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新内閣発足
bonjin5963.hatenablog.com
訓読 >>> 4207 ここにして そがひに見ゆる 我(わ)が背子(せこ)が 垣内(かきつ)の谷に 明けされば 榛(はり)のさ枝に 夕されば 藤の繁(しげ)みに はろはろに 鳴く霍公鳥 我が宿の 植木橘(うゑきたちばな) 花に散る 時をまだしみ 来鳴かなく そこは恨みず しかれども 谷(たに)片付(かたづ)きて 家(いへ)居(ゐ)せる 君が聞きつつ 告げなくも憂(う)し 4208 我(わ)がここだ待てど来鳴かぬ霍公鳥(ほととぎす)ひとり聞きつつ告げぬ君かも 要旨 >>> 〈4207〉ここからだと後ろの方に見える、あなたの邸内の谷には、夜が明ければ榛の木の枝で、夕方になると藤の花の茂みで、遙かに鳴くホトトギス。そのホトトギスが、我が家の庭の植木の橘は、花が咲いてまだ散る時期にならないので、来て鳴かない。そのことは恨みに思わないけれど、その谷の近くに家を構えてお住まいのあなたが、ホトトギスの声
訓読 >>> 1291 この岡に草刈る童児(わらは)然(しか)な刈りそね ありつつも君が来(き)まさむ御馬草(みまくさ)にせむ 1292 江林(えばやし)に宿(やど)る猪鹿(しし)やも求むるによき 白栲(しろたへ)の袖(そで)巻き上げて獣(しし)待つ我(わ)が背 1293 霰(あられ)降り遠つ淡海(あふみ)の吾跡川楊(あとかはやなぎ) 刈れどもまたも生(お)ふといふ吾跡川楊 1294 朝づく日(ひ)向(むか)ひの山に月立てり見ゆ 遠妻(とほづま)を待ちたる人し見つつ偲(しの)はむ 要旨 >>> 〈1291〉この岡で草を刈っている童子(わらべ)よ。そんなふうに根こそぎ刈らないでおくれ。そのままにしておけば、あの方がいらっしゃった時に馬が食べるから。 〈1292〉入江の林にひそむ猪や鹿は捕らえやすいというのですか。袖をたくし上げて勇ましく鹿を待っている我が夫よ。 〈1293〉遠江の吾跡川の岸辺
訓読 >>> 3074 はねず色のうつろひやすき心あれば年をぞ来経(きふ)る言(こと)は絶えずて 3075 かくしてぞ人は死ぬといふ藤波(ふぢなみ)のただ一目のみ見し人ゆゑに 3076 住吉(すみのえ)の敷津(しきつ)の浦(うら)のなのりその名は告(の)りてしを逢はなくも怪(あや)し 3077 みさご居(ゐ)る荒礒(ありそ)に生(お)ふるなのりそのよし名は告(の)らじ親は知るとも 要旨 >>> 〈3074〉はねずの花の色のように移り気な心をお持ちなので、お逢いできないまま年月が経ってしまいました。音信だけは絶やさずに。 〈3075〉こうして人は死ぬというのですね。藤の花のような、ただ一度だけ見たあの人に恋をして。 〈3076〉住吉の敷津の浦のなのりそではないが、名のってはいけない大切な名をお教えしたのに、逢ってくださらないのは変だ。 〈3077〉みさごが棲む荒礒に生えるなのりその名のように
