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新内閣発足
note.com/hyosasa
本noteは、Google Gemini × noteによるコンテスト「 #AIとやってみた 」の参考作品として、主催者の依頼により執筆しました。 カレンダーには、すべてがある。 あらゆる予定を、Googleカレンダーで管理している。 仕事の予定はもちろん、粗大ゴミの回収日や、観たいJリーグの試合日程も、全部カレンダーに放り込む。保育園への持ち物は妻とカレンダーで共有し、タスクはとりあえずカレンダーに入れる。 Gmailから、予定を自動登録してくれるのもいい。新幹線や映画館を予約すると、勝手にカレンダーに入っている。 さらに最近はGoogleのAI「Gemini」との連携が便利で、チャット欄で「@」を押せばカレンダーを呼び出せるから、 さっと荷物受け取りの予定を入れたり、 「原稿」から「砂糖買う(でかいの)」まで、いろんなタスクを突っ込んだりしている。 こうしてカレンダーはカレンダーの枠を
freeeを退職しました。10年半、仕事でお世話になった方々、ありがとうございました。 やってきたこと新卒で入った会社をすぐ辞めて、2年ほど無職のような状態で過ごしていた。貯金も尽き、社会との接点が欲しくなった2014年6月、当時創業2年目だったfreeeに入社した。惹かれたのは、事業の地味さだった。 今でこそたくさんのBtoB SaaSが生まれているが、当時はスタートアップで「会計ソフト」というのは、随分と地味な事業に思えた。一方でfreeeはとても自由な社風で、その地味さと自由さのギャップに惹かれて入社したのだった。新卒の会社はすぐ辞めてしまったから、次は10年働こうと決意して入った。 入社当時社員番号は32番目。ちょうどオフィスが五反田(前の前のオフィス)に移転した直後だった。これを機に僕自身も五反田に住み始めて、すぐに街の懐の深さに魅了され、そのまま8年住むことになる。freee生
26年生きて初めて知ったのですが、オモコロの岡田悠さんが僕の親戚でした — 移住計画 (@izyukeikaku) January 2, 2024 「オモコロの岡田悠」とは僕のことだ。呟いているのは「移住計画」さんという3万人のフォロワーを抱えるアカウントで、センスのいいインテリアの写真が多数上がっている。26年生きて、と書いてあるから、26歳の方なのだろう。 だが僕には、26歳の親戚はいない。 ついでにセンスのいいインテリアに詳しい親戚もいない。 この方の勘違いだろうか。あるいは「初めて知った」と書いてあるから、隠れた遠い血縁関係があるのかもしれない。 Xで見つけた親戚?に連絡を取る気になって、その移住計画さんにDMを送ってみた。 曖昧な尋ね方をしたのは、匿名アカウントの移住計画さんに対して、個人を特定できるような質問をぶつけづらかったからだ。 そしたらすぐに返事をいただけた。 グレーで
このnoteでは字数の関係でカットした、とりとめのないこぼれ話を書いていきます。 当時の写真は、ほとんど残っていない。 寮で過ごした2006年からの数年間は、ちょうどiPhoneが発売される直前のタイミングだった。みんなガラケーを持っていて、ガラケーでもそれなりの写真が撮れるからカメラは使わなかったし、かといって撮った写真はクラウド保存されないまま、携帯ごと壊れてしまう。instagramのような写真SNSも流行っていなかったから、データを残す場面がない。この時代は、世の中的にも個人の写真が残りづらい時期だったのでは……とか勝手に思っている。 その中で生き残った、数少ない寮での写真が、記事にも使われたこちらの一枚だ。 この写真はmixiから発掘した。mixiのアルバム機能が、当時の画像データの唯一の保管庫になっていて、いまだに重宝している。 で、なぜミニ四駆かというと、これもmixiに書い
