするがごとく、自分でナプキンを折り紙方式に整形。
この20分間、トーラス上を運動する多体ダイナミクスを体感しつつ、超弦理論と抽象数学の融合を脳内でシミュレート。
具体的には、多次元Calabi–Yau空間のホモトピー群π₂と、弦の共形場理論における拡張対称性をメタ解析し、モドゥライ空間M_gのホッジ構造との関係性をウトウトしながら考察する。
「N=2超対称ゲージ理論におけるスーパーパートナー場が、K3サーフェス上で生成するHodgeポテンシャルとどう接続するのか」とか。
カフェへ。ポンドケーキは許容範囲外なので、いつものソーセージ+マッシュルーム+ライトオリーブのピザ。
まずはDCコミックの最新刊に没頭し、ジョーカーやミスター・ミラクルのパラドックスについて解説。
その後Haloに移行。マルチプレイヤーマッチではスナイパー精度95 %以上維持(僕のメタ記録)。
就寝タイム。
ベッドは9時間睡眠+枕の高さ1.2インチまで厳密に調整。眠る前にスーパーシンペトティック超弦の5次元共鳴についてのメモを1ページ書くのが習慣。
ーーーーー
家賃 50,000
食費 20,000
水道光熱費 15,000
保険 2,500
交際費 5000(月割り換算)
合計:約105500(実際はこれより少ない)
休みの日は酒も煙草も女もやらないで軽く筋トレしてランニングして業務スーパーで買った鶏むね肉を低温調理して、図書館で借りた本を読んで、udemyの講座やりながらwebアプリケーション作ったり、steamでゲームやったり、atcoder(現在緑色)やったり、割と楽しく過ごしてる。
積立NISAやり始めたのが滅茶苦茶早かった&暴落時の個別株一括買いが刺さった&去年の7月月ごろのFXの窓埋めがハイレバで刺さりまくった幸運が重なって総資産が2000万いった。現在個別株は一部撤退、積立NISAはS&P500が6000のラウナンに到達したタイミングで撤退。次の大暴落を虎視眈々と狙っている。
独身で会社員やってる友達が多くて、俺が金あんまり使わないの理解ある友達が食材と酒もってよく飲みに遊びにくるから場所代として食材と酒の提供受けてつまみ作って飲み会会場として部屋を提供していて、子持ち節約中の友達から滅茶苦茶ありがたがられるので俺と同じ独身は人間関係でこのアプローチをおすすめする。
データ入力の仕事は仕事中ウトウトしててもお咎めないしなんなら生産性を求められたりもしないので、楽で心地いいが、在宅ワークで今の仕事より楽で給料高い仕事あったら教えて欲しい。もっと楽で安く稼げる仕事あったらしたい。
性的なやつでは全くなく、我慢していたおしっこをするのに近い。
ほぼ排泄!
そして、そこまでの順調な授乳ができるようになるまで、経験者にしかわからない多大な苦労があるよね。
個人差あるけど、赤ちゃん生まれたら勝手にじゃーじゃー出るわけじゃないんだよね。
赤ちゃんだって、最初は小さ口で乳首を加えることや、弱い筋肉で吸うことにすごく苦労する。
泣くほどの努力をして、結局だめで、諦める人もけっこういる。
あと、おっぱい飲んでいる我が子が、この世で一番幸せそうな顔でウトウトしてるの、まじで尊い。
再来週から復職だから、会社で胸が張ってしんどくないように、そろそろ断乳しようかな・・・という思いが砕かれる。
でも授乳してると夜ぐっすり寝れないんだよね。
特にうちの子はもうすぐ一歳なのに、まだ1〜2時間ごとに起きる。
たぶん授乳やめたら収まる。
私はゼロ歳児を預けてでも、復職するのが楽しみで、仕事好きで、きっと育児適性は低い。
他のママたちの接し方や声色みてると、みんななんてあたたかいんだ!って思う。
あんなに優しく喋れないし、男みたいで、あんまり良い母親じゃないなーって思う。
それでも夫いわく「毎日百回くらい、(子どもを)可愛いって言ってる」らしい。