訓読 >>> 3449 白栲(しろたへ)の衣(ころも)の袖(そで)を麻久良我(まくらが)よ海人(あま)漕ぎ来(く)見(み)ゆ波立つなゆめ 3450 乎久佐壮丁(をくさを)と乎具佐助丁(をぐさずけを)と潮舟(しほふね)の並(なら)べて見れば乎具佐(をぐさ)勝ちめり 3451 左奈都良(さなつら)の岡に粟(あは)蒔(ま)き愛(かな)しきが駒(こま)は食(た)ぐとも我(わ)はそと追(も)はじ 3452 おもしろき野をばな焼きそ古草(ふるくさ)に新草(にひくさ)交(まじ)り生(お)ひは生(お)ふるがに 3453 風の音(と)の遠き我妹(わぎも)が着せし衣(きぬ)手本(たもと)のくだりまよひ来(き)にけり 要旨 >>> 〈3449〉衣の袖を枕にするという麻久良我の方から、海人が舟を漕いでくるのが見える。波よ、立つな、決して。 〈3450〉乎久佐の壮丁と乎具佐の助丁とを、潮舟のように二人並べて見ると、
訓読 >>> 2833 葦鴨(あしがも)のすだく池水(いけみづ)溢(はふ)るとも設溝(まけみぞ)の辺(へ)に吾(われ)越えめやも 2834 大和(やまと)の室生(むろふ)の毛桃(けもも)本(もと)繁(しげ)く言ひてしものを成(な)らずは止(や)まじ 2835 真葛(まくず)延(は)ふ小野(をの)の浅茅(あさぢ)を心ゆも人引かめやも吾(わ)がなけなくに 2836 三島菅(みしますげ)いまだ苗(なへ)なり時(とき)待たば着ずやなりなむ三島菅笠(みしますげかさ) 要旨 >>> 〈2833〉葦鴨の群がり騒ぐ池の水があふれ出ることがあっても、別に設けた溝の方に越えて行くなどということがあろうか。 〈2834〉大和の室生の毛桃、その根元がよく茂っているように、しげしげとあの子に言い寄ったものを、実らせずにおくものか。 〈2835〉葛が這っている浅茅を、本気になって引き抜こうとする人があろうか、私という
訓読 >>> 1978 橘(たちばな)の花散る里に通ひなば山霍公鳥(やまほととぎす)響(とよ)もさむかも 1979 春さればすがるなす野の霍公鳥(ほととぎす)ほとほと妹(いも)に逢はず来(き)にけり 1980 五月山(さつきやま)花橘(はなたちばな)に霍公鳥(ほととぎす)隠(こも)らふ時に逢へる君かも 1981 霍公鳥(ほととぎす)来(き)鳴く五月(さつき)の短夜(みじかよ)もひとりし寝(ぬ)れば明かしかねつも 要旨 >>> 〈1978〉橘の花が咲いて散る里に通って行ったなら、山ホトトギスの鳴く声が響き渡るだろうか。 〈1979〉春になるとすがるが羽音を立てて飛び交う野のホトトギス、その名のようにほとんど妻に逢えずに帰って来たことだ。 〈1980〉五月の山に咲く橘の花陰にホトトギスがこもっているように、家の中に籠っていたら、ひょっこりあなたが逢いに来て下さいました。 〈1981〉ホトトギス
訓読 >>> 3070 木綿畳(ゆふたたみ)田上山(たなかみやま)のさな葛(かづら)ありさりてしも今ならずとも 3071 丹波道(たにはぢ)の大江の山の真玉葛(またまづら)絶えむの心我が思はなくに 3072 大崎の荒礒(ありそ)の渡り延(は)ふ葛(くず)の行く方も無くや恋ひ渡りなむ 3073 木綿包(ゆふづつ)み [一云 畳(たたみ)] 白月山(しらつきやま)のさな葛(かづら)後(のち)もかならず逢はむとそ思ふ 要旨 >>> 〈3070〉田上山のさね葛が延び続けるように、このまま無事に生き延びていつかきっと逢いたい。今でなくとも。 〈3071〉丹波へ行く道にある大江山に玉葛が生えている。その玉葛が絶えないように、あなたとの縁が絶えるなどとは私は思っていません。 〈3072〉大崎の荒磯の渡し場で延びている葛のように、どこへ行くべきかも分からずに恋し続けることか。 〈3073〉白月山のさね葛の
