サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
新内閣発足
www11.ocn.ne.jp/~enigma
東急世田谷線 東急世田谷線は、京王線の下高井戸から東急田園都市線の三軒茶屋を結ぶ鉄道で、今でこそ都内ではかなりローカルな路線だが、昔は東京西部でも有数の路面電車だった。渋谷の道玄坂から二子玉川(通称ニコタマ)を結ぶ路線が、途中の三軒茶屋で下高井戸行きに分かれていたが、交通事情の悪化により、渋谷~二子玉川間の本線は地下に潜って地下鉄新玉川線となり(後にさらに中央林間まで延びて東急田園都市線と改名)、世田谷線だけが専用軌道を通って細々と下高井戸~三軒茶屋間を地上運行しているわけである。 細々ではあるが、三軒茶屋を出た電車は、環状7号線を踏み切りで突っ切り、松陰神社前から上町を抜け、私の家の菩提寺である豪徳寺付近で小田急線と立体交差して、下高井戸まで全長5キロを走り抜ける。この路線の上町駅の近くに、私が小児科医として最後の勤務をした都立母子保健院があった。 東急世田谷線では1999年から2
神風特別攻撃隊との出会い 出会いと言うのも変だが、私が初めて神風特別攻撃隊を知ったのは小学校3年生の頃だった。家の近所に子供たちを自宅に集めて絵や工作を教えている先生がいたが、絵の具が乾くまでの間、隣の部屋に置いてある週刊少年漫画雑誌を読み耽ったものである。当時は少年マガジンに続いて少年サンデーが発刊され、現在の漫画週刊誌文化の先駆けとなっていたが、今にして思えばそれらの出版に携わっていたのは戦前の軍隊経験者や、軍隊経験はなくても軍国少年として幼少時期を送った人たちだったのだろう。少年漫画誌の記事にも、戦艦大和とか零戦・隼戦闘機などが毎週のように登場して、我々戦後の少年たちも心をもときめかせながらそれらを読んだのである。灼熱の照りつける太陽も日没には美しい夕映えを見せてくれるように、十数年前に国民を惨禍に追いやった軍国の嵐も、その時は心温まるような美談や武勇伝だけが残っていたのかも知れな
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『www11.ocn.ne.jp』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く