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新内閣発足
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稲城市の市立病院の奥にはフェンスで囲われた米軍施設があります。旧日本陸軍多摩火薬製造所 であったところです。 そしてもうひとつ、横浜市と町田市の境にある“こどもの国”も旧日本陸軍兵器補給廠田奈部隊で、 ここでも弾薬が作られ貯蔵されました。 (田奈弾薬庫はこのページの後半です) 【稲城の多摩弾薬庫跡】 JR南武線の南多摩駅を降りて市立病院の先に進むと「Tama Hills Recreation Center」と書かれた門が あります。ここは「在日米軍多摩サービス補助施設」といって横田基地などに勤務する米軍家族のための レクリエーション施設で、ゴルフ場やキャンプ場などがあります。 通常ここに入ることはできないのですが、年に一度「稲城フェスティバル」という イベントが催されるときに限って立ち入ることができます。そしてこの機会にかつてここが 多摩弾薬庫であったことを示す何らかの遺構を確認したいと思
【慶應義塾大学日吉キャンパス】 東横線の日吉駅の駅前に慶應義塾大学日吉キャンパスがあります。このキャンパスのある場所は 周辺よりやや小高くなっていて東海道新幹線がこの部分をトンネル(日吉トンネル)で通過しています。 本来、海軍の司令部など中枢の機能は海上の艦隊旗艦上にあるべきものですが、太平洋戦争末期には 主要な艦船を失いつつもなお、本土決戦に備えて陸上に上がり作戦指揮を行うようになったのです。 そして選ばれたのが大本営のある東京や横須賀軍港に近くて、堅固な建物がそのまま利用でき、 空襲を避ける地下壕が掘りやすく、しかも無線の受信にも都合のよい高台であるこの日吉台なのです。 上の地図の①が今回見学できた連合艦隊司令部(海軍総隊司令部)のあった地下壕です。 ②は第一校舎に入っていた情報部の待避壕、③は海軍省人事局の地下壕、④は日吉の丘公園一帯に掘られていた 艦政本部地下壕です。(ただし、①の
今、お台場といえば臨海副都心の一部で、レインボーブリッジによって結ばれる埋立地一帯を 指していますが、かつてそこには東京湾海防拠点の一部である品川台場がありました。 江戸幕府はペリーの率いる4隻の黒船が来航したことをきっかけに海防策の一環として 台場を急ぎ建築することにしたのです。つまり、お台場とは幕府により作られた東京湾品川沖の砲台のことです。 黒船の来航を受けた江戸幕府は再来日という緊急非常事態に際し、 総工費約75万両(今のお金で約30億円)をかけて台場の建築に着工しました。工事の主体は伊豆韮山の代官、 江川太郎左衛門です。 砲台は1853年(嘉永6年)8月から1854年(安政元年)5月の間に作られました。 ペリー提督が来たのが嘉永6年6月のことですからとても早い対応だったといえます。ただし、 第一、二、三、五、六台場は完成したのですが、第四台場と第七台場は途中で工事が中止され未完成
<2002年8月> 東京都の八王子市と町田市の境目あたりに「戦車道路」と名づけられた道があります。昭和18年に完成した 相模陸軍造兵廠の専用道路でした。戦車の性能テストや操縦訓練のために作られたものだそうですが、 戦争も終盤になっていて実際はあまり使われなかったようです。 現在は町田市が国から借り受け「尾根緑道」として整備していますがそれは南多摩斎場から東側であり、 西側は工事中ということでは入れない(ことになっています)。どうなっているのだろう、 またその終点はどこなのだろうかと気になり、古い道を思い出しながら痕跡を求めて捜してみました。 (画像をクリックすると拡大できます) <2007年1月> 記述の一部に誤りがあり、修正しました。そもそも戦車道路の西の起点ですが、国土地理院の古い地図を見ると 現在の給水塔のあるところで止まっています。そこから先の道路はニュータウン開発のために 後から
20年以上前のことになりますが、小金井街道を走っているとパラボラアンテナが 2基見える場所がありました。あれは確か米軍基地の跡であると聞きましたが、今どうなっているのだろうかと 気になって訪ねてみました。 (2005年10月記) (2006年2月追記) (2007年3月追記) (画像をクリックすると拡大できます) 府中市にも戦争の面影はあったのです。京王線東府中駅の北側には 現在航空自衛隊府中基地があります。ここは、かつて 旧帝国陸軍燃料廠があったところで、終戦後は米軍が極東第五空軍司令部と在日米軍司令部を 置いていたこともあります。 1973年(昭和48年)に米軍府中基地は通信施設を除き全面返還されることになり、 芸術劇場や葬祭場が建設されました。このときに残された通信施設のある北側の一帯は 生涯学習センターを挟んでいまだ米軍施設のままです。 府中から通称小金井街道を北上すると、府中の森
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このページは、役目を終わってただひっそりとかつての存在を ほんの少し残している道路やトンネル、鉄道線路跡、戦争遺跡を扱っています。 (オカルト的な趣の内容ではありません。) (記述の中に誤りや疑わしい点がございましたらご面倒でも管理人までご連絡ください。)
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