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新内閣発足
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10月23日、日産モータースポーツ&カスタマイズは、長年スーパーGT GT500クラスで活躍してきた松田次生が2025年限りでスーパーGTでの活動を終えると発表した。11月1〜2日の第8戦モビリティリゾートもてぎがスーパーGTでのラストランとなる。 松田は2000年、TEAM TAKE ONEでスーパーGTの前身であるJGTC全日本GT選手権にデビュー。2001年にはNAKAJIMA RACINGに移籍し、ホンダNSX-GTをドライブしてきた。2006年にはニッサン/ニスモ陣営に移籍し、フェアレディZやGT-Rをドライブ。2014〜15年のシリーズ連覇をはじめシリーズ最多となる通算25勝、JGTC/スーパーGT通算参戦202戦、トータル獲得ポイントでは歴代トップの1267ポイントという実績を残してきた。 そんな次生は、今季も第6戦SUGOでも名取鉄平とともに優勝を飾るなどトップクラスの速さ
トランポドライバーの超絶技【最難関は最初にやってくる】FORMATION LAP Produced by auto sport
日曜はSUPER GT、月曜はテレワーク!? 【平凡な日常と、異世界な週末】 『FORMATION LAP Produced by autosport』
FORMATION LAP Produced by auto sport : Hands in the Fight|0.25mmの戦い
6月18日、ヤマハ発動機とグループ会社のヤマハモーターパワープロダクツ、株式会社菅生は2027年12月末でレーシングカート事業から撤退することを決定したと発表した。1973年から手がけてきたカート事業では、多くのトップドライバーたちがヤマハのカート用エンジンで育ってきた。 ヤマハは1973年、汎用エンジンを搭載したレーシングカート『レッドアローRC100』を販売したことを機にレーシングカート事業に参入。1976年には初のカート専用エンジンでロングセラーとなり、カート界ではおなじみと言えるKT100Sを発売した。 また、国際カートコースを有するモータースポーツ体験施設として、宮城県にスポーツランドSUGOをオープン。関連イベント開催、レース人材の育成など、さまざまな方面から約50年にわたりレーシングカートの普及、発展に取り組んできた。 2009年には、ヤマハからYMPCへとカート事業を移管。
長年モータースポーツジャーナリストとして、オートスポーツ本誌をはじめさまざまな媒体に寄稿してきたほか、深い造詣を活かしレース中継の解説として活躍、モータースポーツメディア仲間やファンからは“オグたん”の愛称で親しまれてきた小倉茂徳さんが5月14日急逝した。62歳だった。自宅での心臓突然死だったという。 小倉さんは1962年生まれ。1987年からホンダの広報としてF1に携わり、1990年からはモータースポーツジャーナリストとして活躍。豊富な技術の知識、さらにモータースポーツのみならず、特殊車両や鉄道など、乗り物全般に関する深い造詣をもっていた。 その知識を活かし、モータースポーツ誌をはじめとしてさまざまな媒体に寄稿。世界中で精力的に取材を重ねてきたほか、日本国内でもトップカテゴリーではないレースの現場にも姿をみせてきた。 またレース中継でもその知識を活かし解説として活躍。F1はもちろん、国内
F1での5年目に突入した角田裕毅は、第3戦からレッドブル・レーシングのドライバーとして新たな挑戦に踏み出す。昨年まで彼の戦いを見守ってきたF1ライター、エディ・エディントン氏に代わり、今年は、元ドライバーでその後、解説者としても活躍するハービー・ジョンストン氏が本コラムを担当する。今回は、レッドブルドライバーとしてこれから角田がすべきことについて記した。 ────────────────── 親友エディ・エディントンから、角田裕毅の戦いについて見解を述べる仕事を引き継がないかという話をもらった私は、中国GPの録画を見終わった後(時差がきつく、リアルタイムで見るのは無理だった)、孫娘を膝に乗せ、庭で遊ぶ犬たちを眺めながら、エディの申し出を受け入れようかどうしようかと考えていた。 その時、突然電話が鳴って、ミルトン・キーンズ界隈で働く友人からメッセージが届いた。そのメッセージは「いよいよだ」の
オラクル・レッドブル・レーシングは3月27日、4月4〜6日に鈴鹿サーキットで開催される2025年F1第3戦日本GPより、角田裕毅をマックス・フェルスタッペンのチームメイトとして起用することを発表した。 全文を読む
2月6日、静岡県の富士スピードウェイで18台が参加し、GTエントラント協会が主催するGT300テストがスタートした。さまざまな話題があるテストではあるが、走行前日から、異例のものものしい雰囲気となっているのが、今季もHOPPY Schatz GR Supra GTを走らせるHOPPY team TSUCHIYAのピット。この雰囲気には理由があるのだという。
11月23日に行われたWRC世界ラリー選手権第13戦『ラリージャパン』デイ3のSS12において、通行許可が下りていない車両がマーシャルの制止を振り切って競技中のステージ内に立ち入った事件について、WRCスチュワードはラリー主催者の対応に競技規則違反があったとして、計15万ユーロの罰金を課す決定を下した。 問題となった事案は競技3日目の23日(土)10時33分頃に発生。1台のワンボックスカーが検問を突破し、競技実施のため通行が規制されていたSS12『恵那SS』のステージ内に侵入し、SS12を出走順7番手からスタートしようとしていたエルフィン・エバンス(TOYOTA GAZOO Racing WRT/33号車トヨタGRヤリス・ラリー1)に対面するかたちで停車した。その後、バンの運転手が退去指示に応じなかったことから警察が出動。同ステージは10時50分に「安全上の理由」にキャンセルとなってしまっ
ホンダのブースが急に騒がしくなったのは、2024年グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードの最終日、間もなく角田裕毅がホンダRA272に乗って2回目のヒルクライムに臨むという午後2時頃のことだった。 今年はホンダがF1デビューを飾ってから、ちょうど60年目にあたる節目の年。そこで、1965年メキシコGPでホンダに歴史的な初勝利をもたらしたRA272を角田が駆り、レッドブル・ホンダが初めてタイトルを勝ち取ったレッドブルRB16Bにセルジオ・ペレスが搭乗。さらに2輪のMotoGPマシンであるRC213V(ステファン・ブラドル)、1959年にホンダとして初めて2輪の世界GPに挑んだRC142(中野真矢)を走らせることで、2輪と4輪で長く世界のトップに挑み続けてきたホンダの歴史を祝福する計画だったのである (カッコ内は2輪マシンを走らせたライダー)。 全文を読む
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