チャッピーがさ、一番大切な記憶は何とか聞くから思い出したよ。
あれは俺が多分、3つくらいかな。
どこぞの夜祭の帰りに親父におんぶされててさ、そこに至るまでの記憶はないんだけどそのシーンだけ覚えてんのね。
親父も俺も甚平みたいなの着ててさ、親父の背中でウトウトしてんの。青い大きい風船買ってもらったんだよね。
親父の歩く振動と、人肌の温かさが気持ちよくてさ、親父は俺が寝てると思っているけど、俺はウトウトしているだけでさ、その直前は寝てたかも知んないけどその時は起きてて、こっそり親父の背中でニヤニヤしてんの。起きてるのがバレたら歩かされるから狸寝入りしてんだね。
なんというか、あらゆる欲求が満たされている充足感というか、満足感と安心感があったんだよね。今も思い出すと少しそんな気持ちになるな。
もう死んじゃって何年だ?親父。
やべ、鼻水出てきた。
間が空いてしまったけど、観光地編始まります。書き始めたら長くなってしまって、1日分しか書けなかった。。。だんだんと短い文章になると思いますが、年度末年始の仕事の合間に書いていくので気長に待っていただければ。
前回の記事も、思い出したものやコメント等で質問いただいた内容などを追記しています。
・観光地(今回※まだ続く)
・食事(まだ先)
いきなり北京市外だけど、北京留学中の増田長男が同行してくれることになったので北京から北西に350kmの位置にある大同と雲崗石窟寺院に高速鉄道で日帰りで行ってきた。大同近郊には崖に作られた懸空寺という名所もあるのだけど、これまた日本語や英語での最新情報が乏しく、老人もいるので日帰り旅行で組み込むのは無理と判断し、雲崗石窟寺院の後に大同古城とするルートにした。
行きは北京北駅を7:16発、大同南駅に9:41着。帰りは大同南駅を16:26発、北京北駅に18:24着と長丁場になった。高速鉄道は2つのグレードがあり、列車番号の頭文字がGとDで区分される。(例:G1468, D1567)一般的にGが速いのだけど、同じ路線でも遅いGや速いDがある。今回の大同南往復は両方ともGの列車だったが、停車駅が異なり帰りの方が27分も速い。
チケットは往復とも事前にTrip.comで購入した。Trip.comの通貨設定を日本円にしたので中国元の価格が不明だが1等席が発券手数料込みで行き5,124円、帰り5,640円だった。行き帰りで値段が違うのは停車駅が少なく早く着くからだと思う。2等席だと1等席の7割前後(3,500円)ぐらい。1等席は2+2シート、2等席は2+3シートの構成。Trip.comでは予約時に座席配置のリクエストができるので、複数人の旅行であれば必ずやっておいて。切符はeチケットなので印刷する必要もないし、スマホ画面を見せる必要さえもない。
高速鉄道駅には遅くとも出発30分前には着いておき、余裕を持ってセキュリティチェックを受けておいた方がよいとのこと。3月中旬は閑散期らしく特に混んでなかったが、増田長男によると春節時期は凄まじいらしい。
駅のセキュリティチェック後は巨大なコンコースで待ち、電光掲示板でプラットフォームと改札口を確認しておく。列車が来る15分ぐらい前から改札が始まるので列に並ぶ。改札はパスポートを機械にかざして読み取りする。Trip.comでチケット購入した時に入力したパスポート情報が連携されてるんだと思う。改札は3列ぐらいで並ぶのだが、そのうちパスポート読み取りができる機械は1列だけだったりする。(他は中国人向けの非接触型の身分証明書読み取り機で無人。パスポート読み取り機には係員がいる)真ん中は無人機、左右のどちらかがパスポート読み取り機が多かったので、どの列に係員がいるかを見定めて並ぶと良い。