海外へ行った。2020年1月の南極以来だから、もう3年半ぶりの海外だ。それもひとり旅である。育児についても義父母の協力を得られて、ここしかねえ…というタイミングで渡航した。 行き先はマレーシアだ。せっかくなのでシンガポールに入国して、陸路で国境を越えることにした。航空券を取ってからというもの、毎日そわそわして荷物の準備や宿の検索をしたくなったが、ぐっと我慢していた。 せっかくのひとり旅なのだ。偶然の出来事を楽しんだり、予定を柔軟に調整できるよう、ノー準備で臨みたい。当日までパスポート以外の用意はせず、宿もとらず、当日の朝起きてからリュックひとつにおさまるだけのパッキングをして、空港に向かった。早速洗剤を持ってくるのを忘れて、現地で買うことにした(衣服を2着しか持っていかないので現地で洗って何度も着る)。これだよ、これ。 旅慣れぶってはいるものの、飛行機に乗るのも随分と久しぶりだから、なんだ
この文章は、ヤマハ発動機とnoteで開催するコラボ特集の寄稿作品として主催者の依頼により書いたものです。 17年前、海が2秒見えた。 あの海の記憶大学進学のため上京したのは、2006年の3月。山々に囲まれ育った18歳の僕は、さらなる刺激を求めて、東京行きの新幹線に乗り込んだ。予想もできない未来が待っている都会で、新しい人生が始まるのだ ー そう意気込んで列車の座席についたはずが、気づいたら涙を流していた。 過疎化の激しい田舎から出るということは、もう一生ここで暮らすことがない、ということを意味していた。その事実が、意外なほどに僕を悲しませたのだった。新大阪発・東京行きの「こだま」の列車で、しゃくりあげるくらい泣いた。「のぞみ」や「ひかり」ではなく、時間のかかるこだまを選んだのも、後ろ髪を引かれていたからだと思う。 悲しくて心細くて、ただごはんが喉も通らないということは全然なくて、車内販売の
この記事は『0メートルの旅』という本に収録されている、2019年のGWに書かれた文章です。GWを記念し、無料公開します。 僕は人間よりイノシシが多い田舎で生まれ育った。だから上京したあとも人混みが苦手だ。満員電車に乗ると目眩がして、じきに視界が遠ざかっていく。そのせいで電車通勤も電車通学もしたことがない。 時は2019年のゴールデンウィーク。空前の大型10連休である。日本全国あらゆる場所が混みに混み、栃木県では宿泊料金が471%上昇したという。恐ろしくて出かけることすらままならない。きっとむせ返る人の波にさらわれるだろう。そういう被害妄想に怯えている。 なら自宅に居ればいいのでは、と思われるかもしれない。でもそれも嫌だ。なぜなら寂しいからだ。GWに一人で家にこもるのはとても寂しい。かと言って人混みは苦手だ。そういう複雑な心境を抱えている。 そう、あれだ、ヤマアラシのジレンマ。鋭い針をもつヤ
この文章は、Wantedly10周年プロジェクトの依頼を受けて、とある方の人生の「転機」にまつわる実話を基に、執筆した物語です。 腹が立つと肉を焼く。落ち着くから。肉はステーキがいい。焼きがいがあるから。閉店間際のOKストアで、10%オフのシールが貼られた豪州産のステーキを吟味して、1Kのキッチンで焼く。そうやってなんとか、転職活動を続けてきた。 腹が立つのは、自分に対してだ。これまでエンジニアとして、技術力を磨いてきた。これからも磨きたいと思っている。だがそれが、面接ではうまく伝わらない。自分の説明が悪いのはわかっている。わかっているから腹が立つ。だから今夜も肉を焼く。ジュウジュウと鳴る音に耳を澄ませれば、不思議と心が静まっていく。 ◇ 僕はふだん、受託開発の会社でエンジニアとして働いている。受託開発とは、クライアントからの発注内容に合わせて、システムをつくる仕事だ。あるときは勤怠システ
