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ブラックフライデー
www.pure.ne.jp/~jinken
女性問題は、女性が差別されているという問題ですが、他の差別と違って分かりにくく、また考えたくないという人の方が多く、分かりにくく、みえにくいテーマだと思います。女性差別以外の差別は、差別される側が少数で、差別する側は遠くにある差別として捉えることができますので、自分自身の問題として考えなくてもすまそうと思えばばすませます。 しかし、女性差別は、女性と男性が半分ずついて、その男性がつくってきた社会で女性が差別されてきたという大きな枠組みのなかで捉えなければならないということがまずあります。そして私の隣に男がいる、私の隣に女がいるという意味では、一番身近なところに非常に深い関係をもつ男と女がいるわけです。だから一人の女が女性問題に気づいたとき、社会の問題を問うと同時に、私の隣にいる一人の男性に問うことになります。 男性にとっては、自分が個人的に問われるという問題が生じてきます。人間は問われたく
■「部落解放」誌に掲載された、六曜と差別のかかわりについての 熊本学園大学 羽江忠彦教授の著述等を参考にしてまとめたものです。■ よく知られた「ウソをつくとエンマ様に舌をぬかれる」という言い習わしによって、「ウソをつくことはいけないことだ」という規範だけを獲得すればよい問題が、「エンマ様」を利用したばかりに、その存在を脳裏に刻み込む結果(親や周りから刷り込まれた)になっている人は少なくないと思います。(注:閻魔大王のことは「十王経」というものの中に登場します。) 差別すること、されることが日常化している中では、その行動のしかた、様式を学習するだけではありません。人間の歴史を、「差別からの解放の歴史」ではなく、「差別の歴史」だとする歴史観も獲得することになっています。 私たちの生活の中では、このような意図せざる学習の結果や教育の結果は多いものです。部落差別をなくす行動力を獲得するためには、私
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