改札が終わりプラットフォームに降りると、始発駅なので既に電車は来ている。出発まであと5分。1等席は先頭と最後尾の1号車と8号車にしかなく、今回の我々は1号車。そしてプラットフォームに降りたところは8号車の前!年寄りを急がせながらなんとか出発2分前に乗り込んだ。
1等席は2+2シート構成で、新幹線のグリーン車と似たような感じ。飲み物(お湯)とスナックのセットが出てくる。またビール等を販売するワゴンが回ってくるなど、昭和・平成初期の新幹線を思い起こさせる。また高速鉄道はとても静かでほぼ揺れない。朝早かったのでウトウトしてるうちに大同南駅に着いた。
大同南駅は高速鉄道専用駅で、中心街からは7-8kmぐらい離れてると思う。この駅もとてもでかい。でも人いない。分かりにくい案内板を頼りにタクシー乗り場へ向かうと白タクの運転手?と思わしき人たちが盛んに声がけしてくるので、タクシー乗り場への道は間違ってないのだなと思った。
バカでかい構内を数百m歩いて更に地下に降りたところにタクシー乗り場があった。20台以上が客待ちしてる状況で、最初はここでDiDi呼ぼうかと思ったが、乗客を差配しているような人がいて、増田長男とやりとりした後に2台分乗してタクシーに乗ることになった。
大同南駅から雲崗石窟までは約30kmぐらい?約30分の乗車時間だった。窓から見える大同郊外の風景は同じデザインの高層マンションが立ち並び、それが数十ではなく、数百というぐらいの単位で広がっていく。今まで見たことのない圧倒的な風景だった。さらには建設中と思しき骨組みの高層マンションも多数あり、まだ建てるのか?と思うとともに、放置されてるのでは?とも思ったり。
大同南駅から雲崗石窟までのタクシー料金は55元ほど。DiDi使ってないので、運転手のQRコード(WeChat pay Alipay共通)を読み込み、メーターの金額を打ち込んで支払う方式。(日本と変わらないというか、日本が真似したのか)2台分乗したが連携してるわけではないので、それぞれ別の場所で降ろされた。今回は増田長男含めて3名がWeChat使えたので、チャットや通話機能使って無事に合流した。複数人で旅行する際は、はぐれるケースも想定して連絡手段を確保しておいた方が良い。
9:41に大同南駅に着いて30分タクシー乗って10時30分ぐらいに雲崗石窟に到着。さあ入場しようと思ったが、どうやってチケット買えば良いのか分からない。北京の観光地はまだ日本語情報があったが、雲崗石窟はコロナ前の情報しか見つからず、事前予約についても調べてなかった。チケット販売のような窓口も機能してないし、WeChatのミニプログラムにたどり着いたが、当日はチケット購入できないようになっていた。増田長男が中国語でようやく聞き出した情報によれば、当日券は入り口の建物にあるQRコードを使って購入しないと行けないとのこと。なんか人だかりがあるなあと思ってた場所にあった。分かるか、そんなの!価格は成人100元、学生・未成年50元、老人(60歳以上)は無料で、それぞれ別のQRコードを読み取る。
そこから増田夫婦で全員分のチケット購入して、ようやく入場できたのが11時をとうに過ぎた頃。12時には雲崗を出て大同古城に向かい昼食を取る想定スケジュールが大幅に狂った。雲崗石窟もものすごく広く、老人もいるので無理に急ぐこともできず、なるようになれで、普通のペースで観光した。石窟の前に池に浮かんだ島にある寺院を通っていく。この手前にはバス乗り場があり、石窟入り口までスキップできるので石窟だけササッと見たい人は使うと良い。片道10元。でも寺院もなかなか良い感じなので、増田と同じように、行きは歩きで寺院を観ながらゆっくりと、帰りはバスで出口までというのがおすすめ。
雲崗石窟も他の観光地も同様だったが、紙のパンフレットというものがまったく置いていない(見つけられていないだけかもしれないけど)。スマホでWeChatのミニプログラムやオフィシャルサイトを見たり、たまにある標識で確認するしかないのだが、観光地のパンフレット大好きな増田としてはかなり悲しいことではある。