訓読 >>> 3136 旅にありて恋ふれば苦しいつしかも都に行きて君が目を見む 3137 遠くあれば姿は見えず常(つね)のごと妹(いも)が笑(ゑ)まひは面影(おもかげ)にして 3138 年も経(へ)ず帰り来(こ)なむと朝影(あさかげ)に待つらむ妹(いも)し面影に見ゆ 3139 玉桙(たまほこ)の道に出(い)で立ち別れ来(こ)し日より思ふに忘る時なし 3140 はしきやし然(しか)ある恋にもありしかも君に後(おく)れて恋しき思へば 要旨 >>> 〈3136〉旅の途上で恋しく思っているのはつらい。いったいいつになったら都へ帰って、君と顔を合わせることができるのだろう。 〈3137〉遠く離れているので実際の姿は見えないのだけれど、いつも見馴れた妻の笑顔だけは目に浮かぶ。 〈3138〉年の変わらないうちに帰って来るはずと、朝影みたいにやせ細り私を待っているにちがいない妻の姿が目に浮かぶ。 〈313
訓読 >>> 1394 潮(しほ)満てば入りぬる礒の草なれや見らく少(すくな)く恋ふらくの多き 1395 沖つ波(なみ)寄する荒礒(ありそ)の名告藻(なのりそ)は心のうちに疾(やまひ)となれり 1396 紫(むらさき)の名高(なたか)の浦のなのりその礒に靡(なび)かむ時待つ我(わ)れを 1397 荒礒(ありそ)越す波は畏(かしこ)ししかすがに海の玉藻(たまも)の憎(にく)くはあらずて 要旨 >>> 〈1394〉潮が満ちてくると海の中に隠れてしまう磯の草であるからか、目に見ることは少なく、恋しさばかりがつのる。 〈1395〉沖から打ち寄せる荒磯のなのりそは、私の心の中の痛みになっている。 〈1396〉名高の浦のなのりそが、こちらの磯に靡き寄る時を待っている、この私は。 〈1397〉荒磯を越えてやってくる波は恐ろしい。そうはいうものの、海に揺れる美しい藻は憎く思えない。 鑑賞 >>> 「藻に寄
訓読 >>> 1952 今夜(こよひ)のおほつかなきに霍公鳥(ほととぎす)鳴くなる声の音の遥(はる)けさ 1953 五月山(さつきやま)卯(う)の花月夜(はなづくよ)霍公鳥(ほととぎす)聞けども飽かずまた鳴かぬかも 1954 霍公鳥(ほととぎす)来居(きゐ)も鳴かぬか我(わ)がやどの花橘(はなたちばな)の地(つち)に落ちむ見む 1955 霍公鳥(ほととぎす)いとふ時なし菖蒲草(あやめぐさ)縵(かづら)にせむ日こゆ鳴き渡れ 要旨 >>> 〈1952〉今宵の、月がなくて心細い気持ちでいる時は、ホトトギスの鳴く声が、遥か遠くに音を立てて響いてくる。 〈1953〉五月の山に、卯の花がほの白く浮かぶ美しい月夜、こんな夜のホトトギスの声はいくら聞いていても飽きない。まだまだ鳴いてくれないだろうか。 〈1954〉ホトトギスよ ここに来て枝に止まって鳴いてくれないか。わが家の庭の橘の花が散るのを見ていたい
訓読 >>> 礒(いそ)の上(うへ)の都万麻(つまま)を見れば根を延(は)へて年深からし神(かむ)さびにけり 要旨 >>> 磯の上に立つ都万麻の木を見ると、根を長く延ばし、何年も年を重ねているらしい。神々しいまでに古びている。 鑑賞 >>> 大伴家持の歌。冒頭に「季春(晩春)三月九日に、出挙(すいこ)の政(まつりごと)にあたり、古江(ふるえ)の村に行こうとする道の上で、美しい風物を眺めたときの歌と、感興のうちに作った歌」という旨の詞書があり、4159から4165までの歌の総題となっています。「出挙」は、春、公の稲を農民に貸し付け、秋の収穫後に利息をつけて返済させること。国家の重要な財源として制度化されたもので、家持は国守としてその実状視察のため、部内を巡行することとなっていました。「古江の村」は、氷見市南部にあった村。 ここの歌は、「渋谿(しぶたに)の崎を過ぎて、巌の上の樹を見る」歌。「渋