君の後頭部が禿げた。 髪全体の毛量は増えているのに、生まれて4ヶ月が経った頃から、後頭部だけがぽっかり更地になったように禿げた。病院の先生からは、この時期にはよくあるから心配しなくていいと言われた。 仰向けの姿勢でいると、枕と摩擦する部分が抜けやすいらしい。そういえば最近しょっちゅう頭を動かして、色々な方向に視線を向けようとする。それで摩擦が加速されるのだろうか。左右にせわしなく目をやり、常に新しい角度を探しているように見える。 首が座って、縦抱っこができるようになってからは、君はますます周囲に興味を持ち始めた。これまで下からしか見上げられなかった世界を、正面から見据えられるようになったのだから、パラダイムシフトと言える。 抱っこをせびる頻度も増え、縦に揺らしたり、高く持ち上げることを要求するようになった。鏡の前がお気に入りで、鏡に映った僕と目が合うと、柔軟な関節を活かして手足を存分に動か
モノを買うとき、その価値も、決済手段さえも自分で考える必要があったら...人は何を支払うのか?無人の物々交換所を設置すると、何が置かれるのか? 検証しました。 ◇ 先日、「超旅会談」という旅のトークイベントを主催しました。本物のヤギをゲストに呼んだりする一風変わったイベントだったのですが、そこでポストカードを販売することになりました。 登壇者がそれぞれ撮影した、イエメン、南極、トーゴ、硫黄島のポストカード。 でも、ただ売るというのもなあ。というかお金を管理したり、お釣りを用意するのも邪魔くさい。 だから、無人の物々交換所を設置しよう。中東のバザールなんかに行くと、品物には値札がついていないし、なんだか旅っぽくていいじゃないか。ポストカードの代わりに何が置かれるのか、検証してみよう。 *本イベントはまん延防止等重点措置前に実施され、物々交換はアルコール消毒をした上で行われました。その他の感染
「福島第一原発を見に行かない?」 そう誘われたのは、1月下旬のこと。東京電力から特別な取材許可がおりたらしい。行きます、と即答した。 東日本大震災により、歴史に残る重大事故が発生した原子力発電所。返事をしたあと、ぱっと思いつくのはその程度の情報だった。 震災当時は一日中テレビにかじりついて、少しでも情報を得ようと必死だったのに。10年が経とうとする今、あの場所がどういう状態にあるのか、恥ずかしくなるほどに何も知らない。それを反省する気持ちと、純粋に知りたいという思い。そして正直に告白すると、「普通には入れない場所の非日常感」への少しばかりの好奇心が、一緒くたになっていたと思う。 名前、国籍、住所、本人確認資料、持ち込むカメラのメーカー及び機器名称。それから過去3日以内のPCR検査結果。事前に提出すべき情報がたくさんあった。カメラが必要なのは、スマホを持ち込めないからだ。久しく使っていなかっ
