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新内閣発足
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固く閉ざされたパンドラの箱 -シベリア抑留の事実隠蔽(いんぺい) 2012年3月 Minade Mamoru Nowar 2010年5月25日夜のNHKの『クローズアップ現代 シベリア抑留 65年目の真実』を見て、 「なぜ、日本政府は1991年のソ連崩壊後も、シベリア抑留の事実調査をしないのか」 との永年の疑問が氷解した。 昭和57年(1982年)6月30日の第1回から、昭和58年(1983年)7月1日の 第9回にいたるまでの、戦後処理問題を審議した有識者懇談会において、 関係する5つの省庁の高級官僚たちが、シベリア抑留の実態解明調査をすることは 「パンドラの箱」を開けることになると強く反対した。 日本政府がシベリア抑留の事実調査をまったく行わなかったのは、この問題に 関係する5つの省庁の高級官僚たちが、一致団結して、強く調査を拒否していたのが 原因であった。 なかでも外務省の高級官僚たち
本土決戦 1億総玉砕 -国民を道連れに無理心中! 2018年3月 Minade Mamoru Nowar 敗戦必至になった1945年(昭和20年)初頭の時点でも、 旧大日本帝国陸軍の高級参謀たち、最高指導者たち、中堅将校たちは、 おしなべて、【本土決戦 1億総玉砕】と本気で叫んでいた。 1億の日本国民を道連れに無理心中すると固く決心していた。 -------------------------------------- 参考サイト:会津戦争 母成峠の戦い -------------------------------------- 1945年(昭和20年)1月1日の読売報知は第1面に、 当時の小磯国昭首相の年頭談話を掲載した。 「陸海軍の特攻隊に続き、1億国民も全員、特攻隊として 闘魂を鉄火と滾らし(たぎらし)、(自爆して)戦局を挽回しょう」 と訴えている。嗚呼! もっとも、敗戦後、米国の
朝鮮戦争の推移と韓国の歴史教科書 2013年11月 Ⅰ.朝鮮戦争の推移 北朝鮮軍の韓国奇襲攻撃 1950年6月25日早朝、北緯38度線で、突如、轟音がとどろいた。 北朝鮮軍が韓国に向けて砲撃を開始したのである。砲撃が終わると、 300両の最新鋭のソ連製戦車部隊を先頭に、10万人を超える 勇猛果敢な金日成の北朝鮮軍が北緯38度線を突破して韓国に雪崩れ込んだ。 北朝鮮のピョンヤン放送は、「我々は、アメリカ帝国主義の傀儡、 李承晩政権から、韓国人民を解放する」と、世界中に、高らかに告げた。 原因・理由は何であるにせよ、平和に暮らしている国に、一方的な奇襲攻撃で 戦争を仕掛けるということは、最高に極悪非道な犯罪行為である。 平和であった韓国に、突如、奇襲攻撃で侵略戦争を仕掛けた金日成は、 一点の疑いもなく、極悪非道な戦争犯罪者である。 この電光石火の北朝鮮の奇襲攻撃に対し、李承晩の韓国はなすすべが
満州開拓団の悲惨な結末 2012年10月 Minade Mamoru Nowar 1.日本の政治は軍部に乗っ取られた 渡部昇一上智大学名誉教授は、 著書『昭和史 松本清張と私 大正末期~二・二六事件』(ビジネス社 2005年12月発行)の 第454頁で、 「大正2年(1913年)廃止された軍部大臣現役武官制が 昭和11年(1936年)、廣田内閣によって復活し、 これによって日本の政治は軍部に乗っ取られることになったのです」 と述べている。 渡部名誉教授は第459頁~第460頁で「廣田内閣が残したものは、 ①【軍部大臣現役武官制】の復活(昭和11年=1936年) ②【日独防共協定】調印(昭和11年=1936年) ③軍拡方針を決めた国策の基準設定 いずれも日本の命取りになるようなことばかりでした」「この廣田内閣の ときに日本の議会制民主主義の可能性はすべてつぶされたのです」 「廣田内閣が日本の
太平洋戦争戦跡地 戦没者の60%強140万人は餓死であった 2013年9月 Minade Mamoru Nowar 出典:藤原彰著 『餓死(うえじに)した英霊たち』 青木書店 2001年5月発行 第3頁・第4頁 はじめに-戦没者の過半数は餓死だった 第2次世界大戦(日本にとってはアジア太平洋戦争)において、 日本人の戦没者数は310万人、その中で、軍人軍属の戦没数は230万人とされている。 敗戦直後の1945年9月、東久邇内閣が発表した陸海軍人の戦没者数は50万7,000人に すぎなかったが、調査がすすむとともにその数が増えつづけ、 1977年に厚生省が明らかにした数字では、「軍人・軍属・准軍属」の戦没者230万人、 外地での戦没、一般邦人30万人、内地での戦災死者50万人、計310万人となっている。 なお調査や遺骨収集はつづいており、正確な数は依然として明らかにされていないが、 現在では
ソ連軍兵士の強姦、殺戮、暴行、強奪 戦後のソ連の日本人虐殺を強く非難する 2012年3月 Minade Mamoru Nowar 関連サイト:満州開拓団の悲惨な結末 1.凄まじかった 鬼畜・ソ連軍兵士の強姦・残虐行為 ウィリアム・ニンモ氏の著書 『検証・シベリア抑留』 加藤隆訳 (時事通信社 1991年3月発行) 第47頁は 「要するに、満州・北朝鮮におけるソ連軍の日本人虐待は、 口ではいい表せないほどひどいものだった。 暴行と強奪は日常的だった。そして残虐な行為を犯した。 ・・・とくに野獣のように乱暴なやり方で女を奪い、 抵抗するものは片っぱしから殺した。 ソ連軍の兵士たちが日本の女にしたことは、 いまでもぞっとするほど残虐なものだった」 と述べている。 強姦された日本人女性のほとんど総ては、 その後、自殺、絶望死、病死、衰弱死した。 凄まじかったソ連軍兵士の日本婦人強姦 筑紫野市
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