訓読 >>> 3318 紀伊(き)の国の 浜に寄るといふ 鮑玉(あはびたま) 拾(ひり)はむと言ひて 妹(いも)の山 背(せ)の山越えて 行きし君 いつ来まさむと 玉桙(たまほこ)の 道に出(い)で立ち 夕占(ゆふうら)を 我(わ)が問ひしかば 夕占の 我(わ)れに告(つ)ぐらく 我妹子(わぎもこ)や 汝(な)が待つ君は 沖つ波 来寄(きよ)る白玉(しらたま) 辺(へ)つ波の 寄する白玉 求むとそ 君が来まさぬ 拾(ひり)ふとそ 君は来まさぬ 久(ひさ)ならば いま七日(なぬか)だみ 早からば いま二日(ふつか)だみ あらむとそ 君は聞こしし な恋ひそ我妹(わぎも) 3319 杖(つゑ)突きも突かずも我(わ)れは行かめども君が来(き)まさむ道の知らなく 3320 直(ただ)に行かずこゆ巨勢道(こせぢ)から石瀬(いはせ)踏み求めぞ我(わ)が来(こ)し恋ひてすべなみ 3321 さ夜(よ)更(ふ
訓読 >>> 2008 ぬばたまの夜霧(よぎり)に隠(こも)り遠くとも妹(いも)が伝へは早く告(つ)げこそ 2009 汝(な)が恋ふる妹(いも)の命(みこと)は飽き足(だ)らに袖(そで)振る見えつ雲隠(くもがく)るまで 2010 夕星(ゆふつづ)も通ふ天道(あまぢ)をいつまでか仰(あふ)ぎて待たむ月人壮士(つきひとをとこ) 2011 天の川い向(むか)ひ立ちて恋しらに言(こと)だに告げむ妻(つま)どふまでは 2012 白玉(しらたま)の五百(いほ)つ集(つど)ひを解(と)きもみず我(わ)れは寝(ね)かてぬ逢はむ日待つに 要旨 >>> 〈2008〉暗い夜霧に隠された道のりは遠く大変だろうけれど、愛しい彼女の伝言は一刻も早く伝えてほしい。 〈2009〉あなたの愛する奥方の、物足りなさゆえに、しきりに袖を振って別れを惜しむ姿が見えましたよ、あなたが雲に隠れてしまうまで、ずっと。 〈2010〉もう
訓読 >>> 4011 大君(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)そ み雪降る 越(こし)と名に負(お)へる 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にしあれば 山高み 川とほしろし 野を広み 草こそ繁(しげ)き 鮎(あゆ)走る 夏の盛りと 島つ鳥(とり) 鵜飼(うかひ)が伴(とも)は 行く川の 清き瀬ごとに 篝(かがり)さし なづさひ上(のぼ)る 露霜(つゆしも)の 秋に至れば 野も多(さは)に 鳥すだけりと ますらをの 伴(とも)誘(いざな)ひて 鷹(たか)はしも あまたあれども 矢形尾(やかたを)の 我(あ)が大黒(おほぐろ)に [大黒といふは蒼鷹の名なり] 白塗(しらぬり)の 鈴(すず)取り付けて 朝狩(あさがり)に 五百(いほ)つ鳥立て 夕狩(ゆふがり)に 千鳥(ちとり)踏み立て 追ふごとに 許すことなく 手放(たばな)れも をちもかやすき これをおきて またはありがたし さ並べる 鷹