「子どもが生まれると、人生の主役が交代する。」 そんな話を聞いた。正直に言って、君が生まれる前は不安を覚えていたし、カチコチに身構えていた。 「子どもが生まれたって、自分の人生の主役は自分自身だ。」 そんな話も聞いた。どっちだよ。辞書を引くと、主役とは「ストーリーの中心となり、物語を牽引していく人物」とある。つまり主役が交代するということは、君が僕の人生を牽引していくということだ。そんな気もしたし、やっぱり違う気もした。 生まれて2ヶ月くらいが経ったので、思うところを振り返ってみたい。 ◇ 出産後、面会禁止の一週間を経て、母子ともに健康なまま退院した。育休に向けて仕事の引き継ぎに追われていた僕は、数日遅れて奥さんの実家へと向かう。これから一ヶ月、居候させてもらう予定だ。駅まで迎えに来てくれたお義父さんに「どうですか」と様子を尋ねると、「良いもんですね」と言った。後部座席から顔は見えなかった
そのラーメン屋では、ライスが無料でついてくる。ライスのサイズは半ライスと普通盛りの2種類から選択できる。ここで浮上する問題が、「半ライス問題」である。 半ライス問題は二重構造を孕んでいる。第一に、近頃の僕は体型が気になる。ふと気づけば身体中に見慣れぬ肉がびっしりついていて、ジャンプするとぷよりぷより揺れる。ここ半年、食べたいものを、食べたいだけ食べてきた横暴の歴史が、脂肪という名の年表に刻まれている。でもだからといって、ラーメンを食べることをやめたりしない。なぜならラーメンはおいしいから。とてもおいしいから。 そうは言ってもせめて、ライスだけは控えた方がいい。ラーメンとライスの組み合わせは、本当に太るぞ。学生時代から20kg太ったという友人が、腹をさすりながら僕を諭す。彼に言われると説得力があるけど、僕だってそんなことはわかっている。僕にも理性というものがあるのだ。だけど。 ここで現れるの
子どもが産まれた。 妊娠がわかったのは4月下旬。ちょうど結婚式を直前で中止したあとのことだ。式を挙げることはできなかったけど、思いがけない吉報に喜んだ。でもこういうものはなにが起こるかわからないし、なんとなくこういうご時世だし、ほとんど誰にも報告することはなかった。 とくに夏頃までは外出することに人一倍神経質になって、近くのスーパーへ出かけるのもためらった。ついこの間まで新婚旅行で南極に行くほどの旅好きだった僕たち夫婦は、近所から出ることもなくなり、部屋の中ですくすく大きくなるお腹を撫でて過ごした。ただ在宅勤務になったことは、つわりのきつい時期には不幸中の幸いだった。 混迷を極める世間のことはまるでスマホ越しの遠い世界のようで、部屋での日々は至って平穏に過ぎていった。お腹にいる君は昼にはしんと静まりかえっているのに、日が沈んだ途端に、うにょうにょ、うにょうにょと激しく動く。産まれる前からし
ダイヤモンド社より、『0メートルの旅』というタイトルだ。予約受付中。 興奮しています。 学生時代から、15年間旅を続けてきた。海外は約70ヵ国、国内は全都道府県。なにかに取り憑かれるように、遠くへ、近くへ、移動し続けた。 初めての旅行記は、初めての一人旅。巨大なバックパックを抱えて、モロッコに降り立った夜のこと。A4の大学ノートに、不安な気持ちをびっしりと埋め尽くした。 字が汚すぎる。 そのあとはmixiやfacebookに移行して、また旅行記を書いた。旅をすると五感の過剰摂取になって、それを吐き出すように書き続ける必要があった。旅をすること、書くことはいつだってセットだった。酒に慣れない大学生がうまい吐きかたを知らないみたいに、まとまりのない文章をボロボロと吐きこぼす。それでも友人たちがいろんな感想をくれるのが嬉しくて、夢中になって筆を走らせた。 これは当時のmixiで、何日にもわたる旅
noteが毎週配信されます。「空港みたいに、読んだらふらっと旅立てる」をテーマに書きます。それ以外にも不定期コンテンツを配信予定です。 読み続けていると、日常のすきまに、ふとした非日常を見つけやすくなって、ちょっと楽しく過ごせるかもしれません。 以前書いていた日記170日分も全て読めます!