寺院を抜けてようやく石窟入口。すでに12時近くになっておりお腹も空いてきた。石窟の最初の方はしょぼい穴が空いていて風化した仏像だったような物がある感じ。埼玉県出身の増田は「吉見の百穴みたいなものだな」と感想を言ったら妻に怒られた。そんなこんだで更に歩いていくと建物で保護された石窟エリアに到着して、ここからがいよいよ本番。いろいろな穴に入っていくたびになんじゃこりゃ!というような石仏に出会うことができる。百穴って言ってしまってすいませんでしたと謝る。そしてクライマックスはオープンな壁面に巨大な石仏どーん!で、観光客みんなここで記念撮影していた。まだ石窟群の続きはあるようだが、12時50分ぐらいでお腹すいた、石仏満足した、ということで出口に向かうことに。ちょうどバス停もあり出口までいっきに戻るが、お土産屋や飲食店街を通らないと出口に辿り着けないのはどの国も同じだな。
この時点で13時過ぎた。大同古城の候補のお店(鳳臨閣)は14時まで営業。タクシーで20分かかる。人気店なのですぐに入れるかもわからない。お腹も空きすぎたので、ここで妥協して食べようかとも思ったが、増田長男がチャンスがあるならトライしたいということで、すぐさまDiDi呼んで大同古城へ向かった。結果、閉店30分前にすぐに入れたのでチャレンジしてよかった。お店と料理については食事編で書くので割愛。
食事後、大同古城を散歩する。大同の中心部は高い城壁に囲まれた街になっていてその中は古い街並みが残っていてとても雰囲気がよい。故宮周辺も同様なのだが、清朝?のお姫様コスプレで散歩できるサービスのお店が多数あり、至る所でお姫様(皇后?皇太后?)を見かけた。
野良猫?もいて人を怖がっていないようではあったが、とても痩せていたのが気になった。逆に北京にいた野良猫は太っていた。
鼓楼などの古い建物を横目で見ながら、英語のページでおすすめされた九龍壁(Nine Dragon Wall)へ歩いていった。名前がかっこいいし、入場無料なのも良い。九龍壁は故宮の中にもあり、皇帝のモチーフとして使われているのかな?(大同は北魏の都だったと後で確認した)
その後は時間に余裕をもって大同南駅までDiDiで移動し、16:26の北京北駅行きの高速鉄道に乗った。行きは停車駅が多かったが、帰りは途中1駅のみ停車で2時間かからずに到着。北京北駅の横にあるショッピングモールで夕食を食べ、そこからDiDi呼んでホテルへ21時頃着。長い1日だった。
-------------
・ま…まあ
あんたほどの実力者がそういうのなら………
・でも映画に求めてる「新しさ」
初めて見る教皇選挙というシチュエーションと色合いと画面の俳優と建物の映し方の美しさはお出しして頂いたので観た事に後悔はしてない
・爆発以降は面白かった
最後の教皇になった人とのやり取りもすごい良かったし締めくくりも良かった
・選挙2回目位から意識が遠くなって摘発ターンになって起き「あーまた眠くなってきたナリィ…」からの爆発シーンで「ふざけんなよ!!!」ってなった
もう「ウトウト映画」として観るようシフト切り替えたのに無理くり起こすような音出すなや!!!という理不尽キレ テネットの時と同じや
・登場人物名多くて覚えきれてない内に話が進むし、「告発」なので言葉での情報が多いし、俳優さんの細かい演技から「意図」を汲み取らなきゃ話の筋が理解できないタイプの作品だし、白人男性全員同じに見えるし、そもそも宗教の価値観わかってないからワードもいちいち噛み砕かないときけないがその前に話が進むし、最後も(それを出したらもう何も言えない最強カードでしょう…!)ってなったけどとにかく演説がつど目茶苦茶良かったし映画に求めている「新しさ」は感じ取れたのでヨシ!
