ゲームは、必ずしも面白くなくても、かまわない。 小説のプロットが、文章を書くための当座の建前であってもかまわないように、ゲーム・システムは、作家のオブセッションを表現するためのきっかけのようなものに過ぎなくても、かまわない。 どんな作品をつくることも、自由なのだ。 ストラテジックな思考やアクションの反射を推奨し、難易度や操作感を研ぎ澄まして面白くすることは、確かにすばらしい試みだが、もしも作家に、もっと語りたいことがある場合、ゲーム・システムは、出来合いのまま済ませられたものであってもかまわない。 ただ、もちろん、そうすると、多くの人が、その作品に見向きもしなくなる。面白くない、とは、娯楽性がない、ということだ。 とはいえ、プレイヤーの数がゼロになるわけでもない。世の中には、奇特なひとも、一定数いる。 わたしが『Peripeteia』をプレイできる理由は、わたしが奇特だからとしか言いようが