訓読 >>> 我(わ)が背子(せこ)が琴取るなへに常人(つねひと)の言ふ嘆きしもいやしき増すも 要旨 >>> あなたが琴を手にされるや否や、世間の人たちの嘆き声がますます強く聞こえてきます。 鑑賞 >>> 少目(しょうさかん)秦伊美吉石竹(はだのいみきいわたけ)の館で宴をしたときに守大伴宿祢家持が作った歌。「少目」は、国司の四等官。主人の石竹が興を添えようとして弾いた琴に対し、客の家持が、挨拶として詠んだ歌です。よい音楽を聴いて憂愁を感ずるというのは、大陸の文学思想によって開かれた情趣だといいます。「我が背子」は、主人の石竹のこと。宴席においては、恋歌めかして男同士がこう呼び合うことが多くあります。「なへに」は、とともに、につれて。「常人」は、世の常の人。「いやしき増すも」の「いや」は、ますます、「しき」は、重なって。 なお、「常人の言ふ嘆き」について、伊藤博は次のように言っています。「巻
訓読 >>> 1649 今日(けふ)降りし雪に競(きほ)ひて我(わ)がやどの冬木(ふゆき)の梅は花咲きにけり 1663 沫雪(あわゆき)の庭に降りしき寒き夜を手枕(たまくら)まかず独(ひと)りかも寝む 要旨 >>> 〈1649〉今日降った雪の白さに負けまいと、わが家の冬枯れの梅の木が花を咲かせた。 〈1663〉沫雪が庭に降り続く、寒い夜です。それなのにあなたの手枕をすることもなく、一人で寝るのでしょうか。 鑑賞 >>> 大伴家持の歌。1649は「雪梅(せつばい)の歌」。「雪梅」は、雪中の梅の意。「雪に競ひて」は、雪の白さに負けまいと競って。「我がやど」の「やど」は、家の敷地、庭先。「冬木」は、冬枯れの木。1663の「沫雪」は、はらはらと降る泡状の雪。「手枕」は、腕を枕にすることで、共寝に関して言われることが多い語。「かも寝む」の「かも」は、疑問的詠嘆。単身赴任で恭仁京に住んでいた頃の歌でし
訓読 >>> 1535 我(わ)が背子(せこ)をいつぞ今かと待つなへに面(おも)やは見えむ秋の風吹く 1536 宵(よひ)に逢(あ)ひて朝(あした)面(おも)なみ名張野(なばりの)の萩は散りにき黄葉(もみち)早(はや)継(つ)げ 要旨 >>> 〈1535〉愛しいあの方はいつ来るのか、今か今かとお待ちしているのに、あなたは見えず、秋風だけが吹いている。 〈1536〉宵に逢って翌朝には恥じらって面と向かえず隠(なば)るという、その名張野の萩は散ってしまった。もみじよ、すぐに続け。 鑑賞 >>> 1535は、藤原宇合(ふじわらのうまかい)の七夕の歌。牽牛を待ち焦がれる織女の立場で詠んだとされます。「なへに」は、とともに、と同時に。「面」は、顔。「やは」は、反語。「秋の風」は、7月1日から吹くものとされていました。宇合は漢詩文にも素養があり、わが国最古の漢詩集『懐風藻』にも6編の漢詩を残しています
巻第 1 ・・・・・・ 1番~84番 巻第 2 ・・・・・・ 85番~234番 巻第 3 ・・・・・・ 235番~483番 巻第 4 ・・・・・・ 484番~792番 巻第 5 ・・・・・・ 793番~906番 巻第 6 ・・・・・・ 907番~1067番 巻第 7 ・・・・・・ 1068番~1417番 巻第 8 ・・・・・・ 1418番~1663番 巻第 9 ・・・・・・ 1664番~1811番 巻第10 ・・・・・・ 〈前半〉1812番~2081番 / 〈後半〉2082番~2350番 巻第11 ・・・・・・ 〈前半〉2351番~2596番 / 〈後半〉2597番~2840番 巻第12 ・・・・・・ 2841番~3220番 巻第13 ・・・・・・ 3221番~3347番 巻第14 ・・・・・・ 3348番~3577番 巻第15 ・・・・・・ 3578番~3785番 巻第16 ・・・・・・
