昭和12年の七夕の夜、一発の銃声が北京の西南、盧溝橋の静寂を破って鳴り響いた。盧溝橋事件の勃発である。これを契機として、北京議定書(注:1)による駐留日本軍と中国国民党軍は一挙に日中戦争(注:2)に突入して行った。しかし、上海バンドにあった共同租界、フランス租界、日本租界(自称)は日本の上海上陸軍に囲まれて、かえって安全地帯として周囲のアヤシゲな地帯と共に残った。この上海租界と呼ばれる治外法権の地区が崩壊したのは、昭和16年、太平洋戦争の勃発と共に上海市内に突入した日本軍によるものだった。昭和18年、南京国民党政権である汪兆銘政権(注:3)に接収され日本租界は終戦まで続いた。 租借地と租界の相違は、前者が広い土地を長い年月の契約で租借して一種の植民地の様相を呈するのに対し、後者は比較的狭い地域を期限無く租借して当事国との外交関係などを続ける拠点としたものをそう呼ぶ。租借地の代表は香港の新開