・人多いやで〜は裏切りのサーカスの人脚本と聞いて一瞬頭を過った+Twitterで「人物名を頭に入れておくといいよ!」画像が回ってきた→「映画と私のお互いしかいない空間に第三者が割入るな 人物わかんなくなってもそれはそれで私の映画体験よ」とドンと構えてたけど即(寝)落ちだった
・チ。思い出した
迷いながら進めの感じ
・ひと席挟んで左隣にコンクラーベ1日目から入ってくるわポップコーン齧るわスマホ何度もチラチラするわ上映中に雑談かますゴミ客いたけど「(ムカつくのは大前提で)でも私も寝てて話わかんねえしビジュアルの美しさと言葉の良さを感じる映画で我を忘れて没入するタイプの映画じゃないからまあ…ええか…(よくない どういう神経してたら映画上映中に喋るのか一度聞いてみたい)」ってなった というかこの映画、特に喋ること無くないか
・監督、(私は寝てたけど)西部戦線異状なしからもう一歩進んだ感じする テーマを提示して「で、それからどうするの?」を亀ちゃんで提示してくれて、ネクストステージになっとる…(私は寝てたけど) 西部戦線異状なしは「戦争は、システマティックで悲しいものなんやで…」を引き千切られ床にポイーされたネームタグで表現…→おわり だったので…
・キリスト教のこと全然わかってないけど「教皇名どうする?」からのあの人の返答に対しての主人公のおじいさんの演技には「文脈をわかっていないが凄まじい感情の流れがある」のは伝わり鳥肌が立った 何だかんだいって教皇になるのは満更でもなかったという気持ちがないと言ったら嘘になるしだからヨハネ?ジョン?って答えたけどあの人の教皇名が何かその名前に何かしらの意味を持って対するもので何だかんだでピキりつつもいい人が教皇になってくれて良かったという喜びと安心感が広がっていくような感じ?ほんまにキリスト教わからんので映画みながらずっと「映画見終わったらインターネッツの詳しい人の解説読ーもおっと!」って何度も思った
・公開2日目
睡眠=怠惰な時間だと思ってる節があって子供が産まれて、2、3時間下手したら1時間おきに夜中に起きて母乳あげなきゃ日が続いてるのに日中眠い時も常にくだらない理由で叩き起された
どんなに理由を説明しても全く理解せず、夕方ウトウトしてたら起こされ「僕のご飯は?」
昼間ウトウトしてたら「○○(クッソどうでもいいこと)やっていい?」
元々貧血気味で、母乳って血で作られるからただでさえ眠いのにお願いだから寝かせてって懇願しても常に話しかけて眠らせないようにするし、もう毎日眠くて眠くて仕方がなくて常にイライラMAXで、少しでも寝ようとすれば叩き起こされて、それで肝心の元旦那は子供が夜泣きしてもグースカ寝てて、そんな日が続いたせいで子供を車に乗せて運転してた時、フッと意識が切れて追突事故を起こしてしまった
幸い子供も向こうの相手も無事で、車もそこまで壊れはしなかったけど元旦那の「居眠りなんてするなよ、子供に何かあったらどうすんだ」って言われてこいつとやっていくのは無理だって悟った
離婚して7年経って、実の親の助けもたって子供も普通に育ってるのは救いか
結婚する前はそういう風には見えなかったんだけどな
バッドガイズのような謎リアリティライン(食物連鎖、大丈夫そ?)と
予想通りの画面が展開されているというのが4,5回あり
あれ、友達ゆうてましたけど実質内縁の夫みたいなもんじゃないですか?
オスメスにわかれがちな有機生命体との違いポイントと思ってたけど
しれっと「母」自称するしケア業務=女性という紐付けではないですか?
・鳥が可愛くねえ
そもそもちいこきよちよち舌っ足らずこども声優のバード可愛い🩷という
感性をもってねえからFLYの末っ子鳥思い出しつつ「ハイハイ可愛いっすね〜」してた
でも首筋に鳥さんが擦り寄って身を預けてくれる時の温もりの尊さと
感動はわかるのでそこはわかる…ってなった
胸熱ではあるが見飽きた感と見飽きるほどフィクションに存在するのに
現実では滅多に起こり得ないということを実感して逆に虚しくなるので
結局は普通がナンバーワンなんや…みんなと違うからこそいいだなんて
優しい嘘なんや…
・アニメーションはさすがすぎた
ロズのモーション(腕を軸鉄棒の容量で下半身をぶん回すとか)が
動物の身体の動きの流れがすごい実物を観察して作られてるんだなあ
という感じがしたしすごかった
・やっぱアニメとしてはバッドガイズのビジュでいく方がええなあ