訓読 >>> 1602 山彦(やまびこ)の相(あひ)響(とよ)むまで妻恋(つまご)ひに鹿(か)鳴く山辺(やまへ)に独(ひと)りのみして 1603 このころの朝明(あさけ)に聞けばあしひきの山呼び響(とよ)めさを鹿(しか)鳴くも 1605 高円(たかまと)の野辺(のへ)の秋萩(あきはぎ)このころの暁露(あかときつゆ)に咲きにけむ 要旨 >>> 〈1602〉やまびこが響き合うほどに、妻を求めて鹿が鳴き立てる山辺に、この私もたった一人だけでいて。 〈1603〉このごろの明け方に聞くと、山に呼びかけ響かせて牡鹿が鳴くことだ。 〈1605〉高円の野辺の萩の花は、この幾日かに降り出した明け方の露で、もう咲いたことだろう。 鑑賞 >>> 大伴家持の歌。1602~1603は、天平15年(743年)秋8月に詠んだ「鹿鳴の歌」。1602の「山彦の相響むまで」は、やまびこが反響するまでに。「独りのみして」は、奈
訓読 >>> 1948 木(こ)の暗(くれ)の夕闇(ゆふやみ)なるに [一云 なれば] 霍公鳥(ほととぎす)いづくを家と鳴き渡るらむ 1949 霍公鳥(ほととぎす)今朝の朝明(あさけ)に鳴きつるは君聞きけむか朝寐(あさい)か寝けむ 1950 霍公鳥(ほととぎす)花橘(はなたちばな)の枝(えだ)に居(ゐ)て鳴き響(とよ)もせば花は散りつつ 1951 うれたきや醜(しこ)ほととぎす今こそば声の嗄(か)るがに来鳴き響(とよ)めめ 要旨 >>> 〈1948〉木陰が真っ暗になってしまう夕闇なのに、ホトトギスは、いったいどこを棲みかと定めて鳴き渡っていくのだろう。 〈1949〉ホトトギスが今朝の明け方に鳴いていましたが、あなたはお聞きになったでしょうか、それとも朝寝をしてお聞きにならなかったのでしょうか。 〈1950〉ホトトギスが花橘の枝にとまって、声を響かせて鳴き立てるものだから、花ははらはらと散り
訓読 >>> 1516 秋山にもみつ木(こ)の葉のうつりなばさらにや秋を見まく欲(ほ)りせむ 1517 味酒(うまさけ)三輪(みわ)の社(やしろ)の山照らす秋の黄葉(もみち)の散らまく惜(を)しも 要旨 >>> 〈1517〉三輪山が照り輝くほど紅葉している、その葉の散ってしまうのが惜しいことよ。 〈1516〉秋山の紅葉した木の葉が散ってしまったなら、さらにいっそう秋の景色を見たくてならなくなるだろうか。 鑑賞 >>> 1516は 「山部王(やまべのおほきみ)、秋葉(もみち)を惜しむ」歌。山部王は伝未詳で、山前王(忍壁皇子の子)の誤りかともいわれます。「秋葉」は、初唐詩に見える用語を用いたもの。「もみつ」は、紅葉する意の動詞。「うつりなば」は、ここは、散ってしまったならば、の意。「さらにや」の「や」は、疑問の係助詞。「見まく」は「見む」のク語法で名詞形。 1517は、長屋王(ながやのおほきみ
訓読 >>> 3339 玉桙(たまほこ)の 道に出(い)で立ち あしひきの 野(の)行き山行き にはたづみ 川行き渡り 鯨魚(いさな)とり 海路(うみぢ)に出でて 吹く風も おほには吹かず 立つ波も 和(のど)には立たず 畏(かしこ)きや 神の渡りの しき波の 寄する浜辺(はまへ)に 高山を 隔(へだ)てに置きて 浦(うら)ぶちを 枕にまきて うらもなく 臥(ふ)したる君は 母父(おもちち)が 愛子(まなご)にもあらむ 若草(わかくさ)の 妻もあるらむ 家(いへ)問(と)へど 家道(いへぢ)も言はず 名を問へど 名だにも告(の)らず 誰(た)が言(こと)を いたはしとかも とゐ波の 畏(かしこ)き海を 直(ただ)渡りけむ 3340 母父(おもちち)も妻も子どもも高々(たかたか)に来(こ)むと待つらむ人の悲しさ 3341 家人(いへびと)の待つらむものをつれも無き荒礒(ありそ)を巻きて臥(ふ