ツール・ド・フランスという自転車ロードレースがある。100年以上の歴史を持ち、世界3大スポーツイベントの1つとも称される巨大なイベントだ。毎年7月に開催される。 今年もその季節がやってきたわけであるが、ここ最近の状況下により、残念ながら秋へと延期になってしまった。その代わりに現在開催されているのが、歴史上初のバーチャル開催となる「バーチャル ツール・ド・フランス」だ。J SPORTSで観ることができる(僕はAmazonPrime経由で観ている)のだが、これがめちゃくちゃ面白い。 システムとしてはバーチャルサイクリングサービスのZwiftを活用している。実際のバイクをローラー台に設置し、仮想空間の中を走ることができるサービスだ。 漕いだパワーを変換するだけでなく、仮想空間上のコースの勾配や空気抵抗に応じてローラー台の負荷が自動的に変わる。上り坂に差し掛かれば重くなるし、誰かの後方にくっついて
大学に入った直後ほど、人から必要とされた時期はない。新入生というだけで各種サークルの先輩方にチヤホヤされ、やれ君はテニスに向いているだの、やれ君はボートに青春を捧げるべきだの、とにかく引っ張りだこである。自分には無限の才能が秘められているような気がして、僕は鼻の穴を膨らませながら意気揚々とキャンパスを歩く。どんな青春を送るかは、全て僕のさじ加減 ー 目の前には輝ける未来が待ち受けているのだ。 そうして5年後、僕は部室で寝転がってジャンプを読んでいた。平日の夕方だというのに、すっかりほろ酔い気分である。横では部員たちが『ときめきメモリアル』に熱中して奇声をあげていた。テーブルの上にはビールの空き缶が大量に転がっていて、ポタポタと水滴が垂れているが誰も見向きもしない。部長は窓から顔を出してゲーゲーと吐いていて、部室には汗と酒とゲロの匂いが充満していた。 目の前にあったはずの輝かしい未来はあまり
こういう絵を見たことないだろうか。チャットの投稿に対して、スタンプみたいなものが押されている。 これは、チャットツール「slack」のカスタム絵文字という機能だ。書き込みに対してリアクションを押せるのだが、その画像を自分で作れるのである。そのため社内には多様な絵文字があって、この間とある発言に同意すべく「あり」を押そうとしたら、 選択肢が多すぎる。なんだこれ? 代わりに「わかる」と押そうとしたら、 めちゃくちゃあるな。 その状況に、ふと疑問を抱いた。 「ありありのあり」と「ありのありあり」は、どっちがありなの? 「わかりマンボ」と「ワカリマクリスティ」はどっちがわかってるの?整理心がくすぐられて、曖昧な絵文字たちに全て序列をつけようとした。しかしその作業は難航を極め、一人では収拾がつかない。もっと人手が必要だ。 こうして物事のあり/なし、わかる/わからないに強い関心を持った者たちが集って、
記事の中で「気象神社」での晴天祈願について触れたんだけど、その甲斐あってか4月4日はめちゃくちゃ晴れた。いやなにもここまで晴れなくても。見事な晴天である。 しかしすることがない。 僕が結婚式で楽しみにしていたのは、何より懐かしい友人たちと酒を飲むことだった。せめてもとダイエット中は我慢していたビールを開けて、朝からほろ酔い状態でインターネットにいそしんでいると、ちょうど大学の友人からメッセージが届いている。そこにはWeb会議ツール「Zoom」のURLが貼ってあって、13時になったら奥さんと一緒に入るように指示されていた。 最近はオンライン飲み会ばかりやっている。また新しい会が催されるのかもしれないが、しかし奥さんも一緒とはどういう意味だろうか。 13時になって、ワクワクしながらビールを握りしめログインしてみると、そこには礼服姿の6人がスタンバイしていた。 え? なにこれ? 全員、結婚式に招
