9月17日は広島カープのレジェンド・山本一義さんの命日です。2016年(平28)にこの世を去られたので丸9年、10回忌でしょうか。現役時代は75年の広島初優勝に貢献。引退後もその打撃論、熱血指導で緒方孝市氏(日刊スポーツ評論家)、金本知憲氏らを育てた人物です。ロッテで監督も務め、あの落合博満氏に3冠王を取らせるように指揮官として尽力、落合氏も感謝していました。
往年の広島ファンなら誰もが知る山本さんですが、実は首脳陣として阪神のユニホームを着ていたかも…という話があります。
解説者を勤めていた88年のこと。現役時代から親交の深かった村山実さんが阪神監督に復帰。そこで村山さんが入閣を望んだのです。しかし山本氏は当時、病気の父親に付き添うため病院に詰めていて、連絡が取れない。結局、タイムリミットがきて、実現しなかったという話です。誰でもスマホを持つのが当たり前の現代では考えられないエピソードかもしれません。
そもそも、なぜ2学年上でチームも違う村山さんと仲が良かったのか。共通の知人がいたというような話ではありません。生前の山本さんはそのキッカケを教えてくれました。
山本さんが若かったときのある阪神広島戦のこと。村山さんは初球に得意のフォークボールを投げました。山本さんはこれをいきなり打ったそうです。
その試合が終わった直後。村山さんが驚きの行動に出たといいます。阪神ベンチから猛ダッシュで広島側に走ってきて、こう言ったそう。
「おい! 山本! なんで初球からフォークをスイングできたんや!?」
山本さんはドギマギしながら、これまでの投球からヤマを張っていたことなどを説明したといいます。そこから親しく会話をするようになったそうですが「敵味方でな。あれにはびっくりしたわ」と、笑っておられました。
山本さんが亡くなった16年は緒方監督率いるカープが3連覇をスタートさせた年です。同時期に阪神の指揮官だった金本監督は、その前に苦労していました。2人を熟知する山本さんはそれぞれを最後まで気にしていたのです。
17日からは今季ラストの広島阪神戦がマツダスタジアムで開催されます。藤川監督のことは、直接、知らなかったようですが阪神にも在籍した広島・新井監督のことはずっと気に掛けておられました。
広島にとっては苦しいシーズン。今季は阪神の圧勝となりましたが、これからも山本さんは空の上から両球団に注目していると思うのです。