訓読 >>> 2791 片糸(かたいと)もち貫(ぬ)きたる玉の緒(を)を弱み乱れやしなむ人の知るべく 2792 玉の緒(を)の現(うつ)し心(ごころ)や年月(としつき)の行きかはるまで妹(いも)に逢はずあらむ 2793 玉の緒(を)の間(あひだ)も置かず見まく欲(ほ)り吾(あ)が思ふ妹(いも)は家遠くありて 2794 隠(こも)り津の沢たづみなる石根(いはね)ゆも通して思ふ君に逢はまくは 要旨 >>> 〈2791〉一本の糸で玉を貫いた緒が弱くて切れて乱れるように、私の思いの弱さで心が乱れてしまうのではなかろうか、人に知られるほどに。 〈2792〉命のある正気な心で、年月のあらたまるまでの間、彼女に逢わずにいられるだろうか、いられはしない。 〈2793〉連なる玉の緒の玉のように、間もなく絶えず逢っていたいあの子は、家が遠くにあって。 〈2794〉隠れた水、沢にこもり涌く水が石根を通し流れるよ
訓読 >>> 2092 天地(あめつち)と 別れし時ゆ ひさかたの 天(あま)つしるしと 定めてし 天(あま)の川原(かはら)に あらたまの 月重なりて 妹(いも)に逢ふ 時さもらふと 立ち待つに 我(わ)が衣手(ころもで)に 秋風の 吹きかへらへば 立ちて居(ゐ)て たどきを知らに むらきもの 心いさよひ 解(と)き衣(きぬ)の 思ひ乱れて いつしかと 我(あ)が待つ今夜(こよひ) この川の 流れの長く ありこせぬかも 2093 妹(いも)に逢ふ時(とき)片待(かたま)つとひさかたの天(あま)の川原(かはら)に月ぞ経(へ)にける 要旨 >>> 〈2092〉天地が分かれた遠い時代から、天の目印と定められた天の川、その川原で月日を重ね、妻に逢える日を待ち、じっと立って待っていると、私の着物の袖に秋の風が吹き返すようになった。立っては座り、どうしてよいか分からず、心は思い乱れてならない。いつか
訓読 >>> 4073 月見れば同じ国なり山こそば君があたりを隔(へだ)てたりけれ 4074 桜花(さくらばな)今ぞ盛りと人は言へど我れは寂(さぶ)しも君としあらねば 4075 相(あひ)思はずあるらむ君をあやしくも嘆きわたるか人の問ふまで 要旨 >>> 〈4073〉月を見ていると、同じ一つの月が照らす国なのに、あなたの住んでいらっしゃるあたりは山が隔てています。 〈4074〉桜の花は今まさに盛りと人は言いますが、私は寂しくてなりません、あなたと一緒でないので。 〈4075〉私のことなど思って下さらないだろうあなたを、我ながら不思議と嘆き続けています。人が不審に思って問いかけるほどに。 鑑賞 >>> 越中から越前の掾(じょう:国司の三等官)に転任した大伴池主が、越中守の大伴家持に贈った歌です。池主の転任は、天平19年(747年)5月から翌年春の間に行われた人事によるとみられますが、その後も