ああ疲れた。とても疲れた。本当は誰かと朝まで飲んで全部一緒に吐いてしまいたいけど、そうもいかない状況なのでこの場を代わりに使わせてください。 本格的に式の準備を始めたのは半年前。僕はイベントごとが結構好きなので、カスタマイズできる自由度の高い式場を選んだ。いろんな企画を考えるのはとても楽しくて、思わず動画を4本も作った。これはやりすぎたと思う。 2ヶ月前。中国が大変なことになっているというニュースを見ながら、腹筋とスクワットに励んでいた。糖質制限も始めて、大好物のビールを我慢してハイボールに切り替えた。体重はみるみる減っていって、当日までには理想の体型になれそうだ。 1ヶ月半前。日本での感染事例が少しずつ報告されて、これはまずいと思い始めた。念の為に式場との契約書を確認してみると、日程変更もキャンセルと同じ扱いと書いてある。嘘だろと目を疑ったけど、よく思い出したらちゃんと説明を受けたしバッ
旅が好きだが、人見知りなので現地人とすぐに仲良くなったり、熱い友情が芽生えたりすることは少ない。親しくなったかと思えばだいたい騙されたりぼったくられたり、失意のまま帰国することも多い。 そういうものにちょっと疲れて、たまには人と接さない場所に行こうと思った。この地球上で唯一、一般人の住むことのない大陸。南極大陸だ。 そんなわけで、2020年1月に南極に訪れた。 南極までの行程や世界一荒れる海、息を飲む景色については文藝春秋digitalに書いた。また南極海に飛び込む「ポーラー・ブランチ」という狂気のイベントに関しても触れている。 記事は途中まで無料で読めます。4月上旬発売の「文藝春秋」本誌にも掲載されることになっている(!)ので、見かけたらぜひ手に取ってみてください。記事を公開したのち、いくらかかるのか、そのコストに見合うのかといったことを多くの人に尋ねられた。しかし費用は申し込み方法によ
疲れていた。 泥のように疲れていた。 腰のあたりがじんじんと痛む。鐘をつくみたいな一定のリズムで、痛みの波が押しては返す。痛え。腰が痛え。痛すぎるだろ。 季節の変わり目はいつもこうだ。気温が大きく変化すると、決まったように腰が鈍い唸り声をあげる。身体の芯から鳴り響くそれは、ときおり神経を直接引っかくみたいな鋭い苦痛を伴いながら、淡い痺れとなってゆっくりと全身へと伝っていく。この世のものとは思えない不快さである。 この冬は特にひどい。暖冬だとか言いながら急に気温が2度になったりするし、それに慣れたと思ったらやっぱりすぐに暖かくなったり。僕の腰はアホなのでその度に季節が変わったと勘違いして、痛みという名の衣替えを毎回行なうのである。もういい加減にしてほしい。 昨日だってそうだ。凍えるような寒さから一転、いきなりポカポカ陽気になりやがって、お前は極端かと。もう少し微調整なり、事前の報連相を徹底で
図工の授業で絵を描くときに、筆をバシャバシャ洗うバケツがあった。あのバケツには「筆洗(ひっせん)」という名前があるらしい。画用紙に描かれる鮮やかな絵の具とは対照的に、筆洗はどんどん濁っていく。描き進めるうちに混沌を極める、色のゴミ箱。 2001年、僕は中学生だった。バラ色の日々、みたいな表現があるけど、あの頃の僕の毎日を色に例えるなら、まるで筆洗のようだったと思う。 団体行動が苦手で、ストレートに学校が嫌いだった。授業を受けるのも、体育で行進するのも、合唱を歌うのも、耐え難い仕打ちだった。入学式で、「我が校では全員が部活に所属しています」と校長が高らかに宣言した瞬間に、目眩で倒れるかと思った。 そうして理由もなくサッカー部に入った僕は、準備運動の掛け声が小さいと先輩に怒鳴られた次の日に、退部を申し出た。顧問は困った顔をして、「所属率100%」の伝統を守るべく、様々な部活への転部を提案してき
「Oh 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜?」 マイクを持った兵士が煽る。 「Oh 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜?」 大観衆は両手をあげてそれに呼応する。 長い長い溜めがあったのち、 「インディアァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!」 地響きのような歓声とともに、会場のボルテージがブチ上がった。 僕は呆気にとられてそれを眺める。 一体、ここはどこだっけ ── ここは、インドとパキスタンの国境だ。 ◇ インド人への古典的なイメージといえば、炎を吐いたり手足が伸びるほかにも、「ターバン」があろう。だが実際のところほとんどのインド人はターバンを巻かない。なぜならターバンはインド人の8割を占めるヒンドゥー教徒ではなく、わずか2%のシク教徒の文化だからだ。 シク教徒には教育水準の高い層が多く、イギリス統治時代のインドでは海外で活躍する人材を多く輩出した。そのため「インド人 = ターバン」のイメージが根付いたとも言われ