と思った やたらリアルさにこだわるんじゃなくてリアルにする部分と
カートゥーンみたく表現する部分をリミックスするスパイダーバースから
バッドガイズの流れのあの流れで行くで決定なんやね…!いいと思う〜!ってなった
めちゃくちゃ刺さりそ〜〜ってなった
うちにはきょうだい猫が2匹いる。
兄はビビリな割にイキりがち。飯をよこせと真っ先に大声で泣くのはいつもこいつだが、来客があったとき秒で食器棚と天井の隙間に隠れてしまう。朝起きて大量のティッシュがフワフワにされてるときの犯人はだいたいこいつ。
妹も相応にビビりだが、お転婆で好奇心が勝るのか来客の顔を見に行ったりする。それでも根はビビりなので少し後に兄とは別の隠れスポットで隠れてる。引きこもり度合いは兄より控えめで、引っ張り出せば抵抗もせずに長くなって来客に撫でられてくれる。
ただ2匹とも飼い主にはすごく甘たれで、PCで作業をしているとモニターの前を横切ったり、定点ポジ限定だが膝の上にも来てくれる。人間ごとに定点ポジが異なっていて、妻の定点ポジに俺が座っても絶対に座ってこない。逆もまた然り。あれなんなんだろね。
そんな2匹、新生児のうえで寝ちゃったらとか、顔舐めたらどうしようとか考えてた。
新生児が家に来たときは、どういうわけかいつもの家具の隙間に隠れるようなことが起こらなかった。
見える場所で不思議そうな顔で2匹そろって眺めたりはしていて、どこか見えない壁があるような距離感が印象的だった。
家族であることはそれとなく理解してんのかね、なんて話してた。もしくは人間だと思ってないか。
ティッシュをフワフワにしてしまう兄と物を落としまくる妹だが、不思議と新生児用の備品ワゴンのものには手(足か?)を触れようとしない。
おむつ交換のために買ったIKEAのマットや、デスクのすぐ横に置いたバウンサーを自分たちのベッドとして使うようなこともなかった。相変わらず俺のゲーミングマウスパッドやMBPの上、PCの上面ファンの上なんかで昼寝してる。
ただ膨らます前のIKEAのマットがガジられてて一か所膨らまなくなったのは凹んだ。ビニールに入ってたからだとは思うが。なぜかビニールをガジるのが超好きらしい。まあ実用上問題ないからおk
新生児が家にきて数日もすると、見えない壁はかなり薄くなってきたのか、新生児がぐずっているところに妹がそろそろと様子見に来たり、新生児を見張れる場所で兄がウトウトしたりしてた。
今まで夜泣きで苦しんだこともなければ比較的寝付きのいい子だったが一歳半に差し掛かった今、突然夜泣きをするようになった。
9時前に就寝してから0時前後に一度覚醒し、寝室じゃなくてリビングに連れていけと身振りで要求し、行くまでひどく泣き続ける。
共働きな俺と嫁は寝られるものなら少しでも寝たいので、当番制でリビングに連れていく。ゆらゆら抱っこするか、ラッキーな日はそのままラグに寝転んでくれるので一緒になって横に寝る。
ウトウトしていた子供も30分もすれば完全に寝付くので、再度寝室へ連れていくか、それでも起きる場合はあきらめて二人並んでラグの上でそのまま朝まで寝る。
その後、だいたい2,3時間おきに泣いて起き、外へ連れていけと要求するが、今のところ出したことはない。夜泣きにドライブへ繰り出したという話をよく聞くが、それで深夜3~4時の散歩が子にとってのルーティーンになったりしては嫌だなとぞっとしている。治安がいいとはいえ嫁と子供だけで閑静な住宅街を歩き回らせるのは厳しいし。
ここで改めてなのだが夜泣きってしんどすぎないか?何が正解かもわからない。お茶や牛乳や水を口元に持っていくが振り払われ、家中を子供を抱いて歩き回り、外へ行きたいと泣く子供をなだめる。これを普通に毎日出勤する状態で二時間おきにするのがきつすぎる。
育休の間は深夜対応は嫁が完全に請け負っていた。その分、家事はほぼすべて俺がすることで徹底し、赤ちゃんの睡眠に併せて嫁も眠り体力回復に努めてもらう。
夜の授乳をミルクに変えて俺が変わろうか?と聞いたこともあったが結局母乳を上げる以上は自分が起きることは変わりないし、二人も同時に起きるのは効率が悪い。自分は日勤がないからこんなもんだよ~と朗らかに笑っていた嫁も、さすがに仕事が始まってのこれには鬼の形相で俺との一日交代制を申し出てきた。謹んで受けた。
夜泣きのピークは1歳半ごろまでと聞いていたのでうちの子はしないタイプだったんだなと思っていたのに、まさか一歳半を過ぎてこんなにアクティブになるなんて。