訓読 >>> 2828 紅(くれなゐ)の深染(ふかそ)めの衣(きぬ)を下に着ば人の見らくににほひ出(い)でむかも 2829 衣(ころも)しも多くあらなむ取り替(か)へて着ればや君が面(おも)忘れたる 2830 梓弓(あずさゆみ)弓束(ゆづか)巻き替へ中見(なかみ)さし更(さら)に引くとも君がまにまに 2831 みさご居(ゐ)る洲(す)に座(ゐ)る船の夕潮(ゆふしほ)を待つらむよりは吾(われ)こそまされ 2832 山川に筌(うへ)をし伏せて守りあへず年の八年(やとせ)を吾(わ)がぬすまひし 要旨 >>> 〈2828〉紅に色濃く染めた着物を内に着たら、人が見た時に色が透けて見えるだろうか。 〈2829〉着物はいくらでも多くありたいものですが、取り替え引っ替え着ていらっしゃるせいでしょうか、あなたは私の顔をお忘れのようです。 〈2830〉梓弓の弓束を新しく巻き替えておきながら、古い弓に中見をさし
訓読 >>> 1494 夏山(なつやま)の木末(こぬれ)の繁(しげ)に霍公鳥(ほととぎす)鳴き響(とよ)むなる声の遥(はる)けさ 1495 あしひきの木(こ)の間(ま)立ち潜(く)く霍公鳥(ほととぎす)かく聞きそめて後(のち)恋ひむかも 1496 わが屋前(やど)のなでしこの花盛りなり手折(たを)りて一目(ひとめ)見せむ児(こ)もがも 要旨 >> 〈1494〉夏山の梢の茂みでホトトギスが鳴いている。その透き通った声は、はるか彼方まで響いている。 〈1495〉山の木の間を飛びくぐっては鳴く霍公鳥の声を、このように聞き初めて、後になっても恋しく思うであろうかなあ。 〈1496〉わが家のなでしこの花が盛りとなっている。花を手折って一目でも見せてやれる女がいてほしいものだ。 鑑賞 >>> 大伴家持の歌。1494・1495は「霍公鳥の歌」の連作。1494の「木末」は、梢。「繁」は「繁し」の語幹で、名
訓読 >>> 3443 うらもなく我(わ)が行く道に青柳(あをやぎ)の張りて立てれば物思(ものも)ひ出(で)つも 3444 伎波都久(きはつく)の岡(をか)の茎韮(くくみら)我(わ)れ摘(つ)めど籠(こ)にものたなふ背(せ)なと摘まさね 3445 港(みなと)の葦(あし)が中なる玉小菅(たまこすげ)刈(か)り来(こ)我(わ)が背子(せこ)床(とこ)の隔(へだ)しに 要旨 >>> 〈3443〉何の気なしに歩いていたら、行く道に青柳が芽吹いていたのを見て、ふと物思いをしたことだ。 〈3444〉伎波都久の岡のくくみらは、いくら摘んでも籠にいっぱいにならない。あなたのいい人と二人でお摘みなさい。 〈3445〉河口の葦に交じって生い茂る小菅を刈り取って来てよ、あなた。寝床の目隠しのために。 鑑賞 >>> 3443の「うらもなく」は、何の気なしに、ぼんやりと。「青柳」は、春に青い芽をふいた柳。「張りて
訓読 >>> 3156 鈴鹿川(すずかがは)八十瀬(やそせ)渡りて誰(た)がゆゑか夜越(よご)えに越(こ)えむ妻もあらなくに 3157 我妹子(わぎもこ)にまたも近江(あふみ)の安(やす)の川(かは)安寐(やすい)も寝(ね)ずに恋ひわたるかも 3158 旅にありて物(もの)をぞ思ふ白波(しらなみ)の辺(へ)にも沖にも寄るとはなしに 3159 港廻(みなとみ)に満ち来(く)る潮(しほ)のいや増しに恋はまされど忘らえぬかも 3160 沖つ波(なみ)辺波(へなみ)の来寄(きよ)る佐太(さだ)の浦のこのさだ過ぎて後(のち)恋ひむかも 要旨 >>> 〈3156〉鈴鹿川の川瀬を幾たびも渡り、誰のために山道を夜に越えて行くというのか。家に妻がいるわけでもないのに。 〈3157〉いとしいあの子にまたも逢うという近江の安の川、その名のように安らかに寝ることができず、あの子に恋い続けている。 〈3158〉旅に
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