幸せになりたい。頑張りたくはない。楽してどんどん幸せになりたい。 幸せになるのに必要なもの。それが徳だ。徳を積めば幸せになれる。詳しい仕組みは知らないが、きっとそういう風に世の中はできている。 では最速で徳を積む方法とは?道端で困っている人を助ける。世のためになる事業を興す。仏教に入門してお経を唱える。どれも違う。マニ車を回すだけでいい。 「マニ車」とはチベット仏教で用いられる仏具の名称だ。円筒上の本体が車輪のようにくるくる回るので、マニ車。その側面にはマントラ(真言)が刻まれ、内部にはロール状の経文が収められている。大きさは様々で、手に持って回せるサイズのものから、数メートル級のものまで存在する。 このマニ車、心を込めて回せば、その回数だけお経を唱えたのと同じ効果が得られるという。すごい。すごい楽だ。元々は経典を読めない人々のために作られたという説もあるが、とにかく回すというシンプルな動
※このnoteは、『0メートルの旅』という本に収録されています 手紙を書くのって照れる。それも「自分への手紙」となれば、なおさら照れる。自分の声の録音を聞いたり撮られた映像を見返したり、そういう時も結構恥ずかしいが、自分へ手紙を書くのはまた極上の照れがある。 僕は中学校の授業で自分への手紙を書いたことがあり、書き出した時点で早々と打ちのめされたのだが、その授業ではなんと手紙の内容を発表させられた。その時間はもはや「恥ずかしい」というよりは「今すぐ自爆したい」という感想しか出てこず、気分が悪くなって早退した。それ以来、自分への手紙というのはトラウマだ。 だから自分がもう一度手紙を書くなんて、いや、正確には書いたなんて、そのLINEを見るまでは思いも至らなかった。 同級生のLINEグループだった。そこには写真付きで「手紙が届いた」という報告が並び、それに対して「届いてよかった!」という返信がつ
投資銀行の勤務時間は9時5時で、これは朝9時から朝5時の意味である。終電を見送りながら晩御飯を食べ、始発と競争する毎日だった。帰宅してシャワーを浴びたらスーツを着て、そのまま玄関で寝た。 僕がそんな世界に入ったのは、大学を2留したからだ。それでも受け入れてくれる会社を探していた。面接ではたまたま前日に観たニュースについて聞かれ、僕はまるでイタコのようにニュースキャスターの口ぶりを真似した。そのまま偶然入社できたのは最高にラッキーだったか、もしくは最高にツイてなかったと思う。 投資銀行では、皆が忙しかった。横のデスクの先輩は今日で300連勤だと謎の記念日を祝っているし、別の先輩は食事を効率化するためピザしか口にせず、またある先輩は服を洗う時間が勿体無いと毎日新品のワイシャツを着ていた。そんな愉快な職場だった。 ただそういう偉大なる先輩たちと僕の間には決定的な違いがあって、彼らの多くが抜群に仕
近所の寿司屋「魚がし日本一」のLINEクーポンを3年間記録するという内容で、お陰様で多くの方々に読んで頂き、オモコロ杯という記事コンテストでも優勝してしまった。全ては寿司の力であり、僕は寿司に生かされている。 様々な反響があった中で、特に驚いたのは魚がし日本一の公式アカウントから連絡がきて、 お礼として「食べ放題」の特別クーポンを頂いてしまったことだ。 元記事ではオチにスシローを使っていたのに、なんて懐の深い寿司屋なんだ。 そんなわけで既にこの研究は十分報われたわけだが、一方で僕の中の好奇心が、またゆっくりと頭をもたげた。 「自分の分析が合っていたのか、答え合わせをしたい...!」 3年間に及ぶ記録はクーポンのサイクルを「王朝」に見立て、それぞれの特徴や背景を分析した。 その時、実際にはどのような意思決定が行われていたのか? どうやってサイクルが変化していったのか? そして僕にとって衝撃の
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